糸井重里から
- 糸井
- お二人のことは、もうちょっとあとに
発表するつもりだったんですが。
- 早野
- もっとあとにやるつもりだと
うかがってました(笑)。 - 河野
- ええ(笑)。
- 糸井
- でも、待たなければいけない要素って
じつは、そんなにないんですよね。
だったら、もう‥‥
早いほうがいいんじゃないかと! - 一同
- (笑)
- 糸井
- それで、いつ発表するにしても、
どうやって発表したらいいんだろうな
と考えてたんです。
たとえば、ぼくが「今日のダーリン」に書く。
早野さんはツイートするのかな。
その場合、河野さんはどうしたらいいんだろう。
あるいは、ぼくと早野さんと河野さんが
それぞれに「さて、ご挨拶」というような
原稿を書く、ということも考えられますが、
ちょっと堅苦しいんですよね。 - 早野
- うん(笑)。
- 糸井
- もうちょっと「ほぼ日」なりの
発表のしかたがあるだろう、と思ったわけです。
それで、3人がそれぞれ挨拶するようなことは
もうぜんぶ省略してしまって、
この鼎談のなかでやってしまおう、と。
つまり、「話体」で挨拶をすませてしまう。
たとえば、3人がどこかに挨拶を書くとしたら、
どういうことを書くんだろうね、
ということを、ここでしゃべってしまおうと。 - 河野
- なるほど(笑)。
- 糸井
- そう思ったんです。
- 早野
- 原稿を書く手間を省く代わりに、
ここでしゃべれというわけなんですね? - 糸井
- はははは、そうです。
掲載は、これから大急ぎで準備して、
たぶん、1週間後くらいになります。 - 河野
- じゃ、コンパクトに、
短めの挨拶文を話すつもりでやる、と。 - 糸井
- そうですね。
- 早野
- じゃあ、まず‥‥。
- 糸井
- ぼくから口火を切らなきゃいけないでしょうね。
- 河野
- よろしくお願いします。
- 糸井
- まあ、なんというか、きっかけは、
ほんとうに偶然というか、僥倖というか、
ここにいるお二人が、同じタイミングで、
長く所属していたところから離れて
自由な立場になられた。
早野龍五さんは東京大学を退官されました。
河野通和さんは編集長を務めていた雑誌、
『考える人』が休刊になり、新潮社をやめられた。
ぼくらの会社も同じようなタイミングで上場しまして、
取材なんかでしょっちゅう訊かれるのは、
「株式を公開して得たお金を何につかうんですか?」
ということなんですね。
で、そのとき、ぼくがいつも答えとして言ってるのは、
とにかく「人につかいます」ということなんです。
- 昔は「人に使う」と言うと、
支店をつくるとか、営業マンを入れるとか、
売り先へ流す量を拡大するというイメージが
持たれていたと思うんですけど、
ぼくの考える「人にお金をつかう」というのは、
会社に人が入ることで、その人たちが、
いろんなことをがらっと変えてしまう、
というようなイメージなんです。
忙しくなるから人を増やすとか、
そういう単純なことではない。
人をひとり入れるっていうのは、
工場をひとつ建てるようなものだって
昔から思っているわけです。
だから、「お金を人につかう」っていうと、
あ、わりと普通ですね、って言われるんだけど、
ちょっと心外だったんです。
ナメるんじゃない、と(笑)。
でも、正直言うと、具体的に誰を誘うとか、
そういう当てはなかったんです。
そんなときに、早野さんと河野さんが、
声をかけてもいい存在になった。
それで、あとづけのように、
「ほら、人を入れるって言ってたでしょう?」って
言えるようになったわけです。 - 一同
- (笑)
- 糸井
- 早野龍五さんと河野通和さんは、
いまの「ほぼ日」に欠けている部分を
専門にしている方です。
しかも、二人とも、これから先に、
ものすごく忙しくなる本職が
決まっているかというと
とくにそういうわけではないとおっしゃる。
じゃあ、ぼくはとにかく口説きます、
というふうに申し上げて、
まあ、困ったなという気持ちも
なくはなかったのかもしれませんけれども(笑)、
結果的にお二人ともご快諾いただけて、
「ほぼ日」にお迎えできることになりました。
早野さんは、うちにわかりやすく欠けている
「サイエンス」という部門の相談ができる人。
会社に入っていただくことで、
そういったことが充実するのはもちろん、
サイエンス部門の会社や専門家の方が
うちと関わることになったときに、
あの会社には「早野がいるな」って
思えるというだけで、何かいいんじゃないかなと。
実際、そういう事案は近年増えているんですよ。
あと、もっと大きい話でいうと、
福島での早野さんの行動などを通して知った、
早野さん独自の「思考のプロセス」があって、
それはやっぱりぼくらにはないものなので、
