大投票GOODorBAD? あらゆるモノゴト、いまどっち? |
投票、ありがとうございました!! 投票総数は2,385です。結果を発表します! GOOD72.9%、BAD27.1%で、 「父親って、 GOODなイメージ」 と、なりました。
年齢別によるGOODとBADはどう違うのでしょうか。
性別では、全体では大きな違いはありませんが、 性別を年代別に見ると、 各世代、ほぼ逆の割合になっています 。
投票したみなさんによる、結果の予想です。
メールを紹介します。 たくさんいただいたので、 多めに紹介させていただきます。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 投票したあと自分がどちらに入れたか忘れました。 自分にとって、明確なイメージを 持てないテーマなんだと思います。 「巨人の星の星一徹」、「古き良きアメリカの父親像」 そんなところがまず思い浮かびます。 でも、自分の父親は、 「我が子を谷底に突き落とす獅子のような」 育て方ではありませんでしたし、 「たくましく、優しく家族を守り、時には外敵と戦う」 父親でもありませんでした。 希薄な父親像しかもっていません。 そのためかどうか、自分自身の父性に自信がなく、 子供を持つことにも消極的になっています。 (匿名希望・東京都) 最近、父さんに似てるヒト を好きになりやすいってわかりました。 小さいときからよく遊んでくれたもん。 ものすごく子煩悩だと娘の私も思うよ。 お父さん大好きだよ。 …なんて実家にたまに帰っても 照れくさくて絶対言えないんですけど。 だからGOODです。 ただ、最近運動不足みたいね。 あと、お母さんに家事一切頼ってるのは よくないと思うよ。そこはBADかも。 (ごん・茨城県で一人暮らし中・21歳・女性) 難しい選択でした。 私の父は女好きで、かなり女を泣かしたらしいのです。 そんな父に泣かされ続けの母は、 私達も置いて家を出、妹は三歳で他所にやられ、 私は六歳だったので貰われ先から逃げ帰り、 継母に継子いびりをされて育ちました。 あまりのひどさに親戚の人達が、 実の母を連れ戻したのですが、すぐに、 父はその女に連れ出され、結局母は私と直ぐ上の姉を、 自分の戸籍に入れ、長女は父のもとに残りました.。 したがって私達家族は親子で揃ったことは、 一度もありませんが、父とは交流があったので、 葬式には出ました。 人間的には悪い人では無かった気がするので、 嫌いではないのですが、好きにはなれませんでした。 したがってBADです。 (埼玉県・72歳・女性) 私の父はとてもとても真面目で、 冗談なんかひとつも言わない人です。 母が明るいボケキャラなので、 それが必要以上に目立つような気がします。 そんな父が、今まで言った数少ない冗談を、 つい最近、母から聞きました。 私がまだ幼稚園くらいに、 ままごとの野菜(マジックテープがついてて、 そこからさくっと切れるもの)の、 にんじんの頭と、きゃべつの片割れをくっつけて、 「きゃべつとにんじんだから、これは“きゃべじん”」 と言ったというのです。 その話を聞いて、妹と涙が出るほど笑いました。 お酒を飲んで酔っ払って、くだをまくときもあるけど、 やっぱりそんな父が好きです。 だから、Goodです。 子供の頃から母親大好きで育ちました。 大人になっても一緒に暮らすと夢見てそれが叶いました。 父親はあくまでも、母親に付随したものだったのです。 それなのに3年前母親が脳梗塞になり、 今は意識もありません。 86歳の父を嫌いではないつもりだけれど、どうして? どうしてお父さんじゃなくてお母さんが倒れたの? 母親とはいくらでも話の種がつきなかったのに、 父親の話はもう聞いたことばっかり。 こちらが疲れているときはイライラしてしまいます。 先々後悔したくないから、と自分を抑えて 父親の世話をしている私。 入院中の母に愚痴をこぼすこともできないし・・・・。 