GOODorBAD
大投票GOODorBAD?
あらゆるモノゴト、いまどっち?

「大投票GOODorBAD?monogoto#0030農業」
にいただいたメールです。
ぜひお読みください。



は「BAD」に投票しました。
実家が山葵の仲買をやってるので、
ちっちゃいころから
農業に携わる人たちと話す機会が多かったのですが
子供ながらに彼らの持つ「しょうがないや」
的なモードが、どうにも耐えられなかったのです。
天候とか土地とか、「しょうがないや」で済ませなきゃ
前に進めないものを相手にしているからだったのかな
と、今は思うけど
生産する人の「しょうがないや」って、
市場に出てみると全然しょうがなくなくて
むしろ 単なる「ワガママ」になるんです。
で、「ワガママ」をそのまま市場に出すわけにもいかない
そんなもん、売りたくないですから
で、仲買の親父が苦労する。
それを見てきただけに・・・です。
高校を卒業するくらいの時期に、
生意気にも「それを変えなきゃだめだ」って
親父に言ってみたことが あったのですが
結果、親父の、非常に微妙な表情を
見ることになってしまいまして
「あぁとんでもないことを言っちゃったな」って気持ちと
「こりゃ 俺には継げねーや」って気持ちになりました
(京都・匿名・23歳)

BAD。小さい頃から 両親の大変さをみてるからです。
完璧を求めるほど、費用がかかるし体力も使う。
同居の祖父母達といつも仕事の事でもめていました。
そのとばっちりが子である私達にむけられていました。
三人姉妹の私達は、誰が『婿』をとって
後継者になるのかと、いつも押し付け合っていました。
が、結局 三人ともサラリーマンに嫁ぎました。
両親は『後継者がいない方がのびのびやれるし、
こだわって物作りができる』と、言ってます。
確かに野菜でも米でも、美味しいんです。
でも、自分で作りたいとは思いません。
(北海道・38才・女性)

GOODに投票しました。
うちの旦那の実家は信州で田んぼや畑を
持っています。普段家で夕飯も取れないくらい
忙しい毎日なのに、必ず繁農期には帰って
母の手伝いをしている旦那の姿には、感動します。
私は、落穂拾いや機械では纏めら無かった落穂を
纏めたりするだけだけど、田んぼの中で
一心不乱にやっていると心が無になり、気分爽快。
土手叩きから始まる田植えの作業も
順番を肌身で知ると楽しいし、稲の生育を芽を割って
調べるという義母の話に、農業の奥深さを感じます。
(ぼん太)

チのじいさんは農家やってました。
カイコ・桑・ねぎ・こんにゃく
(じいさんは'こんやく'と呼んでいましたが)
その他もろもろの野菜、典型的な
群馬県西毛地方の農家です。
この前の「ダウンタウンセブン」でも
質問に挙がっていましたが、
農業というのは、相応の年齢に達した人間にとっては
なかなかの重労働です。
僕は農法の問題に関わらず、重労働だと思っています。
ですが、じいさんは止めませんでした。
病気が見つかったときも
「働いて治す」と言って、
地域のグランドを全て「草削り」
(群馬弁で、「草刈り」のことです)
してまわりました。
死ぬときも、自宅の周りの草を
すべて削ってから逝きました。
僕には理解できませんでした。
冗談好きで、若い女の子好きのじいさんが
大好きでしたが、じいさんのような生き方を選ぶことは
ないと思ってきました。
けれど、darlingが番組で
「働きたい人が余っている」とおっしゃったとき、
何かがつながった気がしました。
じいさんは言いました。
「はたらかねえとメシがまずい。」
焼いたあとのじいさんの骨はとても太くて、
立派でした。
じいさんの孫であることが誇らしいほど、
立派なモンでした。
農業には、重労働に増すやりがい、
逆に重労働だからこそのやりがい、
があるのだと思います。
働いても働いても惜しくない成果を、
もっと働きたいという気持ちを、
与えてくれる職業なんじゃないでしょうか?
事実、じいさんの畑は、
なんとも言えない美しさがありました。
自分が働くようになって、結婚して、番組を見て、
ほんの少しだけ、その気持ちが理解できる気がします。
うまく言えてないんスけど、だからGOODです。
(26歳・会社員)

