- 糸井
- いま、今年のチームのキーワードとして、
盛んに「野性」とおっしゃってますよね。
- 原
- はい。
- 糸井
- あと、「自己判断」ということもおっしゃってます。
これは、「群れ」から離れること、
「獣」として独立することを、
選手に求めているんでしょうか。
- 原
- まぁ、その答えははっきりとは言わないというか、
選手ひとりひとりに考えてもらいたいんですけどね。
やっぱり、野球というものに、
野性味を持って、取り組んでもらいたい。
野生の動物たちには、生きていくために、
戦うだけではなくて、防衛本能もありますよね。
ケガをしたときは、自分で治す力も備えている。
そういうことをすべて含めて、
ひとりで生きていくということだと思うんですね。
それに比べると、いまの選手たちというのは、
少し、まわりが親切になりすぎていないだろうか、と。
- 糸井
- ああ、自分で判断する領域がどんどんせまくなっていて。
- 原
- そういうことです。
たとえば、肘が痛いとき、病院に行くと、
すぐに患部を映像で確認できて、
病名もたちどころにわかってしまう。
もちろん、それ自体を否定するわけではないんですが、
自分の体を感じ取るような力が
弱くなっているのではないかと。
あるいは練習に関しても、
基本的なメニューというのは、
まず、我々がつくりますよね。
しかし、ただそのメニューを消化する、
というのが練習ではない。
プロである以上、やっぱり自分で
いかに納得してそれに取り組むかということ。
たとえば、今日、ブルペン(投球練習場)に
入る予定のピッチャーが、
ウォーミングアップをするあいだに
「あ、今日はブルペンに行きたくないな」
というときもあるでしょう。
そのときは自分の判断でやめればいい。
ブルペンで10球くらい投げて、
「今日はどうもバランスがよくない」と思ったら、
そこでパッと中断して、
別のトレーニングに切り替えればいい。
逆に、「おお、今日は調子がいい」と思ったら、
予定を超えて150球、200球と投げてもいい。
大事なのは、自分で納得して取り組むこと。
そういったことが、自分の野性味という部分に
つながってくると思うんですよね。
選手たちには、そういったことを伝えました。
選手たちも、チーム全体としても、
もともとの力はあるわけですから。
そこに、個人の野性味を加えてくれ、と。
- 糸井
- プロ野球の選手というのは、
上司のいない職業なんですよね。
チームというのは組織だから、
命令系統というのは、当然、あるんだけど、
動いているプレーの最中に、上司はいないわけで。
- 原
- ああ、そうですね。
- 糸井
- でも、いまの野球は管理が過剰になっていて。
たとえば、自分で現状に違和感を感じたとしても、
こういうことをしてもいいんですか、って、
誰かにいちいち判断してもらう、みたいなことが。
- 原
- まぁ、そのへんが、いまは非常に親切であると。
環境が整っているのはすばらしいことですけど、
親切すぎることの弊害のようなものも
あるような気がするんですよね。
- 糸井
- 最良の結果を出すために管理している側としては、
間違いがないように、リスクがないようにと、
どんどん策を講じていく。
そうすると、親切にならざるを得ないですよね。
でも、選手ひとりひとりが
親切すぎる環境に完全に自分を委ねてたら、
ただの、野球する機械みたいになってしまう。
- 原
- そうです。
ですから、全体の目指すものから、
個はもっと独立していていいと思うんです。
- 糸井
- そうですね。
- 原
- キャンプで練習をするときに、
すべてを選手に任せて、全員、自由に練習させる、
これは、いいことじゃありません。
だから、我々は、基本的なメニューはつくるよと。
そのなかにおいて、選手は、それぞれに選択肢、
そして自主性を持ち、納得した練習をする。
「あー、今日は1日、いい練習ができた」と、
野球人として、自分で納得できる1日を終える。
そういうところに、「野生」が出てくると思うんです。
- 糸井
- 原さんも、現役時代の晩年は、
ケガを抱えて練習していました。
もしも、そんなふうに言われてたら、
違う練習ができたのかもしれませんね。
- 原
- まぁ、ボクもね、時期によっては、こう、
義務感で野球やってたところがありましたからね(笑)。
- 糸井
- 言われたことをやるという、
当時の美学みたいなものもありましたし。
「自分で判断してメニューを消化しろ」なんて、
昔の監督やコーチは言わなかったでしょう。
- 原
- そうですね。だから、今年はコーチにね、
「今年は選手が自分の意志を伝えてくるだろう。
意志を伝えてきたときにはボクに報告してくれ」
というふうに伝えてあるんです。
先日も、(坂本)勇人、片岡、寺内が、
練習の後半に、特守をやりたいから、
ノックを受けさせてくれって自分たちで言って来た。
あるいは、久保が最初の10球くらいで
ブルペンから引き上げて別の練習に切り替えた。
そういうことが少しずつ浸透しつつあると思います。
- 糸井
- 若いころからずっとそういうやり方で練習してたら、
ひとりひとりに、ずいぶん個性が出るでしょうね。
- 原
- そう思います。
あくまでも「自分がどう考えるか」なんですよね。
本人がどう受け止め、どうそれを消化していくか。
そこがいちばん大切なんです。
- 糸井
- 司令部というのは組織の中にあるけど、
自分の中にもあるわけですよね。
だから、「自分で考える」というのは
まさしく司令部の役割であって。
野球に限らず、成熟したスポーツというのは、
優秀な司令部がいちいち命令しなくてもできるように
組織化され、管理されていったわけですよね。
で、そういう環境においては、
選手はただの手足になりやすい。
いま、原さんがおっしゃったことは、
もう一度、動物に戻って、
お前の司令部はお前の中に置くんだよ、
っていうことですよね。
- 原
- はい。
- 糸井
- それはおもしろいなあ。
- 原
- プロですからね。
- 糸井
- そうですね、プロですからね。
メシが食えるか、食えなくなるかは、
おまえが考えることしだいなんだよ、と。
- 原
- そういうことです。
やっぱりプロですから、
クラブ活動、アマチュアとは違う。
我々も、選手に委ねる部分、
ここは任せたよという部分が必要になってくる。
プロである以上は、
自分で自分をつくりあげるという、
大きな責任感を持ってほしい。
- 糸井
- それが練習のときにできると、
試合がはじまってから、また活きてくる。
- 原
- 出てきます。
試合ではもっと如実に、瞬時に出てくる。
もっとも大事なことは、
食うか食われるかという戦いの中で、
いかに自分がいい判断ができるかということですから。
練習の中でそれができるようになっていれば、
試合でも、いい形でできるようになると思います。
(つづきます)
2015-03-27-FRI