この世に送り出してもらったのだから、 badだなんてとんでもないとは思うけれど。 ごめんなさいbadです。 でも、自己嫌悪になりそうだから 今夜は話し相手になります。 (親不孝者・福岡県) 父親、、、複雑です。 いろいろ考えた末、Goodに一票入れました。 私は、生きている父親のことを全く覚えていません。 私が3歳になったばかりのころに癌で他界。 父はまだ28歳でした。 小さなころは父親がいないのが普通でした。 が、思春期になると、無性に寂しくて、 父の記憶が無いにもかかわらず 大きな喪失感に襲われました。 あのころはよく泣いてました。 そして、いいお父さんがいる友達を羨んだり、 逆にお父さんを毛嫌いしたり粗末にしたりする友達に 怒りを覚えたりもしました。 母曰く、父は私のことを本当に かわいがってくれたそうです。 私が生まれたときには、一目見るなり 『この子は絶対お嫁にやらない!』と言ったそうです。 でも、そんな優しい父について覚えていることと言えば、 棺桶の中の姿だけです。真っ白い着物を着て、 変な三角の布を頭につけて、白い菊に埋もれていました。 どうしてわざわざ窮屈な箱の中に寝ているんだろう? と不思議に思いました。 もうちょっとだけでも一緒にいられたらよかったのに、 と願わずにはいられません。 ほんのもう少し、父の記憶がほしいんです。 父親がいない環境で育ったおかげで、 男性恐怖症でもあります。24歳になりましたが、 誰かと付き合ったことは一度もありません。 このままいくと、父の願いは叶いそうです(笑)。 いいんです、それでも。 あの、写真の中の超ハンサムな父は今までも、 そしてこれからもずーっと 私の憧れの人であり続けることに 変わりは無いのです。 一緒にすごした時間は短かったけど、 私のお父さんはこの人しかいません。 (やしち・横浜市・24歳・女性) DNA的に私の父親である人は、 「父親である」と言うことを放棄しました。 要するに、私が小さい頃に両親が離婚したわけですけど。 でもいくら離婚したからって、子供である私に対して 「父親」であることはできたと思います。 お金の援助の問題だけじゃありません。 普通に話したり、「親の背中を見て育つ」的に 何かを教えてくれたり 決断せざるを得ないときに、相談に乗ってくれたり。 でも、その人は私の成長過程においてそんなことを まったくしてくれませんでした。 接触する機会すらありませんでした。 いま、私はその人に会いたいとはまったく思いません。 生きていようが死んでいようが、感慨もありません。 むしろ、学校の先生や会社の上司に 「父性」を感じるのです。それは自分に対して 真正面から向き合ってくれるからかもしれません。 DNA的に父親であることと、 本当に「父親」であることはまったく別だと思います。 血がつながりに甘んじる世の「お父さん」方への 警鐘の意味もこめて私はBADに投票しました。 (る・群馬県・女性・26歳) ろくでもない父でしたが、 今となっては、いてくれてありがとう。 だからGOODです。 そもそも、父がいてくれなかったら、 私はこの世にいなかったんですしね。 高度成長期のモーレツ・サラリーマンな父が、 働き過ぎで体を壊し、仕事を失ってからが大変。 新しい職につくものの、やっぱり体がもたない。 それで、とうとうアル中に。 新しい時代の男性だったら、 どうしても外で働けないのなら、 家で家族を支える生き方だって「あり」だと、 切り替えることも可能だったかも知れません。 が、戦前生まれ・戦中教育で育った父には無理でした。 母が、女手で家計を支え、私たちを大学に出し…と、 父が本当は自分の役目だと思っている事をしているのが、 耐えられなかったのでしょう。 それを恨む自分も、情けなかったんでしょうね。 母が苦労する姿を見て、小さい頃は恨むばかりでしたが、 自分がオトナになって、それなりに世の荒波に もまれてみると父の苦悩が少しずつ わかるようになっちゃった。 