へなちょこ雑貨店。 一寸の虫の五分のたましい物語。 |
第12回 バブルの残り香 毎度ご来店ありがとうございます。 ほんの数年前の真夏には、 若いむすめさんたちが揃ってアタマにお花つけてましたね。 もう、やらないんですね。 ここ最近「ブレイク」したものってナンでしたっけ? 今、原宿は前々回ここでご紹介させていただいた 「Cosmetic Set」の『つけ指』が大ブレイクしています。 猫も杓子もつけ指ですわ。 猫も杓子も、って言いぐさがもう、なんかこう、 質の悪いウソをさらに、こう‥‥。 エニウェイ。 去年の今ごろ、そうそうあの「キックボード」が 大ブレイクしていたころです。 わたしたちは、N氏とのミーティングと 未来のサンプル探しの旅を終え、 資金を稼ぐためのアルバイト生活に戻りました。 しかし待てど暮らせどN氏から連絡が来ません。 とは言え、 何度も催促のメールを送りつけるようなこともためらわれ、 ひたすら待つしかありませんでした。 およそ1ヶ月が過ぎ、やきもきするのにも飽きた頃、 やっと国際電話がかかってきました。 「いやあ、毎日毎日忙しくってねえ。 ずいぶんキミタチのこと待たせちゃったかなあ」 ニューヨークで会ったときと同じ陽気な声。 はあ、待ちました。 その電話での話しぶりから察するところでは、 例のプランは進行しているように聞こえました。 N氏の店舗スペース案というのは、 N氏が所有する店舗のスペースを 貸してくれるのではなくて、 現在営業中の店舗に 彼がスペース借りの「交渉」をしていく、 というものでした。 日本の大手不動産会社もこのプランに乗り気というのは そういう意味で、彼らの協力をもって成り立つ、 ということのようです。 つまり、わたしたちが最初に考えていた 店舗のスペース借りというプランと同じなのですが、 わたしたちとのいちばんの違いは 彼には「人脈」がある、ということでした。 初めて会ってからまる2ヶ月後、 当初の予定から大幅に遅れてN氏が帰国しました。 ニューヨークのビジネスをすべてひとの手に渡しての 「永久帰国」です。 それからは「忙しい」彼の都合に会わせて ミーティングを重ねていくのですが、 その時間によってはオオタケだけだったり あるいはわたしだけだったりと、 なかなか3人で会うことができませんでした。 会う時間や場所など、わたしたちは 常にN氏の方に主導権を握らせていたのです。 握られていた、という言うべきかもしれないのですが、 はっきりと意識して「握らせていた」のですから ことばにウソはありません。 ソフトスーツにセカンドバッグを小脇にかかえた N氏とのミーティングは、たいがい食事を兼ねており 照明落としがちで静かめ、 酒は各種取りそろえてございます、 というお店が多かったです。 食事が済むとたいがい「バー」にも 連れて行かれましたっけ。 彼は細いたばこを吸いながら、 オオタケにはわたしのことを、 わたしにはオオタケのことを尋ねたりもしました。 彼なりの方法でわたしたち2人の信頼関係を 試そうと思ったのかもしれません。 これまでもN氏に対して なんとも言えない違和感を抱いていたのですが、 店を開くための唯一の明るい光であることに違いはないので 黙って話についていきました。 いつ「店舗候補地」を提示してくれるのかと、 こちらとしては毎回たのしみにしていたわけですが、 何回話しても「キミタチの希望の場所はどこ?」と 逆に質問されてしまいます。 こちらとしては、いくら「キミタチの希望の場所を 借りられるハズだ」と言われても、 N氏の自信にあふれるクチブリから、 いずれある程度絞り込まれたものを 提示されるものだと思っていました。 希望地を聞かれる度に、釈然としないながらも 上野あたりとか渋谷のはずれあたりの地名を挙げます。 そうすると「そう。また連絡する」と言われ、 しばらくすると「ヒトを使って調査してみたら ソコは組合の審査が厳しいんだ」とか 「今、調査中だからほかに希望はないの?」と さらに質問されてしまいます。 何度か「そちらのおすすめはどこですか?」という ことばを使って聞いてみたこともありました。 そしたら「あるビルのワンフロアごと 『プロモート』してくれ、という依頼を受けている」 なんて言ってたっけ。 しかし、それをどう「プロモート」するつもりなのかとか、 どんな人がからんでくるとか、 そういった具体的な話はしてもらえませんでした。 N氏が扱うつもりだという 商品のラインナップにしても同様で、 「ニューヨーク新進気鋭のアーティストの使 用権を手に入れている」とは言うけれど、 それの完成の見通しについては言及しないし、 ほかの予定商品についても 「ぼくが7年かけて集めた『ノウハウ』だから そう簡単には話せない」などとかわされました。 その時のわたしたちは、 自分たちが未来の経営者として「頼りないから」 N氏にあまり手の内を明かしてもらえないのだろう、と 思っていました。 なにしろN氏は「経営者としての先輩」であるわけだし、 単純に年齢が上でした。 最近オオタケとよく話すことのひとつなのですが、 どうもわたしたちは「目上の人を尊敬したい」という 気持ちが強すぎるようです。 つまり「トシが上なら何か得るものを 与えてくれるんじゃないか」という幻想を 抱きがちなのではないか、ということ。 N氏に対してもそういった気持ちが強すぎたようです。 これ、あくまでもこちらの意識のお話です。 年上だからと言って尊敬するべきではない、ということが 言いたいのではなくて。 尊敬できる人と仕事をしたいと思ったからこそ、 イニシアチブを彼に預けたし、 多くの場合聞き手にまわりました。 