もともとは、がまんして『犬と猫と人間と』
という映画を観たのがきっかけでした。
映画の資金を出したおばあちゃんと、飯田監督と、
登場する人々、出演の犬猫のおかげで、
ぼくはすなおにこの問題を
考えられるようになったのでした。
ただ『犬と猫と人間と』という映画を観ただけでは、
まだ「むつかしい問題だなぁ」という距離感でいました。
そのへんの感じは、
「ほぼ日」での座談会にもあらわれています。
もうちょっと具体的な視点ができたのはそのあとです。
坂本美雨ちゃんや、彼女の友人たちが、
実際に悲劇的な状況に追い込まれている猫や犬に
手を差し伸べる姿は、
「動物愛護」の「運動」というより、
目の前の転んだ人に「大丈夫ですか」と
話しかけるような感じに見えました。
ぼくのなかでの野良猫に対する見方が、
変化していきました。
「そうしたほうがいいなぁ」と思えるやり方で、
動物たちとつきあっていく先進国があるということ、
動物と人間との関係においては
日本がずいぶん昔の遅れた状態のままだということも
知りました。
また、ボランティアの活動は有効なのですが、
行政が本気で取り組んだら、動物たちとの関係も、
飛躍的によいものに変えていけるということも
わかりました。
地方自治体によっては、さまざまな
「いまよりよい条例」やサービスが
実行にうつされているようです。
ヨーロッパなどの例でも、
やはり国としての法整備がなされています。
動物たちの環境改善をめぐって、
署名やら嘆願やらにも効果はあると思うのですが、
環境省のほうから意見を求めている状況というのは、
変えるための助走であり、
「そのための通路」があるということだと思えるのです。
5年に一度、「民の声」「犬や猫の声」を
求められて送れる時です。
正直言って、ぼくは
「運動」はあんまりやりたくないのです。
ただ、犬や猫は、どんな状況にも抵抗できずに、
だまって従うしかないので、
人間のほうが代理で彼らにも生きやすいように、
守ってやらねばなりません。
「わたしは、こう思う」という意見を、
求められている宛先に、送る。
それが、ちょっとずつちがっていても
自由だと思うのです。
動物たちの無言をいいことにひどいことをやり放題、
というのだけは勘弁してくれ、
というだけのことだけでいいんじゃないかな。
「動物だって家族だ」ということ、
こんどの震災でほんとうによくわかりましたものね。
いまのような状況で、
じぶんや家族や仲間の生活を守りながら、
すべての手助けをしていくなんてことは不可能です。
ですから、まずは、犬や猫のペットを飼っている方、
あるいは、犬や猫がとても好きな方、
たぶん30分くらいの手間になりますが、
手伝ってください。意見を提出することだけ。 |