業というと、ここ鹿児島では、
きつい苦しい儲からないというイメージが
脈々と受け継がれていると思います。
周りには田んぼと畑ばっかりなのに。
日本でも有数の農業王国で
おいしい食べ物がすぐ手に入るのに。
なんか違うんじゃないだろうかと
思っていた去年の夏、ある考えに思い至りました。
それは「じいちゃん、ばーちゃん達に騙されている」
というものです。去年の夏、
朝の4時頃サーフィンをするために車を走らせていると、
田んぼにはもうじーちゃん、
ばーちゃんの姿がありました。
いつもは、「こんなに朝早くたいへんだなー」
と思っていたのですが、その朝は、
サーフィンと田んぼがイコールで
つながってしまったのです。
「もしかして田んぼってサーフィンと同じぐらい
 おもしろいんじゃないか?じゃなかったら
 朝の4時に田んぼには来んだろう。
 田んぼは大変とずっと聞かされてきたけど、
 サーフィンだって大変だ。大変だけど面白い。
 きっと田んぼも一緒だ!じーちゃん、
 ばーちゃん達はこの楽しみを隠してるんだ。」
と思ったのです。そう思った途端、
田んぼが無性にやりたくなったのです。
田んぼといわず農業がやってみたくなりました。
そして去年の秋から畑を作っています。
大根、にんじん、ほうれん草、
水菜どれも結構うまく出来ました。
やっぱり、予想どうり、いや予想以上に楽しかったです。
(yaeo takasi)

イントは「農業」の定義づけみたいなところに
あるような気がするのです。
1つは、「畑仕事」のイメージの農業
もう1つは、「産業」の1分野としての農業
もちろん両方の側面あっての農業なんですけど。
私は「産業」が頭に浮かんで
そのため農地って既得権益?
農協って農家の人みんな関わってる?
お役所による画一的な野菜?
収益第一で、農薬たっぷり?
なんで、自分たちより上の世代は
「昔の野菜は美味かった」って言うの?
といった疑問が頭に浮かんできて
BADに投票してしまいました。
でも、こういう感じの点もあるので
ビジネスとして新規に参入する隙があるような気もして
そのビジネスは望ましく感じられたりします。
また、「畑仕事」のほうで考えると
自分で「畑仕事」をするのは楽しそうだけれども、
生産者から店先に並ぶまでで
ステレオタイプの、なんというか、
「手作り」みたいなラベリング、
ブランディングをされたりすると
正直うんざりする思いがあります。
多分「手作り」って名乗ってもらうことよりも
「こういう土地で、こういう農薬を
 このぐらい使って、この人が作りました」
という情報公開とでもいうか、そういうものが
欲しい気がします。
問題なのは「農業」というように
「産業」のなかで育った野菜より
田舎のおばあちゃんの家庭菜園で育った野菜のほうが
おいしそうに思えてしまうことではないかと思います。
(ナサケ・23才・学生)

し迷いましたが、goodにしました。
今ほぼ日のなかで農業に対する関心が
高まっているのは知っています。
とても大きなプロジェクトを進めていることも。
正直な感想は「それってどうなのよ」なんです。
私は新潟の片田舎に住んでいます。
周りは田んぼだらけです。畑もあります。
でも親を始め、私も農家ではありません。
でも母親の実家が農家だったので(それもかなり大きい)
それなりの実態は知っているつもりです。
少し前から都市部に住んでいる方
が田舎に移り住む現象が起き始めました。
脱サラして農家になる人も現れましたね。
生まれてこの方田舎に住んで、
農業を間近に観てきた私は
「なんだかなぁ」と思ったんです。
憧れだけで動いているんじゃないの?と。
そうでない方ももちろんいらっしゃると思います。
でも大半が都会の生活に疲れて、
癒されにきているんだろうなって。
そんな気持ちじゃ田舎になんて住めないし、
農業なんてとんでもない。
自然を相手に仕事をするのは
並大抵のことではありません。
不可抗力だって大いにあることなんです。
更にそこから利益を生むまでに収穫するのは
至難の業でしょうね。
難しいから専業農家が減っているわけで。
冬に動けないから出稼ぎが生まれるんです。
農業は人を生かす仕事です。
これがなければ私たちは生きていけません。
だからBADにはしませんが
勘違いしている方が多いように感じています。
農家が相手にするのは生き物です。
生き物は成長し続けます。
雨も降ります。40度を超す炎天下の作業だってあります。
熱があったって、だるくたって、 待ってはくれません。
そんなことも含めて「ほぼ日」で
伝えていって欲しいなあと思います。
どんなに丹誠込めても結果が出ないことだって
当たり前にあるんです。・・・・・ね?
(新潟県・女性・30代)

