── | ヨシコさんが、サハリンから 日本のことを思ってくれてたってことに なんだか、すごく感動しました。 |
後藤 | ヨシコさんだけじゃないですよ。 ハツエさんも、 同じようなことを言ってました。 |
── | 日本の人に、よろしくねって? |
後藤 | はい。 |
── | 後藤さんにとって、 サハリンって、どういうところですか? |
後藤 | うーん‥‥。 奥野さんのおじいちゃんとおばあちゃんは、 どこに住んでいますか? |
── | もう死んじゃったけど、田舎です。群馬県。 |
後藤 | なんか、そんな感じかもしれない。 お金を貯めて、長い休みに遊びに行って、 ごはんを食べさせてもらって、将棋をさして、 パワーをもらって‥‥。 撮れるなら 写真も撮らせてもらって帰ってくるみたいな、 そんな感じだから。 |
── | サハリンに溶け込めなくて、 あまり写真も撮れなくてモンモンとしていた 最初の2年がウソのようですね(笑)。 |
後藤 | いったん打ち解けちゃえば、 みなさん、ものすごく優しい人たちなんです。 |
── | そうなんだ。 |
後藤 | 前回に滞在したときは 1ヶ月の契約でアパートを借りてたんですが ほんと、何にもなかったんです。 この部屋なんですけど。 |
photo:後藤悠樹 |
── | ‥‥何もなさそう。そして、なんか寒そう。 |
後藤 | はい(笑)。 このテレビと机と椅子だけはあったんです。 でも、それしかなくて。 他のマットレスとか、掛け布団とか、 電子レンジとか、塩とかは、 サハリンの人たちが、貸してくれたんです。 |
── | 「この日本人、放っといたら困るだろうな」 と思うんでしょうかね、やっぱり。 |
後藤 | そうでしょうね(笑)。 はじめは、言葉もできないし、 唯一できることの写真すら撮れないという、 みじめ過ぎる状態でしたから。 |
── | 後藤さんの「サハリン通い」って、 仕事としてはじめたわけじゃないですよね? |
後藤 | そうですね。学生のころからなので。 |
── | じゃあ、写真家として独立したいまでは 「仕事」だと思ってますか? |
後藤 | いまも‥‥仕事ではないです。 |
── | それは、なんでですか。 |
後藤 | まず単純に、 サハリンのことでお金を稼いでいないです。 稼げたら、仕事になると思うけど。 |
── | 結果的に。 |
後藤 | でも、あまり稼ごうともしていないから‥‥。 |
── | じゃあ、なんなんでしょうね? |
後藤 | ありきたりの言葉ですけど、 「ライフワーク」みたいなものかもしれない。 |
── | 頼まれなくてもやってる、という意味で? |
後藤 | そう、誰からも頼まれてないし、 けっこうキツいこともあったりするのに、 止める気がないし‥‥。 |
── | キツいというのは、たとえば? |
後藤 | やっぱり「撮るな」って言われることですね。 |
── | それは「まだ入り込めてない」という寂しさ、 なんですかね。 |
後藤 | そうかもしれないです。 「写真を1枚、撮らせてください」 「イヤだ、撮るな」 とか、そういうやりとりがあったときは 「なんで俺は、こんなことやってんだ?」 と思って、すごくヘコみます。 |
── | なるほど。 |
後藤 | だから、結局のところ、 「これはライフワークなんだな」としか 言えない気がするんです。 「あなたは、なんで生きてるんですか?」 みたいに聞かれるのと、 なんだか同じような感じがしていて。 |
── | 別の地域は、あり得ないんですか? |
後藤 | そんなこともないですけど‥‥ でも、サハリンには行く。 |
── | サハリンで「やりきった感じ」が まだ、してないってことですかね? |
後藤 | そうですね。それは、ぜんぜん。 だからいまは 身体が動かなくなるまでやりたいなとは 思っています。 |
── | 愛着が湧いちゃったんだ。 |
後藤 | 「ずっと見ていたい」という気持ちが、あります。 |
── | サハリンの、この先を? |
後藤 | はい。どうなっていくのかはわからないけど、 たとえば日本人1世のおばちゃんたちは、 もう70歳、80歳という歳になっていますし、 そのあとを引き継ぐ世代が どんなふうに生きていくのかも、気になるし。 |
── | 「気になる、見ていたい」という気持ちは、 ちょっとわかります。 ぼくら、東北の震災後に 気仙沼と関わり合いがはじまったんですが、 それも、 人と人との繋がりから、偶然のようにして。 |
後藤 | ぼくが「偶然」サハリンだったみたいに? |
── | はい。気仙沼に支社をつくって、 気仙沼の人たちを取材させてもらって、 気仙沼の人たちといっしょに、 というか力を借りて、 いろんなプロジェクトを立ち上げています。 |
