ほんとうにほんとのハワイ。 |
■Vol.5 “Eddie Would Go” Part2 私は、アンクル・エディが死んだ日のことを ぼんやりとしか憶えていません。 ただ、その日 アンクル・エディの顔がテレビに映し出されたとき テレビの前に座っていた父の頬が あとからあとから流れてくる涙に濡れていたこと、 その光景が深く胸に残っています。 私はそのときまだ6歳でした。 でも、見たこともない父の涙に とんでもなく悲しい事件が起こったのはわかりました。 私は父のそばに行き何が起こったのか訊ねました。 「この人はね、お父さんの従弟なんだ。 彼は海で行方不明になってね、 もう見つからないんだそうだ」。 私はもう一度、テレビに映る アンクル・エディの顔を見ました。 優しそうな茶色の目、褐色の髪。 彼は私の父にとてもよく似ていました。 ホクレアに乗るアンクル・エディ。 Photographed by Dan Merkel ハワイの歴史に残るほど 大掛かりで時間をかけた捜索が、 アンクル・エディのために 海と空から行われました。 でも、彼を見つけることはできなかった。 彼の乗ったカヌーが嵐のために転覆したとき、 彼は12マイル(約19キロ)東にある ラナイ島まで救助を呼びに行くため、 ひとり海に飛び込んだのです。 15人のクルーが荒波に揉まれながら カヌーの底に必死でつかまっているなか、 アンクル・エディは真っ暗な海に サーフボードを漕ぎ出しました。 それが、人々の見たアンクル・エディの最後でした。 しかし、アンクル・エディはいつものように まったく恐れることもなく、 みんなの命を救う大役を誇りに感じながら 海に向かっていったそうです。 アンクル・エディは、私の父と同様に 伝統あるハワイ人の血に誇りを持っていました。 彼の乗ったカヌーHokule'a(ホクレア)の航海は Polynesian Voyaging Society(ポリネシア航海協会) によって運営されたもので、 アンクル・エディがクルーに選ばれたのは 彼の血筋が大きな意味を持つと 判断されたからのようです。 この航海は、ホクレアにとって2度目のものでした。 ホクレアは、約800年前タヒチから人々が カヌーで渡ってきた記録をもとに、 当時と同じ二つの帆と二つの船体を持つカヌーを再現し、 さらに近代的な機器を一切使わず 星だけを読んで進路を決める 古代のナビゲーションを用いて 先祖たちが通った道のりと同じルートを たどる目的でつくられました。 こうしたホクレアの航海は、 アンクル・エディの心を動かしました。 彼もまた、先祖パアオが旅したその軌跡を たどってみたいという思いに駆られたのです。 そうして1978年の3月16日。 ホクレアはマウイ島を出港しました。 出港してわずか数時間後、カヌーは嵐に見舞われました。 4メートルの高波がカヌーの横腹をたたきつけ、 転覆したカヌーから、 全員が荒れ狂う海に投げ出されました。 このまま発見されることもなく 溺れてしまうのではないかという恐怖が みんなの心をよぎりました。 アンクル・エディは、9メートルの波もものともしない ワイメア・ベイのライフガードです。 彼にとっては、そこでサーフボードを漕ぎ出すのが 当然の選択だったのでしょう。 そして、クルーの誰もが、 彼が波にのまれるはずはないと信じていた……。 アンクル・エディ遭難のニュースに 悲しみに暮れるアイカウ・ファミリー。 この日、ハワイ全体は大きなショックと 深い悲しみに包まれました。 翌日、ホクレアは空からの捜査によって発見され、 アンクル・エディを除くすべてのクルーは 無事に救出されました。 ヒーローだったアンクル・エディを失ったことは ハワイにとって大きな損失となりました。 とくに、ホクレアのナビゲーターであり、 アンクル・エディの親友だったナイノア・トンプソンの 悲しみははかり知れないものでした。 ホクレア航海の中心人物だった彼は、 自分を責め、カヌーでの航海を やめてしまおうとさえ考えたのです。 しかし、後になって彼はこう言いました。 「エディは、先祖たちがハワイを見つけた 道のりをたどり、先祖と同じ体験をしてみたいという 夢を持っていました。 後悔や絶望で前に進めなくなるとき、 僕はエディを思うのです。 そうすると彼自身の夢が僕を導いてくれる。 彼の魂はいつもここにいるんです。 彼は救命員としてたくさんの人名を助け、 最後は僕たちを助けるために 自らの命を落としてしまった。 エディが亡くなってから、僕らは航海を やめる選択もあった。 でも、エディなら夢を途中で諦めたりしない。 彼はいつも僕にこう言っていたんです。 『俺たちの島を見つけるんだ』 これは、先祖と同じようにハワイを見つけてみよう という意味だけじゃなく、夢を手に入れようという 彼の強い思いだった。 それに、彼の悲劇は、僕たちの航海が 非常に厳しいものだってことをあらためて 認識させてくれました。 あのときは精神的にも肉体的にも 完全には準備できていなかったってことをね」。 アンクル・エディが最後にサーフボードを 漕ぎ出していった姿が目に焼き付いて 「最愛の友を死なせずに済む方法が あったのではないか」と 苦しみの日々を送っていたナイノア。 しかし、ようやくナイノアは気がついたそうです。 アンクル・エディは彼自身が前に進むために サーフボードを漕ぎ出したということを。 そしていま、ナイノアたちが前に進むことこそが 友の遺志を継ぐことになるのだということを。 |
2000-06-07-WED
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