やれない自分、それを克服できない自分を思うと、 現実から逃げるしかなかったのでしょう。 家族は、強くなくても、父がいてくれれば、 それでよかったのにね。 だって、私たちや会社のために必死に働いて、 それで体を壊したんだもの。 確かに、心の弱い人だったかもしれませんが、 それでも暴力はふるわなかったのだけは 偉かったですかね。でもねぇ。 本人もつらかったろうが、家族もつらかったぞ! 父よ! あ。まだ生きてますよ。しかも元気に。 家族の努力(まぁ、本人の努力もありですか)などと ともに、今はだいぶ丸くなり、孫に目尻を下げる 好々爺になってます。 終わりよければすべてよしだよ、お父さん。 (専業主婦子・新潟市・女性・30代後半) もう30年以上も親子をやってきているにも 関わらず。未だに父の全貌が見えません。 つい最近も、戦後間もない頃にサルベージ船に乗って 沈没船や不発弾の引上げ作業をやっていた過去が発覚。 お金儲けがしたかったらしいです。 そんな中学生、おりませんて。 夢多き彼は親の仕事を継ぐのがイヤで その後職を転々とするのですが、どれもこれも アンタ一体何がしたいのさ!と突っ込みどころ満載。 70才越えた今も、悟りの境地を開くどころか この先まだまだ隠し玉が飛び出しそうなので goodでもbadでもなく、「ヘン」としておきます。 (まろ) 父とはもう、3年近く連絡をとっていません。 電話が鳴るたびに胸が痛みますが、 どうしても電話を取る勇気がないのです。 今までにたくさん傷つけられ、何度も泣いて来ました。 いつもは優しいのに、お酒を飲むと 人格が変わってしまう父に何度絶望したことか わかりません。好きなのに・・・。 ちなみに私の父は、星一徹のような性格です。 そんな威厳のある父は大好きなんです けど、いろいろ思うところがありまして、BADです。 (スマイル) 若い娘時代なら、 とっととBADに投票していたところです。 でも、5年程前に親父さんが 死んじゃったものですから‥‥。 いわゆる「仕事人間」で、家庭を顧みない 典型的なオヤジでしたが、それはそれで、 必死だったんでしょうねぇ。今は理解できます。 死後、色んな方々から父のエピソードを聞きましたが、 家庭の父とは同一人物とは思えないキャラクター。 実は、ものすごくわれわれ家族を愛していたらしい。 いやぁー‥‥。 死んでから「GOOD」というのもズルイですけど、 「今一番会いたい人は?」と質問されたら 迷わず「父!」と答えます。 こりゃまた、マジなホロ苦ばなしですんません。 (埼玉県・女性) 親父、大嫌いだったんです。 なにしろえらそうな態度というか 命令口調で話すところというか 中学から10年近く、 親父限定の激しい反抗期もしてたんです。 大学を卒業する頃にはさすがに 態度に出して反抗することはなくなりましたが ちょっとえらそうな態度を見せられると いつもきれちゃってました。 数年前、大きなトラブルに遭って 示談交渉だの弁護士だの裁判だのという 大事になってしまい、海外への進学を間近に控え、 そうでなくても落ち着かない状況にいた私は もうどうしていいか分からずただひたすら おろおろしていたところ、 親父は黙って面倒なことを全部引き受けてくれました。 それも自分の仕事で寝る暇もない程忙しい中、です。 お金のことはもちろん、示談交渉で随分嫌な思いも したのだそうですが、私にそれを愚痴ることもなく、 ただ淡々と私に代わって全部やってくれました。 もう一人前になった娘にえらそうな口で話すな、 といつも思っていましたが、その時、 自分の未熟さと親父の立派さを まざまざと見せつけられました。 自分自身や家族についての責任を取る、 大人ってこういうことなんだ、 と恥ずかしさ一杯に痛感しました。 数年経った今、自分がどれだけ大人になったか 分かりませんが、いつか親父と同じレベルに 辿り着きたいと思っています。 