っぱり自給自足ができる国って
根本的な部分で力強いですよ。
フランスは200%ぐらいじゃないでしょうか。
もちろん輸入品も多いですがチーズや
ワインの例を取って見ただけでも
世界に誇る農産物があるって
(チーズやワインは加工品かもしれませんが)
すごく羨ましい国だなぁと思います。
(と言う事でここの国では特に農業は
 グッドなイメージです)
人々は美味しい野菜を安い値段で食べられます。
(ここはポイントです)
日本は輸入品が多く、しかも何もかも高いですね。
日本の農業の事を考えると暗い気持ちになります。
確かに無農薬で質のいい農作物を作ろうというのは
いいことですがこれが値段が高ければ
一般の人々にはそういうものは行き渡りませんね。
毎日食べる農作物に関して本当に
日本は高すぎます。
日本の農業は値段を下げる努力は
怠っているような気がします。
健康的な農作物を安い値段で作るフランスに
学んで欲しい・・・
(さがん)

は、goodに入れました。
少し前だったら、badだったかもしれない。
とても大変な仕事だし、
自然が相手だから、思い通りに
ならなかったりするだろうし、
そういう意味で、badというよりheavyという意味で、
badにしたと思うんです。
フランスに来て気が付いたのは、
野菜が腐りにくいこと。
日本の野菜は、トマトでもなすでも、
すぐだめになってしまう。
でも、こっちの野菜って、足腰が強いって言う感じです。
フランスは、実は農業国なんですね。
もちろん、産地は時期によって違い、
EU圏内のみならず、いろんな国からやってきています。
でも、しっかりした野菜があると、
野菜料理もしっかりした料理になる。
農業に力を入れる国策っていうのは、
そういうことなんだと思いました。
人の身体に必要なものを、サプリメントでなく、
ちゃんと食品で取る。
そういう基本のために、しっかりとした野菜がある。
こういう方向の方が、健全なように思います。
なので、今回は、goodです。
(クララ)

海道在住の65歳のおじさんです。
定年してから今日まで、家庭菜園をやっています。
広さは約20坪ぐらいですが、苦労もするけど
楽しみが勝ります。新鮮な野菜等をいただけること、
また人様に差し上げて喜ばれると、
嬉しさ楽しさが増幅します。
足腰の丈夫なうちは続けたいと思っています。
なお、住宅街で烏骨鶏も飼っています。
住宅街のためオスは、
鳴き声で近所迷惑なのでメスだけですので
少し彼女達が可哀想な気もします。
菜園は農業とはいえませんが
農業万歳です。
(野間 行夫)

に投票しました。
母は、幼い頃から畑にかり出されていた経験から
「町で買い物カゴを下げて八百屋さんに行く」
生活に憧れ、父とお見合いで結婚しました。
私はそんな母から農業についてのよくないイメージ
つらい、キツイ、割に合わない、というようなことを
植え付けられてきました。
母の兄は頭の良い働き者で、
全国的に有名な深谷ネギを中心に
大きく農業経営を展開しています。
トラウマがある私でさえ
叔父の姿は「カッコイイ!」と思います。
しかし、ここでもう一つの問題が。
後継者が、つまり叔父の長男が、
農業の感覚の欠如した人物なのです。
農業が向いてないというか・・・。
ここだけの話、あまり賢いとは思えない
お坊ちゃまなのです。
農家は世襲制の中小企業みたいなものですから
こうなるともう・・・。将来が心配です。
(埼玉県・女性・40代)


れからの私たちは
自分の住んでる土地で
生産して消費していくのが
一番良い様な気がします
農業を生業とすることが
会社に勤める様に
ごく自然になれるような
そんな社会になるように
なったらいいなーと
思ってます
輸出、輸入にあまり頼らなくても
なんとか食べて行ける社会に
なったら
なんか自立した国になれそうな
そんな気がしませんか?
(ぶるま)


