ほんとうにほんとのハワイ。 |
■Vol.10 神々に捧げる踊り hula Part1 hula(フラ=踊り)はハワイのイメージのひとつとして 今や世界中に知られています。 人々がフラと一緒に思い浮かべるものといえば “南の島”“風にそよぐヤシの木” “のんびりとしたウクレレの音” といったところでしょうか。 外国人に知られているのは 草でつくったスカートを着けたセクシーな女性たちが けだるいような音楽に合わせ 腰をくねらせて踊るフラがほとんどなので、 そういった、いかにも南国らしい 平和でのどかなイメージが定着するのも 仕方のないことかもしれません。 でも、ネイティブ・ハワイアンにとっては フラは人に見せて 楽しんでもらうためのものではありません。 本来は、ハワイの伝説や古代宗教と一体となった とても聖なる踊りなのです。 フラを踊る際には、神々に捧げる意味で パフと呼ばれるサメの皮を張った特別な太鼓 (寺院での儀式に用いられる神聖な楽器)が 鳴らされました。 しかもフラは、その練習でさえも儀式や祈りと同様に 厳粛で神聖なものととらえられていました。 練習の際でも、フラの教師や生徒たちは フラの女神ラカに捧げるために踊り、 その場には必ず果物などの供物も用意していたそうです。 サメの皮を張った太鼓“パフ” 民族舞踊として、フラは、文化的な遺産と呼ぶのが もっともふさわしいと私は思っています。 フラはもともと、 ハワイ諸島に住んでいたポリネシア人によって 5世紀頃に生まれたといわれています。 古いフラのなかでもとくに有名なのは 女神ヒイアカの数々の冒険の物語。 火山の女神ペレの妹ヒイアカは踊りの名手でもあり、 気の短い姉のご機嫌を取るために 踊ったという伝説も残っています。 1500年もの永い時を超え ハワイの伝統を受け継いできたフラですが、 そのスタイルは過去200年の間に ハワイの歴史的な変化に合わせて ずいぶん変容してきました。 アメリカのプロテスタント宣教師とともに 西洋的な常識がハワイに入り込んだ1820年以降、 古代宗教の一部であり、 伝統的に男女とも上半身裸で踊るというフラは キリスト教に改宗した王族や宣教師たちの圧力によって 市民権を失ってしまいました。 以前サーフィンについて説明したのと同じように フラもまた、少数の人々だけがひっそりと隠れて 続けるのみとなってしまったのです。 ところが、カラカウア王の時代 (1874〜1891年)になって 情勢は一変しました。 ハワイの文化や芸術を愛したカラカウア王は キリスト教信者や外国人の反対もものともせず、 伝統芸術の名手たちを王宮へ招き ハワイの文化を守ろうと努めました。 ほとんど消滅しかけていたフラに カラカウア王が新たな命を吹き込んだのです。 この時代のことを考えると、 カラカウア王は、まさにハワイ文化の 救世主のような存在だったのだと思います。 「私は、私の民にハワイアンであることを 誇りとして欲しいのです」 これは彼の言葉です。 彼は、このままでは白人たちがハワイのすべてを 変えてしまうことを知っていたのです。 彼はハワイの伝統文化を生き返らせるために その権力を駆使しました。 そうして人々は、もう一度 ハワイの文化と、ハワイ人であることに 誇りと自信を持ち始めたわけです。 カラカウア王の思いは、 もちろんハワイの人々に深く伝わりました。 人々は、カラカウア王を“Merrie Monarch” (Merry Monarch=「喜びの王」のような意。 Merrieと綴るのはハワイの俗語的表記)という ニックネームで呼ぶようになったのです。 そのニックネームには、彼がハワイの人々の日常に 喜びや楽しみを取り戻してくれたことへの 感謝の気持ちが込められています。 この黄金期に、古い詩やハワイの民謡、 さらには西洋文化に影響された メロディラインをも取り込んだ まったく新しいスタイルのフラが生まれました。 この新しいフラはhula ku'i(フラ・クイ。 ku'iとは“古いものと新しいものを融合させて 新たに生み出されたもの”という意味)と呼ばれ、 踊りの際にはipu(イプ)という瓢箪に似た 植物でつくられた楽器が演奏されるようになりました。 カラカウア王の時代からフラの演奏に 使われるようになった“イプ” ハワイアン・チャントと呼ばれるハワイの民謡は、 ほとんどメロディラインがなく、 歌としてよりも、その言葉自体が 重要視されていました。 文字のなかったハワイでは、伝説や歴史の物語を このような形にして大切に後世に伝えてきたわけです。 カラカウア王の努力によって ハワイの古い文化は盛り返しを見せましたが、 その後20世紀の初頭になると、 ハワイアン・チャントに合わせて踊る 地味で儀式的な古いフラは ついに影を潜めるようになりました。 というのは、ハワイに観光客が増え始め、 ハリウッド映画などでも ハワイが紹介されるようになったために フラの“目的”がこの時期がらりと変わったからです。 外国人の観客を楽しませるために、 英語の歌詞をつけ、わかりやすい振り付けにし、 セクシーに体をくねらせる新しいフラは、 伝統的なフラのイメージとは完全に異なるものでした。 セロファンのスカートや、サテンのパレオのような 官能的で派手なコスチュームで踊る 今日のフラのスタイルは おそらく、1930年から1940年の間に始まり ハワイがアメリカの州となった1959年にかけて 定着したものと思われます。 フラの変化を簡単に紹介しましたが、それだけでも、 ハワイがどんな200年を通り抜けてきたか ほんの少し感じていただけたのではないかと思います。 こうして、毎年多くの観光客が訪れる “人気の高いリゾート地”となったハワイでは、 厳粛な意味を持つ本来のフラは、 再び目立たない存在へと変わっていく 運命をたどることとなったわけなのです。 |
2000-06-24-SAT
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