ほんとうにほんとのハワイ。 |
■Vol.2 海を越えて―― Pa'ao(パアオ) 私の父は、ハワイ人であることと その血が受け継いできたものにとても誇りをもち、 一族の歴史を調べることに心血を注いできました。 前にも述べましたが、 キリスト教の伝道師が初めて来るまで、 ハワイには記述するというシステムがなく、 一族の歴史もまた世代から世代へと注意深く、 正確に語り継がれてきました。 父は、私たちの血族を約800年、 Pa'ao(パアオ)という名のひとりの男までさかのぼり、 それを家系図に書き起こしました。 10歳にも満たない子供の頃、 父がその家系図を嬉しそうに 私に見せてくれたのを憶えていますが、 その頃の私には発音もままならない 難しいハワイ人の名前ばかりで そんなに面白いものではありませんでした。 でも、その図の一番下に私と3人の妹たちの 名前を見つけたとき、 なにかとても不思議な気持ちがしたのです。 一番上にあったパアオの名には そのときはほとんど注意を払わなかったのですが、 それから何年も経ったある時、 ハワイの歴史に名を残す偉大な人物に、 私は同じ名を見つけ、驚きました。 「そういえば、父はパアオという男が どうやってタヒチからハワイにやってきたか 話してくれたことがある……」 パアオは、権力者であった兄 Lonopele(ロノペレ)との争いののち、 タヒチを追われてカヌーで大海に出たそうです。 パアオはkahuna(カフナ=魔術を操る古代宗教の僧、 シャーマン)だったそうで、そのとき彼とともに カヌーに同乗したのは40人のクルー。 そのなかにはタヒチの王のひとり Pilika'aiea(ピリカアイエア)とその妻も いたと記録されています。 ほかにはMaka'alawa(マカアラヴァ)という名の kilo-hoku(キロ-ホク=星を読みカヌーの進路を司る 水先案内人)、それにパアオの妹、 そしてHolau(ホラウ)という舵取り人、 Pu'ole'ole(プオレオレ)という名の貝のラッパを吹く人、 さらにNu'u(ヌウ)とHolawa(ホラヴァ)という 二人の儀式用のお酒を造る職人が乗っていました。 ここになぜ名前と職業を羅列したかというと、 昔のハワイでは、職業は同じ家系で代々 引き継がれていくのがしきたりで、しかも これらの職業は地位の高いものとされていたためです。 千年前の記録に個人の名前が残っている これらの人々の末裔は、 私の父が調べ当てることができたのと同様に、 一族に代々その歴史を語り継いできたはずなのです。 さて、そうしてパアオは長旅の末、 ようやくハワイ島のPuna (プナ)という土地に たどり着きました。 ハワイに着いたパアオは、 まずピリカアイエアをハワイの王とし、 自らは司祭となり、その後はそれぞれの息子から息子へ 代々地位を受け継いでハワイを治めました。 パアオの直系であるHewahewa(ヘヴァヘヴァ)もまた、 カメハメハ1世の頃の司祭として名を残しています。 ヘヴァヘヴァは、最後のKahuna nui (カフナヌイ=最高司祭)であり、 1819年にKing Liholiho(カメハメハ2世)とともに ハワイの古代宗教の数々の厳格なタブーを壊し、 寺院を焼き払い、古代宗教の廃止をはかった人物です。 父から聞いたこれらの話は、 私がどこから来たのか、 私がなぜハワイ人なのか、ということについて 考えるチャンスを与えてくれました。 話をしているときの父の目を見ながら、 千年もの時を超えて父へ、そして私へ 受け継がれ、流れてきているものを 感じずにはいられませんでした。 幼いときに家族を失った経験を持つ父にとって、 “血のつながり”や“家族”は 特別な意味があったのだろうと思います。 |
2000-05-27-SAT
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