橋本 |
田沼意次時代っていうのは
どういう時代かっていうと、
あんま日本史の専門家でもないんだけど、
要するに、徳川幕府っていうのは、
農民の税金から成り立ってるじゃない?
で、都市が盛んになってて、
商人税金払わなくていいわけじゃない?
で、田沼は、その商人から税金を取ろう、
商人を対象にしようとして、
古い武士たちから嫌われて、
っていうのあるんだけど。
いってみればさ、地方が、
これじゃもうジリ貧だから、
第3セクター作って金儲けしましょう的なものが
田沼の時代なんじゃないかな? と思うのね。
で、そのぐらいにイケイケになっちゃってるから、
大名家が、平賀源内呼ぼう、呼ぼう、呼ぼう
っていうようなことって、やらない‥‥。 |
糸井 |
つまり、市場経済の発展系が、
アイデアをとる人だよね。 |
橋本 |
平賀源内って物産会(ぶっさんえ)やってたから、
博物学っつうか、博覧会屋さんじゃない?
地方枠の時代なわけですよ。
そうすると、それで、その公の大名レベルの
バブルの時代が、
いっぺん田沼ではじけてしまって、
緊縮財政がくるんだけど、
けっきょく金持ってるヤツは
持ってるヤツだからって、
町人芸術の時代になってきて、
浮世絵が盛んになってくる。
春信っていうのは、上層商人の浮世絵なんですよ。 |
糸井 |
見るからに品がいいんですよね。 |
橋本 |
春信の代表作の「座敷八景」って
いうのがあるんだけど、あれもね、
いってみればいただきなのね。
あれはね、はじめ、金持ちの旗本が、
春信に金を出して、
こういうのみんなに配りたいからやれ、
っていってて、それで、まあ、
錦絵っていうのが発展してく
きっかけになるんだけど。
版木代から何から何までぜーんぶ用意してるわけ。
で、袋に入れて、はい、いいでしょう?
「近江八景」の見本版だよ~、っていって、
みんなに配るわけ。
そうすると版木が残ってるから、
版元が、ウチで残り刷らしていただいて
よろしいでしょうか?
あ、いいよ、いいよ、
それで商品として売り出したの。 |
糸井 |
あ。もとは、じゃ、
プレタポルテだったんだ(笑)。 |
橋本 |
そうなの。だから、上層町人っていうか、
その、旗本やなんかでも、
武士の文化が、ちょっとしたら
町人の文化来るって、
武士でも町人でもあるっていう吉原的なね、
中間層があるから、
そこへ持ってこれるわけですよ。
ここに文化があるわけ。
それが平賀源内の時代で。
写楽の時代とか北斎の時代になると── |
糸井 |
町人のほうに実態がいってるわけだね。うーん。 |
橋本 |
だから、その、もうちょっと
実質的にもの考えてもいいのかな? になって、
渡辺崋山の出番かな、とかは思うけどさ。 |
糸井 |
ウチの新しい事務所のそばに、
荻生徂徠の墓っていうのがあって、
荻生徂徠っていうと、
カルチャーセンターみたいにして
仕事してたらしいね。 |
橋本 |
そうなの? |
糸井 |
すごい蒔絵の弁当みたいなので、
みなさんを集めて。
で、大事なお話をしたりして、
会合を持ってたらしい。 |
橋本 |
荻生徂徠も貧乏で、
豆腐屋でおからばっかり買ってたって。 |
糸井 |
というはずなんです。 |
橋本 |
うん。だから、それがあるから負けるな、
と思ったのかもしれないな(笑)。 |
糸井 |
あと、敵討ちみたいに(笑)。 |
橋本 |
あ~、荻生徂徠の話するとなぁ~‥‥。
すごい話があるんだけどさ。
いや、ま、それはもう関係ない話だ。
あのね、私、今、ちょっと小林秀雄の書いた
『本居宣長』、素材にしてるんだけど。
んで、それでやってくとね、
小林秀雄が本居宣長論を始める前に、
本居宣長が生まれるまでの、
町人学者の話を延々書いてるわけ。 |
糸井 |
小林秀雄が。 |
橋本 |
しかも、本居宣長に影響を与えた
契沖(けいちゅう)が、ってやって、
その契沖に影響を与えた誰が、って
どんどん前に遡ってるわけ。
そうすると、中江藤樹(なかえとうじゅ)
ってところに行き着くのね。
それが、近世の、
戦国時代が終わったぐらいの頃に登場して、
ってやってて。
小林秀雄がそういう並べ方してる面では
何もいわないんだけど、
俺から見れば、はぁ~、じゃ、
学問の始まりは中江藤樹で、
中江藤樹の始まりは近世の始まりだから、
古ーい時代が終わって、
もういっぺん学問して、
みんなで物事のありかたを
考え直そうっていうスタート地点が、
近世にあってもいいのか?
っていう話になっちゃうから。
で、小林秀雄はそういう考え方を
したかったんじゃないのか、って思うんですよ。
でも、明治維新になって近代になって、
ヨーロッパがやってきて、
日本はそこから始まるって
いうふうになるんだけど、
それまでにあった日本人の学問とか
大切なものって、どこにいったの?
