hawaii
ほんとうにほんとのハワイ。

■Vol.4
 “Eddie Would Go” Part1

初めてハワイのhe'e nalu
(ヘエ ナル=サーフィン)が外国に
紹介されたのは1779年のこと。
キャプテン・クックとともにハワイを訪れた
キャプテン・キングという人が書いた
記録に残されています。
彼は、優雅でリズミカルな
ハワイアン・サーファーたちの姿を
まるで波の上でダンスしているようだと
書き記しています。
西洋人にとって、大きな波は自然の驚異でしかなく、
それをポリネシア人が楽しみとして
乗りこなしているのは、まさに驚きだったようです。

残念ながら、サーフィンの起こりが
一体いつ頃だったのか、知る方法はありません。
二つの船体を横につなげたポリネシアの伝統的なカヌーや
アウトリガーと呼ばれる転倒防止用の
細長い材を備えたカヌーに乗った漁師たちが
最初にサーフィンを始めたのだろうというのが
定説になっています。
漁師たちは小さなカヌーを漕いで海に出て、
戻る際には上手に波に乗って
浜にカヌーを乗り上げていました。
サーフィンがスポーツになったのは
波に乗ることだけを目的にして、
小さなカヌーをもっと小さな板に
変えたことが始まりです。
ハワイに古くから伝わるmele(メレ=歌)や
mo'olelo(モオレロ=物語)には
サーフィンの様子が描かれています。
太平洋岸の国々では、生活の知恵としての
波に乗る技術が伝えられていたりしますが
スポーツとしてのサーフィンの発祥の地は
ハワイなのです。

1820年代に伝道師がハワイにやって来るまで、
ハワイ人は何百年もの間サーフィンを楽しんできました。
ところが文明国から来た人々は、
サーフィンやhula(フラ=ハワイの伝統的な舞踊)を
野蛮で意味のないもの、時間の無駄だと決めつけたのです。
そうして1890年頃には、サーフィンはほとんど
ハワイから消えてしまいました。
ほんのいくつかの秘密の浜で
こっそり練習する人がいるのみとなりました。
しかし、19世紀の終わり頃
King Kalakaua(カラカウア王)が
権力を握ったのをきっかけに
ハワイのスポーツ、ダンス、音楽が
息を吹き返し始めました。
そしてサーフィンもまた、それらの文化と同じく
ハワイに戻ってきたのです。

現代になって、ハワイが
サーフィンの中心地であることを
世界に知らしめる役割を果たしたのが
Eddie Aikau(エディ・アイカウ)です。
彼が波に乗る姿は、優雅で
まったく波を恐れることなく、
かつてキャプテン・キングがため息を漏らした
ハワイ人ならではのサーフィンを彷彿とさせました。
まるで、彼の魂が波と一体になっていると
思わせるほどの、類い稀な才能を持っていました。

1967年、彼が21歳の頃のことです。
Waimea Bay(ワイメア・ベイ)で、彼はなんと
40フィート(約12メートル)の巨大な波に挑みました。
そのとき、何人かの
世界的に有名なサーファーもその場にいましたが、
40フィートもの高波はあまりに危険なため、
常識として挑戦する者などいなかったそうです。
ところがそこへ現れた現地の若者が
その波に乗り始めたのです。
しかも、落ちたら間違いなく命を失う高波の上で
彼は恐れる様子もなく
踊るように波乗りを楽しんでいる……。
その頃、誰一人として
彼の名前を知る者はいませんでした。
しかし、彼の姿はその場にいたすべての者の目に
しっかりと焼き付けられました。


photographed by Dan Merkel

アンクル・エディ(私は彼のことをそう呼んでいます)は、
私の父と同じように
ハワイ人であることに誇りを持つようにと
教育され大人になりました。
彼は6人兄弟の3番目で、兄弟はみな
海をとても愛していました。
アンクル・エディのお父さん、アンクル・ジュニアは
休みになると必ず子供たちを海に連れていき
一緒にサーフィンを楽しみました。
そんな環境で育ったアンクル・エディと
弟のアンクル・クライドは、
やがてサーフィンの才能を開花させます。
アンクル・クライドもまた、兄と同じく
ビッグ・ウェーブ・ライダーの
第一人者として知られています。

アンクル・エディのずば抜けた
サーフィンと水泳の技術は広く知られるところとなり、
彼は、波が高く危険なワイメア・ベイの
初めての救命員に指名されます。
ワイメア・ベイは、彼が40フィートの波に
果敢に挑んだことで彼を有名にした場所であり、
そして、かつては彼の先祖のヘヴァヘヴァが
ずっと所有していた土地でもありました。
ワイメアを我が家のように
愛していたアンクル・エディは、
そこで若いハワイ人のサーファーたちに
ビッグ・ウェーブの乗り方を教えたりもしていました。
彼の教え方というのは、
まず、若者に海の恐ろしさを説き、
そして、それに打ち勝てるだけの
知識と技術を教えるというものだったそうです。


ハワイで人気のハンバーガーショップ
“クア・アイナ”の青山店。
店内の壁には有名なサーファーの写真が
ずらりと飾られている。
その中にはエディ・アイカウの雄姿も
(右の壁中央の列下の写真)。
ハンバーガーはちょっと高いけどすんごくうまい。
クア・アイナ青山店 
港区南青山5−10−21 
エ03−3407−8001


アンクル・エディはいつも自分自身の危険よりも
ほかの人の命を助けることを
最優先させる人でした。
彼は、ワイメアで本当に多くの人命を助けました。
通常、人命を救助した際にはそれを書類に残すのですが、
彼はそれをほとんどしなかったそうです。
1971年、救命員としての数々の功績が認められた彼は、
その年のもっとも優れた救命員として表彰されました。
それは、書類を残さないし賞も欲しがらない彼が
実はどれだけ多くの命を救っているか、
それをずっと見てきたほかの救命員たちが
彼を推薦したからだったのです。
1978年の5月、彼の魂が海に還るそのときまで、
彼は人々の命、そして彼の友人たちの命を
救うことに全力を尽くしたのでした……。

2000-06-03-SAT
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