へなちょこ雑貨店。
一寸の虫の五分のたましい物語。

第19回 「鳥肌のたつような」出会い

毎度ご来店ありがとうございます。
前回の
「26初!オリジナルグッズ/26 BOOK COVER」に、
たくさんのお問い合わせありがとうございました。
想像をはるかに上回る「通販希望」メールに、
驚きつつも嬉しく思っております。
この場を借りてお答えいたしますと、
現段階では通販の予定はございません。
せっかくお問い合わせいただきましたのに、
まことに申し訳ないのですが、
今回の生産分に関しましては、
店頭販売のみとさせていただきたいと思います。

しかし、予想以上の反響に
製作者ゴチョウもたいへん気をよくしておりますので、
しばしお時間をいただけましたら、
この「へなちょこ雑貨店」におきまして再度、
お知らせ申し上げたいと思っております。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

ちなみに価格は2,300円(税別)でございます。

さて、お話を戻しましょう。
シマシマの壁やおかしな形の箱などを生産しつつも、
先に決めてしまっていた「開店の日」は近づいています。
それなのに、わたしたちにはまだ商材がありません。
とっとと買付に行かなくては。

N氏に会ったあの旅で、わたしたちは、どんな品物を
じぶんたちの商材として求めているかを確認していました。
それは「アメリカ国民がごくふつうに使っているもので、
ふつうすぎて日本には入ってきていない日用品や、
キャラクターものではない雑なおもちゃ」です。
そして、それらを買い求めるためには、
すべてがこぢんまりとまとまった街に
行けばいいのだということを学んでおりました。
学習能力。
そこで、近くて狭いあの州を目指して成田を発ったのは
2000年1月11日。
開店まであと10日となっており、ケツについた火は
ごうごうと音を立てて燃えておるのでした。

1月12日あの州へ着陸。
わたしたちがまず最初に向かったのは
「レンタ・サイクル屋」でした。
日本語ぺらぺらのビーチボーイが
「好きなの乗ってけ」という感じにやっている店が
そこかしこにあります。
わたしたちは滞在ホテルにいちばん近いところで
チャリンコを2台チャーターし、
とにかく島を一回りしてみることにしました。
狭い島といえども、坂の連続。
借りたチャリンコはビーチ・クルーザーなので
とても重いし、もともと運動神経ゼロ、体力ゼロのわたしは
かなりヨレヨレになって初日を終了しました。
しかし滞在期間は3泊4日、
ムダにできる時間は少しもないのです。
「海がそこにあるよ‥‥」と小声で言う
ダイバー・オオタケのことばを、
我ながら気持ちいいくらいに無視しての強行スケジュール。



翌日からは、めぼしいホームセンターや
スーパーマーケットなどを回りながら、
個人でやっているような小売店なども
細かくチェックします。
そしてわたしたちのホテルの部屋の中は
どんどん狭くなっていくのでした。
工具セットなどの重い物を
段ボールの下に敷き詰めるように置き、
徐々に軽い物を詰めていきます。
しかしまー、これがあほほど重い!
こんな買付を年に何回も繰り返すわけにはいかないな、と
思わずにはいられない重さ。
そうです、わたしたちには、
「開店後」の輸入代行をしてくれる会社が
まだ見つかっていないのでした。
ときおりよぎる大きな不安。
やっていけるのか、こんなことで‥‥。

でもまぁ、今さら後には引く気はないし、
寒風吹きすさぶ東京・原宿ではゴチョウ、シカちゃん、
デザイナー・Kが内装を続けてくれているのだ。
そもそも不安を感じている時間なんてない!
わたしたちは、とにかくじぶんたちの目につくものを
どんどん購入していくのでした。

そして滞在ホテルのごく近くの個人商店のお店に
「なにか面白いものがあるといいな」という
軽い気持ちで入りました。
それまでにもいくつかの小さなギフトショップを
覗いてはいたのですが、
どこのお店も「お土産然」とした商品が多く、
あまりわたちたちのこころを揺さぶるものは
みつかっていませんでした。
だから、そのお店に入ったのも、言ってしまえば、
じぶんたちのお土産を探しに入ったというくらいの
本当に軽い気持ちだったのです。