もしもメソッドみたいなものがあるなら、
学ばせていただきたいなと思って、お招きしました。
「サイエンス・フェロー」という肩書きで
お願いすることになりましたが、
それ以上の細かいことは、何も決めてません。 - 早野
- ふふふふふ。
- 糸井
- そして、河野通和さんです。
河野さんは中央公論社の
『婦人公論』、『中央公論』、
そして新潮社の『考える人』という
雑誌の編集長をお務めになった、
いってみれば人文分野のスペシャリストです。
で、これもまた偶然なんですけど、
ぼくは去年の年末あたりから、
「古典に帰ろう」というコンセプトで
今後の「ほぼ日」の柱になるようなことを
スタートさせたいなと考えていたんです。
たとえば、シェイクスピアとか、万葉集とか、
そういったクラシックのおもしろさを
見つめ直す、学び直す、というものです。
ぼくらは、自分たちがいま興味のあることを
その場その場でつかんでいくというのは
わりと得意なんですけど、
古典のような、長年かかって組み上げてきた、
心や魂に深く関わるような部分に関することは
知識としても経験としても、欠けているんですね。
- 古典は、コンテンツとしておもしろいだけでなく、
社会がその存在を必要としていますし、
その意味ではみんながよろこんでくれるもので、
さらにいうと、ビジネスになる可能性も大いにある。
だから、これから「ほぼ日」が古典に取り組んで、
古典を得意分野にするというのは、会社の将来性として、
とても意味があると思っていたんです。
しかし、うちがこのままの体制でそれを
押し進めていくのはなかなか大変だぞ、と。
それで、河野さんに相談しなきゃというのは
はじめから思っていたわけです。
たとえば、河野さんを中心にしたチームをつくって
「ほぼ日の学校」のようなことができないかな、と。
どういうふうにはじめるかだなあと思っていたら、
もう、まさに、河野さんが働ける状態になった。 - 河野
- はい(笑)。
- 糸井
- そうなると、話は古典の学校に留まらないなと。
「ほぼ日」の、なんていうんだろうな、
知と教養部分、人文科学部門の長を
ぜひやっていただきたいなと思って
お願いしたわけです。
で、正式にOKをいただいたのが、最近のことです。
うちは編集長とか編集局長とかいう
役職があるわけではないので、
組織のどこにどういう名前で
入っていただくかというのは
とくに決まってないんですけど。
ただ、河野さんのお仕事には資料が必要で、
いまも膨大な資料を抱えてらっしゃると
お聞きしたので、居場所というか、部屋というか、
物理的なスペースというのは必要になるかな、と。
それで河野さんの部屋をつくろうとしています。
あ、その意味では、早野さんの部屋は
まだとくに用意していません(笑)。 - 早野
- ぼくは、オフィスのどこかに
ハンモックでも吊っていただければ。 - 一同
- (笑)
- 糸井
- そういうことすら現在進行形で
まさに整えている状態ですけど、
河野さんはフローとストックでいうと、
ストックの大事な仕事なので、
そういう文化やスタイルの違いというのも
「ほぼ日」に入ったときに
とてもおもしろい効果があると思ったんです。
親潮と黒潮が出合ったところに
豊かな漁場ができるみたいなことになれば
両方にとって最高なんじゃないかと思います。
そういうことって、小手先のテクニックじゃ
どうにもならないことですから。
これまで、ぼくらは、なんていうんだろう、
どちらかといえば、
その日のコンテンツをつくるために
ある種の速度感をもって
どたばたとやってきたと思うんです。
そのことで、いいところも、悪いところも、
両方あると思うんですね。
そこに、河野さんという、いってみれば
人文分野の部長のような人がやってきて、
組織の重しになってくれる。
それは早野さんにしてもまったく同じことで、
まさに「アーツ&サイエンス」の両部門で
新しいスペシャリストが仲間に加わるというのは
「ほぼ日」にとって、すばらしいことだと感じています。
詳しくは決まってませんが、
当面、河野さんは常勤のかたちでいていただいて、
早野さんは非常勤というかたちになると思います。
お二人とも、明らかにぼくにないものを
持ってらっしゃるので、
ぼく個人にとってもとてもありがたいです。
で、一昨日かな、
「ほぼ日」の乗組員全員が集まる場で、
お二人が加わるということを
内部的に共有したんですけど‥‥
拍手が起こりましたよ(笑)。
- 河野
- へぇぇ(笑)。
- 早野
- そうですか(笑)。
- 糸井
- 人事の話で拍手が起こるというのは、
やっぱり、人徳だと思いました(笑)。
ちょっと長くなりましたが、
まずは、ぼくの挨拶でした。
じゃあ、つぎは、早野さんに。