また、会社員に脱力した後だったから、 自己アピールとかプレゼンに対して 腰がひけていたのだと思います。 何度も繰り返しますが、脱力ではなくて 確固たる信念をもって退職したのなら 話は違うと思うのです。 N氏のあいまいな態度に 厳しいツッコミを入れたかもしれないし、 自分たちの経験や「できること」などを 上手にアピールできたかもしれないです。 それから、ずっと感じてきたN氏への違和感ですが、 今はそれがなんであったか分かっています。 プレゼンとか自己アピールってことばが、 いちばん浸透した時代を思い出せば 答えはすぐ出ました。 バブルです。 あの時代を生き抜いてきた方たちや、 あの時代そのものに対して 批判・批評するつもりなんてさらさらないんですが、 ただ「バブルはとうにはじけましてございます」と 低調に、いや丁重に申し上げたいだけです。 N氏がまとっていたものはバブル期のにおいでした。 逆オーラ。 20代後半のわたしたちと30代後半のN氏とは 明らかにその意味で接点がありませんでした。 いや、プライオリティにズレがあったと言った方が より近いかもしれません。 彼の話に出てくる単語は どれも魅力的に映りえるものばかりでした。 「人気雑誌」「大手不動産会社」 「新進気鋭のアーティスト」などなど。 しかし、わたしたちがもっとも求めたもの、 優先順位の上位にあったものは、「現実味」でした。 これは大きかった。 このズレが解消されない限りは 一緒に仕事をしていくのは難しいでしょう。 N氏と関わっていく上でもう一点、 気になる出来事がありました。 彼の抱えるビジネスの中に、 わたしたちの会社員時代の経験と人脈を 有効に使えることがあったので、 それを手伝うことになったのです。 これに関してはどういうわけか、 わたしたちは「無償」でした。 彼にしてみれば、それは当然のことのようでした。 それがわたしたちが年下だからなのか、 自分がわたしたちに「与えているもの」への 自信なのか分かりません。 仕事をする前にきちんと話し合いを持つべきだったと 反省しています。 N氏への信頼を抱けないまま時間が過ぎ、 ある時「いつになったら話が先に進むのか、 具体的に決まっていることは何なのか、説明してほしい」 というオオタケのことばに対して、彼はこう言いました。 「食事をおごってやってるし、 キミタチの希望の場所を聞いてあげたりしてるのに、 どうしてなにもかもぼくの“考え”を否定するんだい?」 否定してません。 質問をしています。 その考えとやらを聞かせてください、とお願いしています。 答えが出ないまま、ある日の原宿での話し合いの時、 オオタケがたまたま ジャンクヤードを発見したことを告げると、 彼は真顔で「あの場所でキミタチの商品が売れるように 『プロデュース』してあげる」と言ったそうです。 もう、いいってば。 ジャンクヤードの契約に関しては次回お話ししますが、 オオタケが家主と直接契約を交わした後にも、 N氏は突然彼女に電話してきて 「ジャンクヤードの鍵を貸してくれるかなあ?」とも 言ってきました。 なぜ、オオタケと家主さんとで契約した場所の鍵を 彼に貸す必要がありましょう。 オオタケさんたらベタな関西弁で 「なにに使いますのん?」とスゴんだもんだから、 N氏ちょっとさびしそうでした。 とはいえ、わたしにしたって、この一件で N氏に対して若干残っていた期待感は 完全に消えてしまいました。 こちらのそんな冷めた態度にも関わらず、 彼は無邪気とさえとれる笑顔で さらなる「おいしい話」を持ちかけてきたため、 とうとうオオタケが苦笑まじりに 「具体性のあることがらなら検討しますけど、 そうでないなら結構です」と言ったのを最後に 連絡を絶つことにしました。 今になって思えば、大きなトラブルにならなくて 本当によかった。 N氏と関わったことでわたしたちが学んだことは、 自分たちの責任で店を立ち上げるからには、 たとえ相手が経験者や年上の人であっても、 ある程度は自分たちのカードも 見せなくちゃいけなかったんだ、ということでした。 オオタケにもわたしにも小売りの経験があったことや、 短いながらも会社員生活を送っていたことなどを 話すべきだったのです。 そしてなぜ会社員を辞めて 自分たちの店を持とうと思ったのかということも。 あまりに「聞く態度」ばかり見せてしまったために、 何も考えてない人間というふうに とらえられていたのだと思っています。 2人ともプレゼン苦手だからなー。 N氏のプランですでに決定していることが あろうがなかろうが、 もっと彼にことばをぶつけていくべきでした。 そうすることによって少なくとも こちらが優先的に考えていることがらだけでも 伝えられたと思うのです。 N氏の頭の中にわたしたちからお金をだましとったり、 なんらかのカタチで利用しようというつもりは なかったのでしょう。 彼にしたって、できれば本当に 自分のプランを実現したかっただけだと思うのです。 しかしかなしいかな、彼が渡米する前の日本とは あらゆる状況が異なっていたのでした。 あっという間に季節は流れ、 秋風が吹きはじめておりました。 ぴう。 (つづく) ※文中、太字部分は、編集部へなちょこ番によって、 施されたものです。
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2000-08-06-SUN
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