へなちょこ雑貨店。 一寸の虫の五分のたましい物語。 |
第11回 N氏登場 毎度ご来店ありがとうございます。 長いこと間をあけてしまったのですが 本編にお話を戻したいと思います。 「アントレ」の投稿ページに 「スペースを貸してください」と掲載してもらったところ、 思っていた以上の問い合わせの数に驚きつつも、 その多くは「仲間募集」や 「コンサルタント氏」であったことに 辟易していたわたしたち。 しかし、じつはかなり早い段階で、 はるかニューヨーク在住の日本人男性から メールを受け取っていたのでした。 「当方、ニューヨークで店を経営しています。 この度は、日本での事業展開を計画中で、 お2人と協力関係を結べたらと思います。 つきましては、一度お話させていただきたく、ウンヌン」 このメールにわたしたちはときめきました。 アメリカ在住の方とあれば、 スペースを借りる件だけでなく、 輸出入に関してもお世話になれるかもしれない! しかも店舗経営に関しての先輩でもあるようです。 やっと、わたしたちにも 明るい光が見えてきたのでしょうか。 その方――仮にニューヨーカーってことで、 “N氏”とします――とは何度かのメール交換で、 お互いの計画に接点があるような気配を感じていました。 N氏はニューヨーク在住であることを生かし、 現地から発信する商品を日本で展開することを 計画しているとのことでした。 そこで商品とともに ショップそのものも展開するつもりだ、というのです。 いずれは自らも店舗を開くことを予定しているとのこと。 わたしたちは、 ほかの「コンサルタント氏」たちに送ったのと同様の 事業計画書を見てもらいました。 それに対しての彼の反応は、 前出の「添削されちゃった経験」からすると 物足りないくらい淡白で、むしろ細かい内容に関しては、 「これからどんどんつめていけばいいんじゃないかな」 というものでした。 この距離感というか、 「他人にがっちりつかまれてない感じ」は、 わたしたちがN氏を好意的に考える ひとつの要素となりました。 ちょうど、一度アメリカに行って、 将来わたしたちが扱う商品のイメージを固めようと 計画していたところでもありました。 当初は西側のロサンゼルスやサンフランシスコあたりの お店を見て回ろうと考えていて チケットの手配も済んでいたのですが、 急遽、まったく反対の東海岸・ニューヨークまで 足を伸ばすことにしたのです。 これはひょっとして、「起業家」なら誰もが夢見る ビジネス・チャンスってやつかもしれないですから。 起業家なら。 いやしかし、いくら相手が日本人とはいえ、 会ったことのない男性に、 しかもニューヨークまで会いに行く、というのは サスガにちょっと不安でした。 そして、N氏の話を客観的に聞いてくれる 第三者となる人間という意味も含めて、 のちに「26」のロゴマークやら印刷物のデザインを 一手に引き受けることになる、 へなちょこ専属デザイナー・K(当時27才・男性)に 夏休みを利用して一緒に行ってもらうことにしました。 ニューヨークで会ったN氏の印象は、 「‥‥ニッポン人だなあ」 でした。 顔つきとかスーツの着こなし方とか。 アメリカナイズされてる具合とか。 ニューヨーカー・N氏改め、“ニッポン人・N氏”に変更。 年齢は30代後半のようです。 数年前に日本はバブルがはじけちゃったから、 速攻で渡米したとのこと。 そして、 「アメリカの好景気もそろそろ終わるから、 ここらで日本に帰ろうと思ってるんだ」。 はあ、そういうモンですか。 N氏の話をまとめると、 1.ニューヨーク発の商品(衣料品)を日本で展開したい 2.そのためのショップ経営者を探していた 3.日本の大手不動産会社の人間も このプランに乗り気なので、 キミタチ(彼はわたしたちのことを必ずこう呼んだ)の 希望の場所でスペースを借りられるハズだ。 4.ニューヨークでのビジネスの人脈を生かして バイヤーも用意できる。 5.ショップの経営そのもの(他の商品や内装など)は キミタチの自由。 ただし、N氏が提供する商品も扱うことが条件。 6.日本の某・若者向け人気雑誌に コネクションを持っているので、 宣伝面でもフォローできる。 7.以上の条件に対してN氏に「契約料」を支払う。 とのことでした。 むむむむむ? これは、いわゆるおいしい話というやつではないのか。 大丈夫なのか、わたしたち。 あまりの「いい話」にちょっとマユツバ。 “大手”不動産会社とか、“人気”雑誌とかいう単語が とにかくよく出てくる。 そういうことばに飛びつくという かわいらしさがわたしたちにはありません。 しかし、もしこれがサギを目的にしているとすると、 契約料が低すぎるのです。 