告別式のレポートです。
ガンジーさんの告別式に混じらせていただきました。
弔いの儀式というのは、
いつまで悲しんでいいのかがわかりにくい
生きて残った人々のためにあるのだと思いますが、
そういう意味でも、
読者の皆さんに、この式の報告をさせていただいて、
たくさんのガンジーさんを知っている人の大事な日常を、
取り戻すきっかけにしたいと思います。
「ほぼ日」の有志数名と、最寄りの駅で待ちあわせして、
駅から200メートルばかり離れた斎場までを往復する
小さなマイクロバスに乗り込み、ほんの1分ばかり。
広い駐車場を備えた会館のような建物で、
3階の部屋がガンジーさんの家の、
4階では、また別の家族の告別式が行われるようでした。
集まる人々の数に合わせて
大きな部屋小さな部屋を選べるというものではなく、
かなり大勢の参列者があっても入れるように、
相当に広い部屋が用意されていました。
「ほぼ日」のガンジーさん読者の方々から、
このお別れの式の場所を教えてくれというメールが、
何通かあったのですが、
やはりこの場に行って、あらためて思いました。
直感的に、それをしなくてよかった、と。
これは、家族の場なのだと。
もちろん、大もちろん、
初めてお会いするご長男や、あのタスデ美さんにも
「よく来てくださいました」と言っていただいたのですが、
ぼくらはあくまでも、ご本名のYさんでなく、
ヴァーチャルなガンジーさんという人の関係者です。
喪主はタスデ美さんですし、
ご挨拶はご長男がなさいました。
それが、いちばん健康で当然のことでしょう。
もし、「ほぼ日」で呼びかけていたとしたら、
たぶん、自分の用事を措いてでも駆けつけてくれる方々が、
この部屋に入りきれないくらい
おいでになったことでしょう。
そしたら、ご家族は、初めて会う「心優しき参列者」たちに
気を遣わなくてはいけなくなるし、
心ならずもどことなく「よそいき」な表情で、
その場にいることになってしまうかもしれない。
そんなことにならないほうがいいに決まってます。
ガンジーさんが「ほぼ日」に
『the親戚新聞』を連載していたこの2年については、
ご家族の皆さんが、口々に感謝してくださっていました。
この連載や、読者の皆さんからのメールを励みに、
最後のエネルギーをふりしぼることができたと、
おっしゃっていました。
それは、よかったなぁと、ぼくも思います。
だけど、ひとりの「普通のおじさん」としての生と死を、
まるごと共有するのは、やはり、
ガンジーさんもいちばん大事だと言っていた家族です。
その密な関係を歪ませてはいけないと、
ぼくが直感的に思ったために、
がっかりさせてしまった読者の方もいたようでしたが、
そのへんは、わかっていただきたいところです。
ぼくや、「ほぼ日」の数名は、
親戚でも、会社の関係者でも、近所の人でもない
不思議な存在として、坊さんの読経を耳にしながら、
たくさんの供花に囲まれたガンジーさんの写真に
目をやっていました。
この写真のセレクトは、最高でした。
ガンジーさんの服装はよく憶えてないのですが、
たぶん病院で撮影したスナップの一枚なのでしょう。
ガンジーさんが、ニカッと笑って、
レンズに向けて指で「LOVE」を表す
「Lサイン」を作っているのです。
ご本人が生前に、この写真を指定したのでなければ、
やっぱりご家族のなかにガンジーさんの遺伝子が、
しっかり受け継がれているとしか思えません。
喪主でもある奥様のタスデ美さんは、
ガンジーさんが『the親戚新聞』紙上で、
あんまりかまってくれないというようなことを
いつも愚痴っていましたが、とんでもない。
想像したとおり、誰よりも哀しみの表情が深かったのは、
やはり、タスデ美さんでした。
ほとんどの時間を気丈にふるまっておられましたが、
納棺のときのとめどなく流れる涙には、
思わずもらい泣きさせられてしまったほどです。
ユーモアと言えば、喪主の代理としてご挨拶された
ご長男の言葉も、心情あふれるユーモアに満ちていました。
ふざけているのでもないし、軽く考えているのでもない。
しかし、やはり、あのガンジーさんに相応しい
正直で思いやりのあるとてもいい挨拶でした。
記憶にたよって再現すると、以下のような内容でした。
「病魔との闘いには、痛みも苦しみもあったろうに、
それを周囲に感じさせず、元気にふるまっていた。
そこは、立派だったと思っている。
少し若すぎたという思いもありますが、
父は、十分に自分の人生をまっとうしたのではないか。
特に、2度も余命がすぐ尽きるということを
宣告されてからの父は、
思う存分に、自分の元来の性格の
わがまま、新し物好き、珍し物好き、目立ちたがり、
見えっ張りを存分に発揮し、
時には背筋が凍るようなくだらないダジャレを言い放ち、
周囲をあきれさせつつも、
思いっきり生きていたのではないかと思う」
式の最後は、棺のなかのガンジーさんに、
参列者全員で花を添えるというものでした。
棺のなかのガンジーさんの顔は、
よく言うような紋切り型の世辞ではなく、
ほんとうに安らかできれいな表情でした。
ひとまず中締めだぜ、「あばよ」。
という伝法な口のきき方とは、またちょっとちがう、
繊細なちょっと気弱ないい男、みたいな顔に見えました。
こういう報告に、感想を言うというのも僭越ですが、
ぼくのこの場に参加させていただいて思ったことを、
ちょっとだけ書いて終わりにします。
ガンジーさん、とうとう永い眠りについてしまいましたが、
それって、イヤだという気持ちと同時に、
ほっとするっていうこともあるのかもなぁと、
思ったりもしたわけです。
もちろん、矛盾した言い方なのですが。
ガンジーさんの棺のなかの表情がよすぎたのかもしれない。
でも、ほんとうに「ふうっ」と、
安堵のため息が聞こえそうな「素(す)」の顔に見えて。
ひょっとすると、男たちってのは、
毎日毎日、「やっと生きている」のかもしれない。
これ、悲観的に言っているんじゃないんです。
ぼくら、たいていの男たちって、
「やっと」生きてるのかもしれないなぁと、
そんなふうに思えたんです。
脆くて弱くて、だから、
けっこう精いっぱいじゃないと倒れちゃう。
そんな感じでつっぱっているのが、男なのかなぁ、と。
しみじみしながら、電車に乗って、
帰ってきたのでありました。
タスデ美さんはじめ、
ガンジーさんのいなくなったご家族の皆さま、
Yさんが「ガンジーさん」という役者になったために、
いらぬご迷惑もおかけしたかもしれませんが、
どうぞ、お許しください。
ガンジーさん、小さな身体ぜんぶで、
普通のおじさんの先輩として、
持っているものすべてを語ってくださって、
ほんとうにありがとうございました。
世界中のたくさんの人たちに、ていねいなメールを
真剣に書いて出していたことも、頭がさがります。
これを読んでいる読者の皆さん、
半端なレポートかもしれませんが、こんなところです。
ありがとうございました。
この『ガンジーさん』のページは、
連載が続かなくなったからといって、
消えることはありませんから、ご安心を。
どうぞいつでも、アーカイブを読みに来てください。
2001年12月24日 ほぼ日刊イトイ新聞・糸井重里
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