なので私にとって父親はgoodイメージです。 反発することはまだまだありますけれど、 とっても尊敬しています。 勉強好きだったのに貧乏で大学に行かれず、 それでも自分の専門の勉強を続け、 その道の第一人者として偉くなった、 ほんとに立派な人です。 このご時世に、会社から引き止められ 定年退職できずにいるぐらいです。 会社一筋で家族とのコミュニケーションは うまくいっていませんが、 好きとか仲いいとかそういう話ではなく、尊敬しています。 (たった・海外・女性・32歳) 迷わずGOODに投票しました。 この前まで2年ほど親父と仕事してましたが、 その間にうちの親父が想像以上に 仕事の腕がよいことを知りました。 跡を継ぐとか、同業になるとかなら別ですが、 みなさん自分の父親の仕事の腕がどれくらいかなんて 意外と知らないものなんじゃないでしょうか。 以前は公務員でしたので全くわからなかったんですが、 転職してみて、四十代そこそこで独立した父親が、 会社を維持するのにそれなりに 苦労してるんだろうなあということも おぼろげにわかってきて、そういう意味で ここ最近になってやっと父親の偉大さに 気づきつつあります。 (鳥取から大阪に越してきた・男性・32歳) 私が生まれた年に両親が離婚。 生まれつき父親という存在とは無縁だった私としては、 父親がGoodかBadか、とんと見当がつきません。 でも、物心ついたときから 「お父さんの話は家族間ではタブー」という不安定感や、 「お父さんと名乗る人さえいれば大好きなお母さんは 家にずっといてくれるのに」 という漠然とした憎しみを父親に抱いてきました。 基本的には幸せでしたが、どこか「異性観」「家族観」に 歪みを来したことは確かだと思います。 人から同情されることを極端に嫌うのも、 田舎の狭い世界の中で「特殊な家の子」という視線を 受け続けてきた結果のような気もします。 だからアンケートは断然Bad、と思っていたけれど、 実際にはずいぶん迷ってしまいました。 というのも、私はどうやらファザコンらしいのです。 年齢・未婚or既婚・実際に父親か否かも一切問わず、 その人の「父性」を垣間見た瞬間、 ふにゃふにゃ〜となってしまいます。 思うに私は「知らない、要らない」と遠ざける一方で、 ずっと父性を渇望していたような気がするのです。 人格形成の(たぶん負の)大部分を占めたであろう 「父親」、でも、26年間ずっと求め続けてきた「父親」。 欲しいけど、憎い。知らないけど、求める。 こういう、どうにも割り切れない気持ちを 植え付けてくれた人として考えると、 父親、う〜〜〜ん、やっぱBADかなぁ、という感じです。 (リアルモリゾー・26歳) このテーマ、GOODと言わずに 何をグッドと言えばよいのでしょう。 父親、最高です。大好きです。 父さんがいなかったら、 僕は絶対に今のように生きていないでしょう! ちょっとおおげさですが それくらい僕にとって父親というのは、 素晴らしく偉大で誇らしい存在です。 仕事で帰りが遅い時もしばしばあるのに、 毎朝、朝食と弁当を作り、出勤前に洗濯物を干す等、 家事をこなしています。 困ったときには頼れる存在です。 ここには書き切れない想いが、 父親という言葉にはたっくさん詰まっています。 (パム) 自分の父親に限定すれば、 好き嫌いの感情を超え、 “今後一切関わりたくない” “煩わされたくない”存在です。 アルコール依存症に薬物依存。 それに誘発される私たち子供への 日常的な暴力と犯罪行為。 当時は、親の前で子どもに人権なんて ありませんでしたから、 誰の庇護も受けずに、何とか生き延びてきました。 彼が何度、塀の中や閉鎖病棟の中に入ったか解りません。 柄受けや退院手続きに呼び出されるのは、 いつも長女の私。配偶者は離婚してしまえば 他人になりますが、実子はそうも行かず。 彼が生存している限り、逃れることはできない状態です。 