っていうと、ヨーロッパと違うっていうかたちで、
なんかみんな押し入れに入れられちゃう、
みたいな気がすんのね。
でもさ、近世の始めで中江藤樹が
自分の頭で考え始めて、
いってみれば、江戸時代の学問って、
町人学者がつくって、
体系持ってないからバラバラになって
消えちゃってるってとこがあるんだけど、
生活に不自由がなくなった人たちが
自分なりに勉強して、
世の中のありかたを研究しようと
していたっていう、
それこそフィレンツェみたいなとこで、
もっと‥‥。 |
糸井 |
坊さん以外がね。うん。 |
橋本 |
うん、教会から自由だから、
もっとすごいんじゃないかと思うのね。
だから、そういう時代だからこそ、
南蛮蒔絵とか、あの蒲生氏郷のところの、
西洋の王様の屏風絵とかっていう、
そういうものが登場するんじゃないのか、
と思うもん。そんでね、南蛮蒔絵とか、
その西洋の人たち、
西洋って、そんな敷居が
高いものじゃないんだよね。
だって、敷居が高かったらさ、
じゃあ、シナイ山とかを描かなくちゃ
いけないんでございましょうか?
みたいなふうになるけど、
そんなことぜんっぜんしないでしょ? |
糸井 |
考えずに、っていう。 |
橋本 |
うん。ほんで、その伝統がさ、
有田とか伊万里の焼き物のほうにいくとさ、
ロンドンのビクトリア・アルバート美術館に
行くと、有田や伊万里のティーカップセットが
いっぱいあって、
輸出資料でいっぱい作ってるわけじゃない?
江戸時代にも。
だから、日本人は、日本のまんま
西洋のティーカップをつくってたわけよ。
ああ、ああ、そちらの茶碗は、
こないなもんで、取っ手が付くでござんすか、
っていいながらさ、
平気で日本的なものを入れちゃうわけじゃない?
その、媚びなさ加減?
敷居の高さの気にしなさ加減
みたいなものっていうの、
俺、なんかね、もの考えないで
もの作ってる人のほうがすごいと思うの。
それ、渡辺崋山だって
アルバイトで絵を描いてたら、
油絵描くっていう方向にいかないから、
渡辺崋山は西洋風の絵を
取り込んだっていうことが
高く評価されないのかどうなのか。
「鷹見泉石像」は国宝なんだけど、
でも渡辺崋山の絵っていうのは、
美術史の中でどう位置づけするんですか?
っていうと、微妙にわからなくなっちゃう、
っていう。 |
糸井 |
つまり、体系づけない人たちの
体系については‥‥。 |
橋本 |
そうそうそう。
すごく素敵なものがいっぱいあるの。
そんでね、渡辺崋山の後にくるのが、
高橋由一なんですよ。鮭描いた。
で、あの人も、侍で、
もと狩野派の描いてるんだよね。
で、狩野派の絵描いてて、
油絵の具ないから、自分で作るのさ。
で、平賀源内の油絵っていうのは、
長崎からあったんじゃないですか?
って、さっき説明聞いたんだけど、
高橋由一は絵の具、自分で作るんだよね。
ほんで、高橋由一の時代っていうのは、
西洋人が来て絵を教えてたっていうのがあるけど、
東京芸大の前身になるようなものが
できてるところとは別のところにいるわけ。
旧幕時代の生き残りの、
変わり者の侍なわけですよ。
で、その人が、西洋の絵っていうのは、
リアルに描くことなのだ、
リアルに見るということはすごいんだ、
と思って、豆腐と油揚げを描いてみよう、
って描くわけじゃないですか。
んで、新巻き鮭、これは、意味があるぞ、
って描くわけじゃないですか。 |
糸井 |
すごいよなぁ~。 |
橋本 |
うん。だからね、俺、
その、豆腐とか新巻き鮭を描いちゃう
高橋由一のすごさっていうのを、
その後の日本美術って受け継いだのかなぁ?
っていう気が、とってもするのよ。
フェノロサがやってきて、
岡倉天心きて、狩野芳崖の絵をもとにして、
新しい日本画作りました、
とかってやるんだけど、
そういうものとはぜんっぜん別のところにいた、
なんか、すごい個人の列っていうのが、
じつは日本なんじゃないのかな?
っていう気がするのね。 |
糸井 |
それは、橋本治論みたいに聞こえるね。 |
橋本 |
私、そんなにすごくないです。 |
糸井 |
いや、すごくなくてもいいけど、
位置的にはそういう場所に、ね。 |
橋本 |
あ、いるんだったら、
自分はそこしかないもん。 |
糸井 |
ねぇ。鮭描いてる人だよね。 |
橋本 |
うん。だって俺、
バイトでわけのわかんない小説書いてさ、
新人賞の佳作という中途半端なところでさ。 |
糸井 |
(笑) |
橋本 |
で、ふつう日の目見ないんだけど、
日の目見ちゃってっていう、
これ、作家としてどうなんだろう?
っていうところから、
ずーっと変なことやってるわけじゃないですか。
だから、ポジション的にはそうで。
それで、平賀源内の意味ってことになるとさ、
やっぱしその、
日本の一筋の人のヘビーさっていうのは
あるんだけど、平賀源内は一筋になれない、
っていうところを逆手にとったのか、
それとも巻き込まれたのか知れないけど、
一筋になれずにバーッて
拡散しちゃったっていうところあるでしょう?
で、拡散しても、なんか意味があるって
いうところで、平賀源内がいるかな?
っていうのもあるんだけど。
でも、それを真似しても、
やっぱし、マルチで一山幾らになっちゃうから、
つまんなかっただろうな、
っていう気がしてね。
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