YES(GOOD)に投票いたしました。
この春から、脱都会。
とある過疎気味の土地に引っ越します。
理由は自分で野菜を作りたいということが一番なんです。
もちろん、農業でやっていくと
いうことではないんですよ、
あくまでも自分の為にちょこっとなんですけど。
先日、友人が農業研修に参加して
びっくりして帰ってきました。
水菜の栽培農家だったそうなんですが、
なんと基準よりたった1cmくらい
短かったり長かったりするだけで、
もうその野菜は存在しないも同然になるそうです。
つまり規格にあわない。
買い取ってもらえない商品になるわけです。
そんなばかなと彼女もおもったそうですが、
それが日本の農業での実態で作っている
農家の方もそれを悲しいこととして
語っておられたようです。
お米も無農薬で作っている方が、
そのために虫がやや普通の農薬を使ったお米より
多く付いているために
農協ではねられていることも伺いました。
なんだか、ばかばかしいですよね。
本当に安全でおいしいものが
その程度のことで抹殺されている現状。
これこそ無駄だと思います。
その規格に合わない野菜だって生き物ですよね。
人間だって背の高い人や低い人、健康な人、
病気の人いろいろいるわけですから。
一生懸命育てた野菜が
うちすてられるのをみるのはつらかったと
友人は言っていました。
作った方々の気持ちはいかばかりかと
お気の毒に思うと同時に
やりきれない怒りのような感情をおぼえました。
私は自分で野菜を作って、そしてその全て、
不恰好な物も飾っておきたくなるほど
見た目の良いものもちゃんとありがたくいただきたい。
牛や鶏や豚などの肉だけが命があったんじゃない。
野菜も全て命。
そのおかげで栄養やミネラルなんかを頂いています。
農業は全ての人にとっても命だし
もう、これはものすごいイエス(グッド)です。


BADです。
本当は良いイメージなのですが
今の農業では生活できない。
我が家は農業をやっていて今は廃業状態、
跡取りいないし父はもう老人。
とても苦労してミカン農家を続けてましたが
身体が思うように動けなくなるし、
農業だけの収入では
とても家族を養って行く事は難しい世の中、
作物を育ててそれを食べて行くのには良くても、
今は現金が必要、
そのお金を稼ぐ手段としての農業はとても大変。
私は農業で暮らして行けるなら最高と思いますが
暮らして行けない現実が両親を見ていて実感、です。
農業でも暮らして行ける世の中になって欲しいです。
(ミスト)


べ物を生産することはとても大事な職業なので
グッドに投票しました。
でも、みかん畑のすぐ隣に住んで10年になるのですが
農家の仕事は大変です。
(都市部に生まれ育ったので、
 作物を作る場を見る機会は
 それまでほとんどありませんでした。)
みかん畑では、3月から収穫の少し前(11月ごろ)まで
農薬を年に20回近く散布します。
農薬をまき始めたら、慌てて洗濯物を家の中へ入れたり、
窓を閉めたり大変です。
広いみかん畑では半日以上かかります。
撒いている方は雨合羽を着て
全身農薬まみれになりながらの作業です。
近くに住むものとしては農薬なんて撒かなければいいのに
(わたしは頭痛や目が痛くなったりします)と思いますが、
農協の指導に基づき、
農薬散布していないと買い取ってもらえない
とかいう話も聞きました。
農薬をまいてないと黒皮症とかいって
皮に黒いぽちぽちが出て見た目が悪くなるのだそうです。
農家は自宅用のみかんには農薬は撒かないようです。
見た目が多少悪くてもみかんはこんなものだと思えば
それまでです。
消費者が見た目のいい作物を求めるがゆえに
大量の農薬が撒かれ、
農家の人の健康も害される・・・・。
ばかげてるなあと思います。
環境にも人体にも優しい農業を
これからは期待したいです!
消費者も食べる(買う)だけでなく、
生産の場にも目も向けていかなければ
いけないのではないでしょうか。
(へなそうる・静岡県)


れからは、「食」を握っている人の時代だと
思うけど、「農業」にかかわるのは怖いです。
何年も前に見たテレビ番組で
年老いて腰も曲がった農家の女性に
インタビュアーが質問している中で
「うちの娘だけは絶対農家にお嫁には
やらない」
といっているシーンを見てしまいました。
もうそこだけ強烈にインパクトがあって
このせりふは忘れられません。
例えば、農業は「彼の夢」でやるとしても、
そこに奥さんはどういう気持ちで関わって
いくんだろう?
「彼の夢」は「彼女の夢」となるんでしょうか?
(みつだ かずな)