だから、私から見て“ちゃんとした”父親を遣っている 友人たちは、本当に尊敬すべき存在です。 実は、そんな人間として尊敬できる父親を持つ、 友人のお子さんたちに、嫉妬にも似た羨望の感情を 持っていたりもするのです。 幾等望んでも、絶対に手に入らないものだから。 いつか父がこの世を去ったら、 やっと自分の人生が始まるような気がしています。 (都心に勤務し都下に住む、 独り暮らしの会社員・20代後半) 大学生頃までは無意味に反発を覚えていたけれど、 結婚とか子供とかが自分のことになって (予定はありませんが(笑)) 彼が父親になったときとか、 歳を重ねていくことが実感を伴ってきたときになんか、 父親として頑張っている先輩や同級生の姿も重ねて 哀しさを感じてしまいました。 最期は夫婦二人よね〜と思ったりもして。 だから、それも含めて頑張れというエールをこめて GOODです。でも複雑です。そう考えること自体、 自立できていないんだろうな。 だって、子供ってやっぱり離れていくものなんですよ。 多分。 そう思う反面こんなこともありました。 大学生になって独り暮らしをし始めて、 少しは自立できたのかと思ったけど、 切羽詰った状況のときの自分の行動や考え方が 父親に影響されていると思ったことがあって、 がっかりすると同時に自分の親なんだなと思いました。 親の言葉や存在が支えになることは多々あるし、 感謝もしています。 でも、いつかはいなくなる存在なんだとも思っています。 (とびぃ・東京都・26歳) 結婚もしていますし 40代のハゲおやじのくせに 自分は父親ではありません。 以前はそういう選択もアリ。 と考えていましたが、 医学の進歩のおかげなのか 30代後半や40代になってから 父親の仲間入りする友人達が増えだし 子育てにがんばる父親としての姿を見ていると 少々心が揺れます。 今は、老後の不安とか、 少子化による日本の将来の不安とかは あまり考えませんが やっぱり、見ていると 父親ってGOODだなと思います。 もちろん母親もGOODですが 働く父より、育児の父がかっこいいです。 (Cane・東京都) 父親に限らず母親共々、 自分を育ててくれた両親は何よりも 尊敬に値します。故にGOODです。 高校卒業してから実家を出て 一人暮らしをして今に至る私。 子供の頃は楽しいけど怖い父。 実家を出る年頃は正直ちょっとうざったい存在でした。 でも大学を卒業し、仕事をすると 「仕事」と「社会」というものが垣間見れて 父親って凄いんだなぁと感じました。 田舎と言えども30代で自分の家を建てるって 凄いんだなと感じました。 一風変わった父ですが、夕食には家族全員が なるべく揃って今日1日あった事を語り合う、 本を読ませる、判らない事は人に聞かず 先ず自分で辞書やらで調べる。 社会人になり、こういった父の教育の仕方に 改めて感謝する日々です。 幼少時代には困難な事を体験したそうですが、 それを感じさせないいつも明るい父でしたが、 私が中学生の頃に祖母が亡くなりました。 そのとき夜中に棺の前でいつも明るい父が 一人声を殺して涙を流している姿を見て切なくなり、 子供ながらに何というか私もがんばらねばと思いました。 昨年で定年退職をした父ですが、 まだまだバイタリティあふれる父。 昔とった杵柄のボクシングでの指導に加えて 登山の趣味を始めたりと新しい事へ挑戦する 父の姿に感心します。 お酒はちょっと控えて、健康に気をつけて 母と共に元気でいて欲しいと願います。 そしていつの日がどーんと親孝行をしたいと考えています。 (UCO・東京都・女性・29歳) GOODに投票しました。 理由は単純に、お父さんが好きだから。 喧嘩っぱやいし子供っぽいし生活の心配しないし 母にとってはどーしようもない旦那さんですが 私にとっては小さい頃から博物館や動物園に 連れて行ってくれたり、本を読んでくれたりした いいお父さんです。喧嘩もたくさんしたけど。 