第五回
北斎の弟子は200人くらいいました。
永田
大体40歳半ばくらいから、
文化という年代の最初の頃からは、
読本と呼ばれる
大長編小説の挿絵に、
非常に力を入れるようになるんですね。
『新編水滸画伝』や『椿説弓張月』という作品です。
おそらくみなさんが
一番ご存知である読本は
『南総里見八犬伝』だと思うんですが
その挿絵は北斎の弟子が描いてます。
新編水滸画伝 初編初帙
葛飾北斎美術館蔵
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挿絵家としては、
北斎はもう右に出るものが
いなくなっちゃうんですね。
読本の挿絵には墨一色か、
わずかにもう一色。
多いページで
墨を三色くらいしか使わないんですね。
読本の挿絵というのは
限られた色数でいかに読者を惹きつけるか
ということにつきるんです。
そして、挿絵で表現するには
よほど文章を読み込んで、
内容を理解するだけではなくて、
その内容をそれ以上に発想させる力、
読解力だけでなく
それ以上のものが必要とされたのです。
当時の記録を見ると、
読本という分野は
北斎の挿絵で評判になり、
流行したと記録に出ています。
北斎がいなければ、
『南総里見八犬伝』だって、
生まれてこなかったかもしれません。
つまり、
(売れなければ)版元が
出版してくれませんから。
ほぼ日
なるほど。
永田
我々が知っている国文学のある部分、
例えば滝沢馬琴とかですね、
ああいう人たちも残ってなかったかもしれない。
そういう意味では、
国文に及ぼした影響も
非常に大きいものがあるわけですね。
ほぼ日
北斎のおかげで、
ベストセラーになったからこそ
そのジャンルが栄えて後世に残ったのですね。
永田
そうです、そうです。
ですから、国文の世界に
かなり重きを置いた時代もあったわけです。
それが50歳くらいになってくると、
北斎の弟子というのは200人くらいになるんです。
ほぼ日
ちょっと弟子の数としては
多すぎですじゃないですか(笑)。
永田
しかも、青森から長崎までいるんですよ。
ほぼ日
日本全国に(笑)。
永田
ええ。
北斎の絵って面白いですから、
今言った読本みたいなものを、
職人さんが切り抜いて使っちゃってたんですね。
そういう職人さんのためや
お弟子さんたちのために、
絵手本というものを描くんですね。
これを木版で作って刷るんですが
北斎に直接習えない人は
そういう本を持って勉強したわけです。
ほぼ日
今でいうところの
通信教育みたいなものでしょうか。
永田
そうですね。
その中でも一番大きいものが
北斎漫画って言われてるものです。
この北斎漫画というのは
皆さんが想像する現代の漫画とは違って
漫然とアトランダムに絵を描くという意味の
漫画なんです。
伝神開手 北斎漫画
浦上満蔵
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ほぼ日
漫然の漫なんですか?
永田
ええ。
漫然と北斎が気の向くままに
色んなもの書き加えて出したものです。
これはだいたい、
3900図くらい入ってるんですね。
ほぼ日
これも多いなぁ(笑)。
永田
この中には和漢洋といって
日本や中国や西洋の想像のものが出てきます。
欧米ではこの『北斎漫画』のことを
『北斎スケッチブック』と呼びます。
『北斎漫画』は北斎を知るためには
なくてはならない本であり、
日本の風俗を知るためにも
なくてはならない本だったのです。
だから、シーボルトは、
何組も何組も買っては
オランダに持って帰ってるんですね。
伝神開手 北斎漫画 七編
浦上満蔵
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オランダの国王が隣の国の王様に
『北斎漫画』をプレゼントした記録も残ってます。
シーボルトはオランダに帰った翌年から、
日本に関する本を執筆しますが
この『北斎漫画』の中から、
図案をとってるんですね。
『北斎漫画』のうちの一冊が、
当時の陶磁器の詰め物としてフランスに渡り
フェリクス・ブラックモンという
銅板画家の目にとまります。
その人が吹聴して、日本趣味っていうのは
興ってきたって言われてるんですね。
これはジャポニズム印象派運動と呼ばれます。
伝神開手 北斎漫画 八編
浦上満蔵
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ですから、浮世絵そのものよりも、
一番最初の引き金っていうのは
この『北斎漫画』なんですよね。
ほぼ日
ベストセラーになってたから、
それこそ、詰め物にするくらい
『北斎漫画』があったということですね。
永田
当時の人が『北斎漫画』を
大切にしてたかどうかはわからないですけど、
詰め物になっちゃってたんですね。
北斎は絵手本でも
一筆画の描き方だけの本だとか、
いろは48文字で絵引きができるものとか、
さまざまなものをやっています。
伝神開手 北斎漫画 九編
浦上満蔵
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書道で楷書、行書、草書ってありますが
同じテーマの猿なら猿、馬なら馬を、
楷行草って書き分ける方法とか、
さまざまな絵手本を出すんですね。
北斎の持ってた技量を知るためには
絵手本ていうのは重要な分野です。
ほぼ日
北斎のテクニックとアイデアが
全部詰め込まれたものなんですね。
永田
そういうことです。
(続きます)
永田生慈(ながたせいじ):
1951年島根県生まれ。
太田記念美術館副館長兼学芸部長、
葛飾北斎美術館館長。
著作に
『北斎漫画』
『葛飾北斎歴史文化ライブラリー』
『北斎の世界―Hokusai』
『物語絵北斎美術館』
他多数。
2005-10-26-WED
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