初Goodのイメージで投票をしようと
思っていたのですが
今日聞いた話でBADということにいたしました。
とある地方の温泉で聞いた話。
「来年が契約の更新時期なんだよね
 昨年は多分1俵15,000円ぐらいで売れたから
 今度の更新時は米が売れなくなるから
 多分こちらから払わなきゃいけないんだよね
 これまで米作らなくても儲かったのに
 これからは払わなきゃいけなくなるのか・・・」
と話していたからです。
農家で米を作っても儲からない
という話は聞いていましたが
あまりに現状を認識していないことに
ちょっとあきれてしまいました。
私が知っている範囲ですが
米を作ってもある一定以上の規模でないと
黒字にならない(自分の土地であっても)
ということもありますし
実際耕作者にお金を払って
耕してもらっている方を何人か知っています。
あと気に入らないのが
米がいくらで売り渡されているのかを
確実に知っていないことと、
米の状況をこの期に及んでも
全くわかっていないことです
この農家は単なる土地家になっていることの
証明ではないでしょうか。
またその会話の中で
「昔は公共事業があったら仕事があったけど
 今は無いから農家を継ぐことは難しいなあ」
という言葉があったことにもちょっとショックでした
農業が産業でない!? ことなのかな。
多分米農家という意味であってほしいのですが
きちんとやられている方もいるので
農業の構造に関して考えさせられる一コマでした。
(MH☆・茨城県・男性)


GOODにしました。
何故って?
それは必要不可欠なことだから。
生きていくことは食べることでもあるし、
農業はその大切な食べ物を慈しみ
育てて提供してくれることだもの。
以下は、私のほんのささやかな農業体験です。
8歳まで京都の北山で過ごしました。
まだ周囲は田んぼや畑が多くて、
よく遊んだものです。
ある日突然父が
「とうもろこしを作るぞ」と言い出して、
つぶつぶのとうもろこしの種を買ってきました。
私たちが日頃食べているあの粒粒が
種だったことはこの時知ったこと。
縁側に小皿が並べられ、
ひとつひとつに水を含ませた脱脂綿をのせ、
そこに種を並べて行きます。
「たまに芽を出さないものがあるんだ。
 こうすれば芽が出たものだけを畑に移せるからね」
と父。
ひからびたように見えた種から根が出てきた時には
「生きてる!」
と驚きました。
その根には細かな毛が生えていたこと、
芽は根が伸びてからゆっくりと顔を出すことなど、
理科の授業よりも鮮明に覚えています。
二葉が出て、さらに伸び始めた時、
父が日曜日1日を費やして耕した元花壇に
一つ一つ丁寧に移植。
しばらくすると、さらに間引き、
丈夫そうな苗だけが畑に残されました。
夏休みに入ると私の背丈よりも高く伸び、
立派なとうもろこしが育ちました。
「京都の土は山の土だからよく肥えている」
と満足げだった父。
毎朝もぎたてのとうもろこしが食卓に並びましたが、
不思議と飽きることはありませんでした。
農業に携わる方々が、
より美味しいものを提供しようと
環境にも配慮しながら
あれこれ工夫していらっしゃることは、
その後仕事でお会いした何人かの方々から
直接伺いましたけれど、
幼いときのささやかな体験のおかげで、
そのご苦労が目に浮かぶようでした。
だから、アンケートとは関係ないけれど、
農薬の規制を強化するにあたって、
マトモな基準一つ決めずに
単に“不自然な手の加え方”だからと
合鴨農法まで規制しようとする行政のやり方には、
ひどく腹が立ちます。
“不自然な手の加え方”なんていう基準をベースにしたら、
農業そのものを否定することになる。
自然とうまく折り合いをつけるやり方を工夫してきたのが
まさに農業のあり方だと思うから。
サラリーマンの息子だった父が
誰に農業を教えてもらったかというと、
彼の実家のご近所の農家の方。
終戦直後は多くの人が食料確保のために
畑仕事に精を出していた時代でもあったんですよね。
自分達が食べられる量ぐらいの野菜が作れたらいいなあ。
なんて、ハーブに侵食されている我が家の庭を眺めながら、
ときどき考えたりします。
(當間紀子)