たしか最高で50万円でした。 そのくらいのお金をだまし取るために わざわざ日本の小娘呼んだりしないよなあ? そこで、冷静な判断をするために 同行してもらったデザイナー・Kに 意見を聞いてみました。 いわく、 「とりあえず、話をひっぱっておいたらいいんじゃないの。 今すぐカネを払えっていうんじゃなさそうだし」 と、期待通りの冷静な反応。 なななるほど。 翌日も「軽いミーティング」をしようという お申し出を受けてニューヨークの夜の街へ。 食事をごちそうになり、 われわれのようなお上りさんだけでは とても足を踏み入れることができないような 「バー」へ連れて行ってもらいました。 いきなはからい。 そこには マンハッタンでシェーカー振り続けてウン十年、という たいへんすてきなバーテンダーがいらっしゃいました。 ことば少なく、でも笑顔の白髪の老紳士がつくってくれた カクテルはうまかった。 ニューヨークでの仕事にキリをつけたら 帰国する予定だというN氏との、 現地での話し合いはひとまず終了し、 今後も連絡を取り合いましょう、ということになりました。 これはいい話のようです。 しかし何かがひっかかる、この感じはなんだろう? N氏はわたしたちに 自分のプランを押しつける様子はありません。 商品とともにショップそのものの展開もしていくけれど、 基本的にはキミタチの店としてやっていけばいい、 とも言っています。 ううむ。 しかし、なんともいえない違和感が漂うのです。 それでも、だまされるという感覚ではない。 とにかくこの時は 「アメリカは契約の国」というN氏の発言を受けて 仮の仮契約のような書類を交わしました。 N氏と別れたわたしたちは、当初の予定を遂行すべく、 ニューヨークの街を散策しました。 ニューヨークは数年前に訪れた時に比べ 治安が良くなっており、 どこもこぎれいになっている印象を受けました。 当たり前のように五番街のブランド品のお店を素通りし、 おもちゃ屋やお土産もの屋などをまわって、 将来の取り扱い商品のサンプル探しを始めました。 ちょうど「スターウオーズ・エピソード1」ブームが 去るか去らないか、これからはあのおバカ映画 「オースティン・パワーズ」だ、という時期で 大手のおもちゃ屋は、 この2つのキャラクターものが満載でした。 違う違う、こういうものではなくて。 もっと「手のかかってないおもちゃ」って どこに売っているのだろうか? なんとなく手応えを感じることができないまま、 東から西へ移動し、 やはり大手のおもちゃ屋などを回りました。 しかし、場所を変えてもどうも 「ストライク・ゾーン」に入ってくるものがないのです。 どこか洗練されてしまっているというか、 ヨーロピアンな感じっていうんでしょうか。 違うかな? わたしたちが漠然と抱いていたイメージは もっとベタなアメリカンなんです。 いろいろ歩いたけれど、ダウンタウンや 観光地として勢いのある街では 見つからないのかもしれない。 やはり、わたしたちを呼んでいるのは、 スーパーマーケットやホームセンターのような気がする。 大きなお店を数店まわってみてこう結論が出ました。 これだけでも、2人の中での絞り込みは 進んだと言ってよさそうです。 そうこうしている内に、サラリーマン・Kは先に帰国し、 数日後わたしも当時のバイトの関係で オオタケひとりをアメリカに残し、 帰国せざるをえなくなりました。 1週間後、オオタケはたくさんの「サンプル」を 持って帰ってきました。 「バス乗り継いで郊外に行って来てん。 そしたらやっぱり、うちらのツボに入る店が ぎょうさんあったで。 ふつうのアメリカ人が生活しとるところ」 でかした。 やればできる子だとは思っていた。 オオタケが広げた風呂敷、でなくて、荷物は わたしも思い描いていた品物がてんこもりでした。 ごくふつうに使われているけど、 ふつうすぎて日本には入ってきてない日用品や、 キャラクターものではない雑なおもちゃ。 そうか、なにも旅費ばかりかかる 人気の高い土地に行かなくても、はじめから すべてがこじんまりとまとまった街に行けばいいのだ。 これが分かっただけでも今回の旅の収穫でした。 これからしばらくはN氏からの連絡を待ちながら バイトして資金を稼ぐ日々が続くことになりそうです。 (つづく) ※文中、太字部分は、編集部へなちょこ番によって、 施されたものです。
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2000-07-29-SAT
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