hawaii
ほんとうにほんとのハワイ。

■Vol.11 アンティ・モアナのハラウ
 hula Part2

現在、ハワイでもっとも有名なフラの大会は、
毎年4月にハワイ島で行われる
Merrie Monarch hula Festival
(メリー・モナーク・フラ・フェスティバル)です。
カラカウア王の愛称を冠したこの大会は、
世界各国のフラの踊り手たちが一堂に会する
フラのオリンピックのようなもの。
男女別に分かれ、それぞれが
hula kahiko(フラ・カヒコ=古い伝統的なフラ)と
hula 'auana(フラ・アウアナ=新しいフラ)を
披露します。
また、女性のダンサーがひとりで踊る
ミス・アロハ・フラも、このフェスティバルでは
注目のタイトルのひとつです。

男性も女性もフラを踊りますが、
アウアナは主に女性が踊ることのほうが多いフラです。
スローでメロウなラブ・ソングに合わせ、
女性らしい柔らかな動きで踊るアウアナは、
みなさんにも一番馴染みのあるフラだと思います。
カヒコは男性も踊るフラです。
その動きはもっと力強く、
ストーリーは古い伝説に基づいています。
カヒコのダンスは真剣でパワーに満ちています。
カヒコを踊るときには、女性は普通、ティの葉
(ハワイでは儀式の際によく用いられる葉で、
身に付けると悪い霊から身を守ってくれると言われている)
でつくったスカートをはき、
男性はマロ(腰に付けるハワイの
トラディショナルなコスチューム)を身に付けます。

ハワイを訪れると、フラだけでなく
ほかのポリネシアン・ダンスも見ることができます。
多くの人々は、フラとほかのポリネシアン・ダンスを
混同しているように見受けられます。
私はポリネシア人として、
すべてのポリネシアン・ダンスを
素晴らしいと思っていますが、
でもここでその違いについても、
ちょっとわかっていただけたら、と思います。
もし、火を使ったダンスだったらそれはMaori
(マオリ。ニュージーランドのネイティブ)のダンスだし、
もし、女性が頭に大きな装飾を付け、
セクシーに腰を動かすものだったら
それはタヒチのダンスなのです。

私も子供の頃、フラの練習に参加したことがありますが、
残念なことに私にはフラの才能がありませんでした。
それでも練習をやめず、続けていれば……と、
少し後悔もしています。
女の子は大体5歳くらいからフラの練習を始めます。
私の母は、子供の頃アンティ・モアナ
(モアナおばさん)からフラを教わりました。
アンティ・モアナは祖母の一番下の妹で、
Harriet Ne(ハリエット・ネ)という
有名なフラの先生の弟子であり、
ハワイアン・カルチャーやハワイの伝統音楽を
やはりその道の第一人者であるEdith Kanakaole
(イーディス・カナカオレ)とGeorge Naope
(ジョージ・ナオペ)という人に就いて教わったという
筋金入りのプロフェッショナル。
アンティ・モアナは優れた才能と努力によって、
30年前モロカイに自分のフラのスクールを開きました。

モロカイ島のデュドワ・ファミリーは、
代々音楽やダンスなどを得意とすることで有名です。
アンティ・モアナのhalau (ハラウ=スクール)では、
フラ・カヒコとフラ・アウアナ 、
それにハワイ以外の
ポリネシアン・ダンスを教えています。
アンティ・モアナのハラウには13歳から入れるのですが、
定員が決まっているため、入学には、
やはり幼い頃からフラを練習した経験のある
子供が選ばれるようです。
このハラウはメリー・モナークに
参加する権利を持っていて、
ときどき賞も取ったりしています。

最近、ハラウには日本人の女性が
メリー・モナークのメイン・イベントのひとつである
「カ・フラ・ピコ」に一緒に出場するため、
練習に参加していたそうです。
その女性は1ヶ月間モロカイに滞在して
フラの練習をしたそうです。
おばさんのハラウは授業料をとりません。
ハラウが生徒に望んでいるのは、
“ハラウとフラに敬意を払ってもらうこと”だけ。
その気持ちがある生徒なら、国籍や人種も問いません。

ハラウのメンバーは、いまちょうど
タヒチから帰ってきたばかりだとのことで、
タヒチではお互いの文化やダンスを教え合い
有意義な時を過ごしてきたそうです。
ハラウはポリネシアだけでなく、ヨーロッパや
アメリカ本土など世界中を飛び回って、
その土地の文化やダンスを教わる代わりに
フラを教えるという活動をずっと続けています。
聞くところによると、近い将来、
日本にも来る予定とのこと。
おばさんのハラウもまた、私と同じように
ハワイの文化をほかの国の人たちに
伝えたいという思いで頑張っているわけです。

母は私と違って、最初からフラにぴったりの
美しい動きを表現する才能を持っていました。
母がミス・ハワイのコンテストに出場したとき
フラを披露して観客の絶賛を浴び、
タレント・セクション(特技を競う項目)で
見事受賞を果たしたことがあるそうです。


ミス・ハワイのコンテストに出場したときの母。
母が着ているのは
青いベルベットで作られたholoku(ホロク)。
ホロクは、フラ・アウアナを踊る際に着用する
フォーマルなハワイアン・ドレス。


私が6歳くらいの頃、母のフラを
初めて観たときの感動はいまも忘れられません。
それは、祖母の
バースデイ・パーティでのことだったと思います。
私たち家族はマウイからモロカイまで、
パーティに参加するため行ったわけですが、
母は、それだけでなく祖母のために
セレナーデを踊るよう頼まれていました。

母がステージに上がると、その後ろで
母の妹のアンティ・ナンが歌い始めました。
アンティ・ナンはプロのハワイアン・シンガーです。
その声はスモーキーだけどとてもなめらかで、
スローなセレナーデを歌うと、
それは切なくロマンティックに聴く人の心に響きます。
その歌声にのって踊りだした母は、
まるでステージの上を滑っているかのようでした。
母の動きのすべてが本当にエレガントで
ため息が出るほど美しく、
子供の私には、ステージにいるのは
私の知っている母ではなく、どこか遠い世界の
高貴なお姫さまのように映ったほどです。
私は、驚きと嬉しさだけでなく
もう鼻高々な気分でした。

ダンスが終わると、アンティ・モアナが
母を抱きしめてこう言いました。
「私の最高の生徒、姪のマクシーンにどうぞ拍手を!」
私は立ち上がり、小さな手で
母に届くようにと精一杯拍手しました。
しかしその音は、にわかに沸き上がった
嵐のような拍手にかき消されてしまいました。
それでも私は、割れるような拍手の渦の中で
いつまでもいつまでも
手をたたき続けていました。

2000-06-28-WED
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