がなんと言っても
(日本の)農業はBADです。
イトイさんも多分同じでしょうが、
私たちの年代(昭和20年代に生まれました)は
農業がとっても尊い仕事だと教えられて育ちました。
おひつを跨いだりしたらとても怒られましたし、
弁当の蓋についたお米は
お百姓さんが苦労して作ったものだから
必ずみんな食べるように教育されました。
梅雨時には学校で、みんなは雨がいやだろうけど、
お百姓さんにとっては大切な雨だから、
喜びましょうと言われていました。
ですから、農業関連の事に関して悪く言うのは、
心にやましく感じてしまいます。
でも今、街で会社勤めをしている私は
自分の娘が農業に従事する人間と結婚したいと言ったら
(言わないと思うけど)、
もちろん本人の自由を尊重しますが、
自分としては反対だと言うと思います。
そして、出来る限り反対するでしょう。
その気持ちを論理的に説明するのは難しいのですが、
おおよそ以下のようになります。
本来、農業は自然を相手にする
雄雄しい仕事だという思いがあります。
農協は、小学校で教えられたように
本来みんなが協力して農業を成功させるための
団体だと考えるのは青臭い子供じみた考えでしょうか。
私には、日本の農業従事者(特に農協関連)は、
きたない選挙を繰り返して
自分の目先の利益を追求して
自滅しているだけの人々にしか思えません。
よく、農業はたいへんなんだ
そんなに言うなら自分でやってみたらという
意見を言う人がいます。
私は、いやな人は農業をやめればいいと思っています。
適合できない中小企業が、
悲しいけどつぶれていくように、
小さな小売店が成り立たなくてやめていくように。
そして、他の職業の人がみんな楽をしていて
自分たちだけが、大変な目にあっていると
思っているのなら。
農業従事者の方は、社会奉仕の気持ちで
その職業をやっているわけでは無いでしょう。
日本の食を守るためにその職業をやっているのなら、
それは個人が犠牲になるべき事項では有りません。
国民がみんなで考えることであって
誰かが犠牲になって行なうことではありません。
職業として、農業を選んでいるはずなのに、
農業はサラリーマンとはわけが違うからとかいう意見が
出てくるのが不思議です。
誰に強制されて農業をやっているのでしょうか?
日本の農業は、最終的に会社組織で経済合理性を持って、
法律を遵守して科学的に行なわれるべきだと思っています。
そして自ら農業を職業にしたいと思う人
(けっこう沢山いるはずです)が、
誇りを持ってその職業を選択すべきです。
私は、今日本の農業がめざしている、
おいしくて高い野菜や、
安全でおいしくて高い米が実は気に入りません。
(イトイさん御免なさい)
地球上の60億の人々の、
多くの飢えている人々とは言いませんが、
普通の地球人の一体何%の人が
日本の農業生産品を買える財力があるのでしょうか?
日本の農業は日本人だけを対象にしていれば
本当にいいんでしょうか?
みんなが、おいしくて安全なものを望んでいるはずだ。
そういうものを作っていけば
みんなに支持されるはずだと言う意見の方。
そのみんなは、決してこの太陽系の
第3惑星に共に生活する人々ではなくて、
東海の小島に住む地球の
3%にも満たない人の中でのことです。
(eiji・53歳)