もう陽が暮れかかっており、長居をしては
お店の人に申し訳ないかな、と思ったのを覚えています。
しかし一歩入ってみると、こぢんまりしたそのお店には、
日用品に近いグッズもところ狭しと置いてありました。
体を洗うスポンジや歯ブラシなどが、
ふつうのお土産に混じっておいてあります。
「こんなものもちょっと変わったお土産になるのよ」と
おばさんが話しかけてくれました。
もちろん、そうでしょうとも!
わたしたちの心臓は、その時すでに
早鐘のように鳴っておりました。
聞けば「日本の若い人が、面白がって買っていく」
とのこと。
わたしたちは、「やっぱりそういう人っていますよね!」と
嬉しくなりました。
ひょっとしてじぶんたちより年上の人から
そういうコトバを聞けたのは初めてではないだろうか、
そんなことを思い、さらに心臓はどきどきしてきます。
しかも、実際に商売として
そういう商材を扱ってきた人のコトバです。
N氏の夢物語よりよっぽど説得力がありました。

このお店には日本人観光客の名刺が
天井からぶら下がっていました。
お店の方の人となりと商品のラインナップに感激した
観光客が置いていくのだそうです。
「でも‥」とおばさんは言います。
「でも、もうお店やめるのよ」
‥‥、それは、お客さんが減ったからですか?
こういう商材は商売として長く続けることは無理なのかと、
あっという間に意気消沈し始めるケツの穴の小さいオガワ。

しかし、おばさんの話は逆でした。
「オンラインショップ1本に絞ろうと思ってるの」
このとき話をしてくださったのは、
このお店の創業者の娘さんで、そのお母さんという方が、
日本から移民してきてお店を立ち上げたのだそうです。
お母さんはじぶんの足で商材を探してまわり、
日本人の観光客がリピーターとして何度も来てくれる店を
つくることに成功しました。

しかし、時代の流れとともに
土地代に対して収入が見合わなくなってきたため、
今まで培ってきた取引先との関係や商売のノウハウを、
思い切ってオンラインショップに向ける決意を
したんだそうです。

!!!
と、いうことは。

日本への輸出業務も当然すすめていくわけですよね?
わたしたちは、じぶんたちが原宿で
アメリカン日用雑貨の店を開こうとしていることを話し、
今後もしよかったらお付き合いいただけないか、と
申し出てみました。
ダメでもともと、一笑にふされるのを覚悟の上で。

ところが、お店のおばさんは目を輝かせて快諾。
さっそく創業者であるお母さんに話しておく、と
約束してくれました。
そればかりか、在庫を抱えていては店を閉められないから、
この店にあるものは
すべて売ってしまいたいとおっしゃって、
「欲しい物があったら、なんでも言って。
 出来る限り安くしてあげるから」と、
ぼんぼん値引きしてくれたのでした。

この時ばかりは全身に鳥肌が立ちましたよ。
こんな出会いもあるんです。
やってしまう怖さと同じくらい、
嬉しいことも用意されているものなのかもしれません。

しかも長いことお話をさせていただいたため、
すっかり陽は暮れており、いくらほかの都市より
治安がいいと言われているこの州でも、
この時間に荷物をたくさん抱えて
(うら若い女の子が)夜道を帰るのはキケンだからと、
たまたま居合わせたおばさんのお友だちに車を出させて、
本当に目の前にあるホテルまで送ってくださったのです。

すっかりいい気分のわたしたちは、
常夏の島から真冬の東京へ帰るのでした。
開店まであと5日。
緊張の日々が待っているのであります。

(つづく)


「PostCard」

いかにも土産土産した
ポストカードでは
あります。
が、ナニが好きって、
たぶん、葉巻を無理から
持たせていますね。
そしてこの写真では
よくわからぬかも
しれぬのですが、
指輪の輝きを「キラリ」と
後から描き加えてあるのです。
今でも光る男!。

2000-09-21-THU

BACK
戻る