北斎先生!
第二回
みなさんが知ってる北斎は
ほんの一部分ですよ。

10月25日より東京国立博物館で
行なわれる「北斎展」
12月4日までの会期中、
毎週、展示替えを行うそうです。
つまり、会期中は何度も楽しめるということ。
今日は続きを読んでいただく前に
一通のメールをご紹介します。

=
初めまして。
学芸員志望の大学一年生です。
私は中学生の美術部に所属していた時に、
葛飾北斎の生き生きとした絵の魅力に
惹きこまれました。
当時、絵を描くことに夢中になっていた私は、
(無謀にも)「神奈川沖浪裏」を
模写してみたりして、
北斎の絵を楽しんでいました。

私が学芸員を目指しているのも、
北斎がキッカケだと思います。
学芸員になるのは簡単なことではありませんが、
大好きな北斎を始め多くの作品に出会いたい、
そして知識を深めたい、
そしてそれを多くの人に知ってもらいたい。
そんな思いで今、勉強しています。

最近になって、
杉浦日向子さんの「百日紅」という
北斎の漫画を読んで、
ますます北斎への気持ちが高鳴っています。
よく考えてみれば、
北斎がどういう生活をして、
どんな人生を歩んできたのか?
私はこのような創作の世界でしか知らないので、
コピーのように私の知っている知識は
氷山の一角に過ぎないんだなあ…と感じます。
永田さんの本を読んで勉強しよう!と思いました。)

永田先生の予備軍のような方から
メールをいただきました。
予備軍の方もそうでない方も
引き続き、永田先生のお話をお楽しみください。

ほぼ日 先生はそれから一気に
中学時代から北斎に…。
永田 もう、北斎だけ。
ほぼ日 (笑)そうなんですか。
ずーっと北斎一筋。
永田 少しは浮気はしてますけども(笑)
基本はやっぱり北斎ですよ。
私、北斎大好きですから。
この人の作品も好きだし、
この人の生き方も好きだから。

普通の人が北斎をイメージすると、
どうしても富士山のシリーズの、
『赤富士』だとか、『浪裏』だとか、
ああいうものを想像されますよね。
現実に今でも、中学高校の教科書見ると、
せいぜい『赤富士』、『浪裏』以外は、
北斎漫画程度しか出てないんですよね。


『赤富士』
冨嶽三十六景 凱風快晴 ギメ美術館蔵
(c) Photo RMN / Thierry Ollivier / distributed by Sekai Bunka Photo

(画像下部のナビゲーションボタンで、
 図版を拡大して、細部をご覧ください。)



『浪裏』
冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 メトロポリタン美術館蔵
The Metropolitan Museum of Art, The Howard Mansfield Collection,Purchase,Rogers Fund,
1936 (JP2569) Photograph (c)1994 The Metropolitan Museum of Art

(画像下部のナビゲーションボタンで、
 図版を拡大して、細部をご覧ください。)


有名な『赤富士』にしても
いつから誰が赤富士って言ったのか
実はわからないんですよ。
少なくとも江戸時代に
『赤富士』という言葉は一回も出てこない。
ほぼ日 はい。
永田 ところが北斎ってのは、
今で言うと19歳の時に画壇へ出て、
89歳、数えで言うと
90歳で亡くなるんですけども、
その70年間ずーっと絵を描き続けてるんですよ。

我々が教えてもらう北斎像っていうのは、
ほとんど70歳から74歳の北斎像なんですね。
つまりその、ほんの数年間の北斎のやった仕事が、
北斎の評価になっちゃってるわけです。

今回の展覧会ではできるだけ、
北斎の業績っていうのを
まんべんなく見せるっていうことが、
非常に重要だと思ったので
敢えて今回は
『冨嶽三十六景』全部飾ってもいいわけですが、
それも全部止めたんですよ。
ほぼ日 ほう。
永田 デビューしてから
亡くなるまでの間のものを
まんべんなく見せるということが、
大きな私の主旨ではあるんですね。
その中からまた新しい北斎評価っていうものが
出てくるんじゃないかっていうことが
一番期待してる部分です。
普通の人は、今言ったものしか見てないわけですから、
北斎の他の部分の評価はできないわけですけども、
北斎はどの時代をとっても
素晴らしいことをやってますから
「ああ、もっと若い時期が素敵」だとか、
「富士山を出した後が素敵」だとか、
その中から何かを汲み取ってくれる人が
1人でも2人でも出れば、
それはもうほんとに展覧会の意義は
あると思ってます。

本で見るのも感激をするでしょうけども、
やっぱり実際の作品の持つ重みの中で、
感激をしてもらうっていうことが、
展覧会をやる、少なくとも私の気持ちなんですよね。
ほぼ日 まんべんなく北斎を見ることが重要だと?
永田 ええ。
まんべんなく飾るものを見ていただくと、
北斎の作品のすごさとか、
その時代時代で北斎が何を追及してるのかってことも
よくわかるのかって思うんです。

もう一つ大事なことは、
欧米の人って北斎好きなんですよ。
欧米の人が北斎のどこが好きかって言うと、
作品だけが好きじゃないんですよ。
北斎の生き方が好きなんですよね。
ほぼ日 はあ!
永田 どういうことかっていうと、
この人は70歳代の時に
百何十歳まで生きて、
絵の道を改革するってことを公言してるんですね。
そのために日々はとにかく努力を重ねた人です。
決して、天才じゃないんですよ。
この若いデビュー作なんか見ると、
これが、そんなに上手くないんですよ。


デビューしたての頃の絵
正宗娘おれん 瀬川菊之丞
東京国立博物館 蔵

(画像下部のナビゲーションボタンで、
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ほぼ日 上手くないんですか?
永田 上手くないですよ。
この春章の連中と比べても上手くない。
やっぱり努力の人なんですよ。
北斎が春章の勝川派を
破門になったっていうのも、
他の流派の絵を学んでいたから
という説があるくらいです。

*勝川春章:
役者似顔絵を得意とする江戸時代の絵師。
没個性の様式から脱して、
役者ひとりひとりの個性を表現した。
多くの弟子を抱え、勝川派という画派となる。

常にひとつのところに甘んじないで、
自分が吸収できるものは
すべて吸収したいっていう
そのことだけで生きてる人ですから。
例えば吸収してしまえば、
どこかにそういうものは残しながら、
また次のステップへ行くわけです。
現実に北斎っていうのは、
名前を30も変えてるわけですから。
ほぼ日 そんなに変えてるんですか(笑)。
永田 有名になっちゃった名前を捨てるってことは
大変なことですよ。
糸井さんだって、
明日から社会の人が認めてくれるかは
わからないわけですよ、それは。
ほぼ日 そうですよね。
永田 まして、今みたいに
映像ってものがない時代に
それを平気でやっちゃうんですから。
やっぱり、それはものすごい強い人ですよ。
ほぼ日 とんでもないですね。
永田 とんでもない爺さんですよ、これは。
ほぼ日 (笑)。

(続きます)

永田生慈(ながたせいじ):
1951年島根県生まれ。
太田記念美術館副館長兼学芸部長、
葛飾北斎美術館館長。
著作に『北斎漫画』『葛飾北斎歴史文化ライブラリー』
『北斎の世界―Hokusai』『物語絵北斎美術館』他多数。
2005-10-19-WED
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