業は本当に厳しいです。
それが私が子供の頃からずっと思っていたことです。
そして嫌いでした。
周りも農家が多かったのですが、
うちは農業をしています、
と言うのが恥ずかしかったです。
小学生の頃から家族は皆忙しく働いていて、
週末になると子供である私達も
手伝いにかり出されました。
真夏の炎天下での草取り、
雪がちらつく真冬の冷たい水を使っての
大根洗い‥‥
気候の厳しい地域での農業は本当に厳しいものです。
そして農作業自体も単調で繰り返しが多いのです。
小学生の頃から自分の事は自分でする、
家族のための夕飯作りや、
掃除洗濯も私や姉達の仕事でした。
他の家の子はお母さんが何から何までしてくれて、
週末は皆で買い物に行ったり
どこかに出かけたりしているのにどうしてうちは‥‥
と悲しくなった事もたくさんありました。
もちろん嫌な事ばかりではありませんでいた。
畑の畝の中にひばりの巣を探しながら
ひばりは巣から離れたところに着地して
巣を守るんだよ、と教えてもらった事、
田んぼの用水路でめだかを探した事、
今でも大切な思いでです。
大人になった今、実家を離れ
全く農業と関係のない仕事をしながら
心は農業に戻って行ってるのかもしれません。
あの辛く厳しい農作業や悲しかった思い出を含めても、
いつかは農業をしても良いと思っている自分がいます。
忙しかった両親に
余り構ってもらえなかったかもしれませんが、
愛されていないと感じることはありませんでした。
税金の事など悪い意見もありましたが、
ほとんどの農家は頑張っているのではないでしょうか。
何もしないで作物は育ちませんから。
私はこれからの日本の農業が心配です。
今耕している田畑を誰も耕さなくなったら、
農作物の全てを輸入に頼ったら、
日本はどうなるでしょうか。
脱サラで農業をやる人がいても良いと思います。
農業の厳しさなんて実際やった事のある人しか
分からないんですから。
少しでも多くの人に関心を持ってもらう事が
大事なんじゃないかと思います。
(新潟の農家の娘)


ちは兼業農家でした。
子供の頃は「農業」って、つらくて、厳しくて、
地味なイメージしか持てませんでした。
明治生まれの頑固一徹なおじいちゃんが
「農業は死ぬまで勉強だ」といって、
雨の日でもカンカン照りの日でも、
何キロも離れた畑や田圃に歩いて通っていました。
当時は頑固なおじいちゃんも
農業も好きになれなかったけど、
自分も大人になって、
やっとおじいちゃんを尊敬できるようになってきました。
きっとつらいことも、
失敗してしまったこともあっただろうけど、
決して多くは語らず、全てを自分の糧にして、
「死ぬまで勉強」と
農業と真摯に向き合っていた
おじいちゃんの姿が目に浮かびます。
やはり「農業」は国の礎。
おろそかにはできません。
いままでは、
農業=おじいちゃん=畏怖の念だったのですが、
年をとるにつれて、
やはり農耕民族の血が目覚めつつある今日この頃。
農業の未来に、日本の未来に、期待の意味も込めて
GOODに一票です。
(モリー・新潟県・女性・34歳)


の卒業した自由学園 というとこは、
東京のはずれにある10万平方メートルの
キャンパス内の農園で、生徒が育てた野菜が、
これまた生徒が用意した昼食として
全校生徒に振る舞われたり、
食料部の前で売ったりしてました、
男子部が管理してた竹林では毎年タケノコが採れて、
これも木の芽和えやタケノコご飯になって
寮でも食べていました。
男子部の生徒は、この竹を使って灯篭を作り、
私たちの卒業式の会場になった講堂から食堂、
そして正門までの路を燈してくれました。
寮生は毎朝5時半に起床してたり、
授業として『労作』という時間があって、
全校生徒一斉に、クラス毎に堆肥を作ったり
教室や廊下を“おから”で磨いたりする
『自労自治』の精神を、
時代錯誤だと恥じていましたが、
コンピューターや母国語以外の言語能力が
持て囃される現在でも、
やっぱり基本は『健康な身体』に尽きる訳ですし、
きっとこの学園の精神は今も、
そしてこれからも『原点』であると確信しています。


業がBADなのではなく、
工業規格品と農業生産物を取り違えてた
高度経済成長期の価値観が悪いんだ!と
農家の孫(というか、姪ッ子)としては思います。
私が育った母親の実家では自宅消費
&地元の「市場」用にはわりに安全性の高いものを作り
大都会へ、マスで出荷する分には
農薬や科学肥料使いまくってた時期があります。
なので、作り手の存在の
わからない農産物は怖い! のです。
農薬の毒性の強さも知ってマス。
農業用機械を買うと採算が取れなくなる家が多いことも。
でも、悪いのは農業そのものじゃないと思ってます。
豊芦原の瑞穂の国、である以上、
農業がGOODでなくてどうする??
(ぽよ・兵庫県・女性・36歳)