後藤 | そのいくつかは、知ってます。 |
── | もう、自分の故郷以外で いちばん通っている土地になっているんです。 だから気仙沼にたいしては 「気になる、ずっと見ていたい」って気持ち、 やっぱり、あるんですよね。 |
後藤 | それって「愛着」ってことですね。 |
── | うん、そう思います。 なにしろ 「あんなにも行ったことのある、 それまでまったく関係なかった土地」って、 気仙沼以外にはないので。 |
後藤 | 気仙沼と聞いて、誰かの顔が浮かびますか? |
── | 浮かびますね。 |
後藤 | じゃあ、ぼくといっしょだ。 ぼくも「サハリン」って聞いたら もう、いろんな人の顔が浮かんでくるんです。 |
photo:後藤悠樹 |
── | 愛着とかの感情って やっぱり 「人とのつながり」が大きいんでしょうね。 |
後藤 | うん、そう思います。 |
── | 絶対にサハリンじゃなきゃダメだった理由、 なかったわけですもんね。 |
後藤 | ないです(笑)。 |
── | 「なんだ、このデカい島」と思っただけで、 行ってみたら、おばあちゃんと知り合って。 |
後藤 | でも、ほとんどのことが そんなことなんじゃないかって気もします。 |
── | たしかに、そうかもしれない。 偶然の種がまずひとつあって、 でも人と人とが関係をつくってしまったら、 つながっちゃう‥‥みたいな。 |
後藤 | 少し前に、札幌で展覧会をやったんです。 |
── | サハリンの写真の? |
後藤 | はい。そのとき、写真業界の人というより 一般の人が多く見に来てくれたんです。 「おじいちゃんが、サハリンで生まれたの」 というような人とかもいたりして。 |
── | へぇー‥‥。 |
後藤 | そういう人とのつながりも、うれしかった。 そして、そのときに、こう思ったんです。 「写真って、 自分を外に広げてくれるものだ」って。 |
── | ははあ。 |
後藤 | 写真をやっていると つい、「撮りかた」とか「スタイル」とか、 「コンセプト」とか、 そっちの方向へ流れてしまいがちなんです。 それが悪いってわけじゃないんですけど、 でも、それだけになっちゃうと、 「手段」じゃなくて 「目的」になってしまうと思ったんです。 |
── | 「写真」が。 |
後藤 | はい。写真って、あくまで「手段」であって 「写真で何をするのか」が ぼくにとっては、重要なんだなと思いました。 |
── | じゃあ、いまと同じこと、 もしくは、いま以上のことができるなら、 「写真じゃなくてもいい可能性」が あるってことですか? |
後藤 | うーん‥‥。 写真は大好きなので難しいですが、 「見てほしいものって、何だろう」と思うと、 もしかしたら、そうかもしれない。 ぼくは 「サハリンのおばちゃんたちの、 いろんな、辛くて苦しい何十年間のあとに、 どうして、そんな笑顔でいられるんだろう」 と思ったんです。 |
── | はい。 |
後藤 | そういう苦難を乗り越えたあとの、 おばちゃんたちの‥‥強さ、というのかなぁ、 あの笑顔。 そこを見てもらいたいんです。 だから、写真以上に、 そこを見せることができるものに出会ったら、 もしかしたら‥‥。 |
── | 写真じゃなくても? |
後藤 | んー‥‥いや、どうだろう(笑)。 自分は、写真家として「まだまだ」なので やっぱり、わからないです。 |
── | 今日、いろいろとお話させていただいて、 真っ白だったサハリンの地図に、 ちょっと色がついたような気がしました。 |
後藤 | 気仙沼もそうだと思いますけど、 知らなかった土地のことを少しでも知ると 立体感が出てきますよね、地図に。 |
── | そう、そんな感じ。 |
後藤 | だから、サハリンのおばあちゃんの写真を見て 他の誰かの世界地図のサハリンに ほんの少しだけでも 色彩がついたらいいなあって思います。 |
── | たしかに「ただ、ずっと見ていたい」って、 ライフワーク以外の何ものでもないかも。 |
後藤 | はい(笑)。 |
── | いつかは、 自由自在にシャッターを切れるような日も くるんですかね。 |
後藤 | いや、本当に自由に、 ガシャガシャって写真を撮れるようには 一生、ならないと思います。 |
── | あ、そんなものですか。 |
後藤 | たぶん。 |
── | 次、サハリンに行く予定は? |
後藤 | ぜんぜん未定です。 |
── | じゃあ、次、ヨシコさんに会えるのも ちょっと先になるんだ。 |
後藤 | ‥‥電話してみます? ヨシコさんち。 |
── | え、いま? |
photo:後藤悠樹 |
<つづきます> |
2013-11-21-THU |
撮影協力/日本写真芸術専門学校 |