でも70代になった今でも子供のように 「今、樋口一葉に凝ってるんだ!」などと言って 色んなことを勉強しては嬉しそうに話す 幸せそうな父が好きです。 この年になってから、色んなものに興味を持ち 「学ぶ」ことに楽しさを見いだせるようになったのは 父のおかげです。お父さん、ありがとう!! (ぽち・東京都・女性・32歳) あたしはBADに投票しました。 自分がこんなだったらいいなあと思っている父親像と、 現実の父親が違うからです。 母親にはかなり本音で話せます。 母もあたしの話を受け止めようとしていることが、 確かにわかるんです。 でも父とは、こんなキャッチボールが出来ません。 父はあたしに興味がないんじゃないのかな、 とすらおもえます。 「父親」って、自分もしくは 自分のパートナーが父親になった時に GOODのウエイトが増すような気がします。 それまでは理解の範疇を超えた存在だったのに、 いてくれて良かった、と今は心から思います。 (かりん・岐阜県・かろうじて30代) 10年前に離婚してあまり連絡も取っていない父は もう20年近く無職です。 働かずに祖母の家に引き篭もっています。 だから、BADです。それしか言えないのです。 物心着いたばかりの頃に優しかった父が なぜ廃人生活になってしまったのか なにがきっかけなのか娘の私には分からないけれど、 もう二度と汗水たらして働く気力がないことと、 父親としての立場を放棄してしまったということだけが 事実です。 私はそれを特に気にもしないで 楽しく大学生活を送っている(つもりだ)けれど なぜか、友達にはその事実を言うことができないでいる。 そして映画などに出てくる、ぶっきらぼうでいて 子供思いな父親を見ると、ときどき胸が苦しくなるのです。 なぜ、うちはああじゃないんだろう、と。 休日にドライブに連れて行ってくれたり、 一緒に映画を見に行ってその感想を言い合ったり そんな何気ないことを、 「お父さん」とやってみたかった。 もう、叶わない願いだけれど。 自分自身の父親からのイメージです。 10代頃から何かと女は本を読むな 女に学問はいらないと云われ続けられ 何かにつけて男の子達と差別され 最近妹も同じ様に思っていたのがわかって驚き、 私は良いイメージがありません。 もちろん「GOOD」です! わが父、昭和一桁生まれで頑固者。 教職者として長年勤め上げ、 今は町内会長と交通指導員をやっている。 じっとしている事がキライで、曲がった事も大嫌い。 男気が強く、頼られると断れず、いつも全力投球で、 教え子達に家族以上の愛情を注ぎいでいる・・・。 そんな父を心から尊敬している娘としては 当たり前に「GOOD」で〜す! あっ・・・自慢話になってしまった。ごめんなさい♪ (札幌の主婦・りん・41歳) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 次回の投票開始は、3月21日(日曜)の予定です。 テーマもその時に発表しますので、 ぜひ参加してくださいね! その時のあなたの考えについても、 どうぞメールをお寄せください。
|
2004-03-17-WED
リクツはとにかく、自分自身の気持ちが、 こいつをグッドイメージ(GOOD)でとらえているか、 バッドイメージ(BAD)でとらえているか、 率直に答えてください。 どちらでもない、という気分の場合は、 むりやりにでもどちらかに決めてくださいね。 ついでなので、年齢層と性別と地域もクリックしてね。 あとで、傾向なんかを探ると、また遊べそうだから。 ついでに、テーマとしてとりあげてほしいモノゴトも 募集いたします。 宛先は、メールで goodorbad@1101.comまで。 タイトルは、必ず、「モノゴト」としてくださいね。 (締め切りは、16日(火)中です。 結果は17日(水)に発表します。 次の更新は21日(日)の予定です。) |
2004-03-14-SUN
戻る |