(39才)は専業農家の娘です。
父(69歳)と母(63歳)は名古屋近郊、
知多半島で蕗を作っています。
近所は蕗の専業農家がたくさんあって、
出荷も農協の共同出荷です。
蕗は知多半島が全国の60−70%を占めているそうで、
値段も安定しており、 まあまあの出荷額があります。
しかし、仕事は非常にキツイ!
とても私は継ごうとは思いませんでした。
母たちもこんなに大変な仕事を娘にはさせたくない。
と言っておりました。
旦那は会社員です。
今は出荷の時だけ手伝いをしております。
小さなときから土いじりは好きでした。
でも、農業をやりたいとは思いませんでした。
お金を儲けないくてもいい、
楽しむだけの農家なら楽しいでしょうが、
お金儲けをしなければならない農業は大変過ぎます。
いまだに父たちは蕗作りをしていますが、
出荷の時は朝5時前から起きてほとんど休みなしに
19時まで仕事しています。
昔(私が小さなとき)は
夜も10時過ぎまで仕事してました。
だから、農業が夢のある仕事だなんて
都会の農業を知らない人が言うと違和感を感じます。
確かに変なストレスのある会社の仕事よりは
いいところもありますが・・・
(たま・愛知県・39歳)


は、農業にはどちらかというと
バッドなイメージがあります。
学校の給食室で働いているので、他の人と比べて、
毎日野菜と対面していて、痛切に感じることがあります。
まず、
 国や農協のやり方・農業の育て方がまずおかしいこと。
 もうけ主義が多いこと。
 安全性とか、全く考えていない方が多いこと。
 本物の味がなくなっていること。
たぶん、こんな方(こと)ばかりではないと思います。
私たちもいけないんです。
”きれいで、まっすぐ、虫もいない・
 安定した価格の野菜”を求めているので。
また、通年、たまねぎ・にんじん・
じゃがいもを使う献立なので。
今、地産地消が流行っていますが、
これは、あたりまえのこと。
それを、なくしてしまってきたのは、
私たち日本人なのです。
今後の農業のあり方、
本当に真剣に考える時代だと思います。
子ども達に、「将来 農業をやりたい!」と思わせる、
そういう大人が一人でも増えるといいなと思います。
農家の方も、がんばってください。応援しています。
(鹿児島県・女性・30代)


の家は専業農家なので、
バッドの理由になってる「産業としての農業」が
すごーくよくわかるので、
半年前なら「バッドに決まってるやん!」だったでしょう。
ところが、去年の9月頃に父母が
「今年の新米は農協に売らずに、
 個人で売る事にしたから営業して来い」
と指令が出まして(笑)、
取りあえず会社のみんなに宣伝したんですね。
ちなみに値段は10キロ3,000円。
最初は「まあ、余裕があったら買ってよ」
ぐらいな気持ちで話をしていたのですが、
皆聞いた途端に
「買う!絶対買うから予約する!」と言って、
じゃんじゃん売れたんです。
おかげで無事完売。
どうやら市価よりも多少安かった事と、
100%新米です、というのが
購買意欲を誘った模様でした。
私が今勤めている会社は、
全く農業には関わりがないんですけど、
「営業職」ではあるんです。
その米の話を皆にしていた時、
正当な物を正当な値段で売るっていいなあ、
自然に思えたし、
それは今の仕事には無いなとも思ってしまった。
それまで農業で「きついきつい」と言ってきた親の姿や、
寒風吹き荒れる中手伝わされた自分の思い出に、
「グッド」の要素なんて一ミリも無いと思っていたのに、
その時正直楽しかったんです。
(原美弥子)


村はGOOD,現在の農業はBAD
農業保護政策で甘やかされ、
発展途上国との労働費格差や
農作物価格の大半を占める流通コストの問題などから、
一部ブランド化した農作物以外の農業は、
わが国において保護政策なしでは自立は難しいと思う。
しかし、農業保護政策はBAD。
どの職業の人も苦しい中で農業だけが保護されるというのは
納得できない。
一方で、収益性がないのもわかっている。
田舎者の私は農村景観もそこに暮らす人々も大好きで、
多面的機能の面からもなくすには惜しいものだと思う。
農業保護をやめ、農業者がいなくなれば
農村景観は失われて いくばかり。
農業保護政策から農村景観・
環境保護政策のようなものにしてほしい。
それなら納得できる人も多いのでは?

2003-02-13-THU

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