375.近い人。
インターネットで、距離的に遠かった人と、
さまざまな関係を持てるようになった。
そのことのよろこびを、
何度もガンジーさんは語っていたと思う。
だが、遠い人が近くなったからといって、
近い人を遠くに見るのは筋違いじゃないか、と。
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「近い人、遠い人」
ときどき癌患者のこんな言葉を聞く。
「癌になったものでなければ癌患者の気持ちはわからない」
というもの。
これって何かふてくされた言い方に聞えるんだ。
女でなけりゃ女の気持ちはわからない、
というのとおなじみたいだぜ。
女にだって女の気持ちがわからない時もあるだろう。
癌患者だって自分の気持ちが整理できてやしない。
女じゃないガンジーだって
いくらかは女の気持ちがわかるぞー。
タスデ美やふたりの娘の言動をみてて、
なぁーるほど男とはこんなところが違うんだなぁ、
なんてね。
それも少女から思春期をへて成人した今までの
ながい距離をみてるから、
いくぶんはわかったつもりでいる。
癌患者の苦しさをわかってあげようと
努力してくれてる周囲の人たちに
冷水をあびせている言葉だぜ。
努力してくれてない人もいっぱいいるけどさ。
努力してくれてない人の、頑張って、とか
そら涙なんかにたいしてはいいパンチかもしれないがね。
このような患者たちは会みたいなものを組織し
おたがいに傷口をなめあっているらしい。
「うん、あなたの癌は鉄砲の味がするけど
不法所持してるんじゃない?」
「わっかるー!ヤバイね、あなたの癌はどんな味?」
「わたしのは、がんもどきの味よ」
それで気持ちがいやされ
元気をたもっている患者も多いだろうから
とやかく言うつもりは...あるんですねぇこれが。
なんで身近にいる家族、友人を飛び越して
見ず知らずの人と組むんだい?
どうもわからねぇぜ。
「わたしはこんな治療法を試みています」
「おたがいに頑張りましょう」なんてさ。
そんな、人に寄りかかった生き方で治るもんですかいな。
それよりは身近な人の応援に
感謝しょうとおもうガンジーだ。
口では元気ぶりっこしているけれど
落ち込むことは再三だ。
そんな時でもネコネコ(たまたま、という意味)
おなじ病気になっただけでランタン(肝胆だ)あいてらし
胸襟を開いてオッパイを飲ましっこしようなんて、
けったいな考えはうかばないぜ。
家族、友人こそ大事にしたい。
タスデ美のいっけん冷たい態度もなんのその?花園!と
ラグビーのようにけちらし、
長男のあぶらののった仕事ぶりを聞いて満足し、
美長女の子育てに口をはさみ、
朋姫のじゃじゃ馬ぶりに目をほそめ
「そうだそうだ男がなんだっつうんだ!」と
けしかけて彼らの愛情をいっぱいうけてます。
人の痛みはわからないもの、それはわかる。
わからないけどわかってあげようとする心、
その心は癌患者にも痛いほどわかるんですぞ!
それなのに
「なってみなけりゃわからない」
なんて甘ったれた言い方はよくない。
こんなにつらいんだぞ!って
オーバーに弱者の特権をふりかざしてはいけない。
周囲の人たちはわれわれ患者以上になやみ、
力になってやりたいと思っていてくれることを
ゆめ忘れることのないよう心がけたい。
それより患者側からも愛をうけるだけでなく
健康な人に発信しよう。
病をえてどのように考えかたがかわったか。
健康だったときの気持ち、現在の気持ちを
すなおに伝えたいね。
この心境の変化を知ってもらうことは
きっと健康な人に役立つはず、病気の予防にもね。
遠いところに幸せなんてあるもんか。
人の行動範囲は500メートルだい!
ガンジー
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家族のきずなが強い家では、
すぐ近くにいる家族が、なによりの力になる。
その人のことをよく知っているからこそ、
心のなかを思いやることができるんだろうなぁ。
(つづく)
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