挿絵の 地図の 絵本の雑誌の ロゴの 写真の宣伝の 先輩の お家のパリの 東京の 旅人の   堀内さん。──デザインを旅したひと。──
絵本の堀内さん。

まずは、「絵本」の挿し絵作家としての
堀内誠一さんのことを。

前回「はじめに」でもご紹介したこの絵本は‥‥。



そう、『ぐるんぱのようちえん』です。
「おぼえてる!」というかた、
「すごく好きだった!」というかた、
「いま、こどもが読んでいます」というかた。
いろいろ、いらっしゃるのではないかと思います。
1965年の初版ですから、もしかしたら
二世代以上にわたって読んでいますよ、
というお家も、あるかもしれませんね。

なにしろ、堀内さんが絵を描いた多くの絵本は
版を重ね、世代をこえて、
たくさんの読者の心にのこる
ベストセラーとなっていますから。




これは『たろうのおでかけ』。
『ぐるんぱ』よりもはやく
1963年に出た絵本です。
同じ人が描いたと言われれば
そんな気もしますけれど、
そんな作家性よりも、
このものがたりにいちばんいい絵柄を
堀内さんが選んでいる、そんな気がします。
そして、見開きページのデザイン!
絵とことばとものがたりが
ぜんぶ、のびのびとしているように思います。

いっぽうで、こんな絵柄も。




『おおおきくなるの』という絵本で、
1964年の初版。
切り絵のような、濃淡のない色と、
効果的に使われる水彩やクレヨン、
いま、おとなになって見ても
「かっこいいなー」、です。


そして『マザー・グースのうた』。
1975年の初版で、5巻までつづきました。
ぼく(武井)は、名画座で
「そして誰もいなくなった」という
アガサ・クリスティ原作の古いミステリー映画を観て、
そのお話はマザー・グースの
「Ten Little Nigger Boys」という詩が
キーになっているというので、
最初にそれが載っている2巻と、
いっしょに1巻を買ってもらい、
さらに3巻が出たときにも買いました。


‥‥この絵が、怖かった。
(ぼくは恐怖まんがや映画が大好きだったので、
よろこんで見てはいたのですが。)
マザー・グースって、もともと、
詩も怖い(ぶきみ)なものが多いんです。
それを谷川俊太郎さんがわかりやすく訳し、
そのことばの怖さに加えて、
この絵の怖さですから、ダブルパンチでした。
いまだったら「ガクブル」です。
たとえば、この絵。


▲「ひとりのおとこがしんだのさ」という詩。ば、ばらばら死体が、こどもの本なのに‥‥!

▲「だれがこまどりころしたの」も、すごく怖かったです。

いまおもえばこれが堀内さんの絵だったのですから、
これが『POPEYE』とほぼ同時期に味わった、
知らないうちの堀内体験だったのでした。

それでもいまだに、『POPEYE』の堀内さんと
絵本の堀内さんが
すっとむすびつかない気がするのは、
やっぱりいろいろな画風があるからなのでしょう。

こうしてあらためて見ると、
どちらもたしかに堀内さんなのですけれど。


▲『POPEYE』124号表紙。表紙絵も堀内さん!

「そのものごとの本質に合わせる」のが、
絵本にかぎらない堀内さんのスタイルです。
絵本ではそのスタイルで、
それぞれの「おはなし」に寄りそい、
物語の世界をひろげ、生き生きと輝かせました。
「これがぼくの作風さ」という拘りは、
堀内さんにはぜんぜんなかったのかもしれません。

この『雪わたり』(1969年)では、
堀内さんの絵が、宮沢賢治の世界、
北国と、どこだかわからないような異国の世界に
読者をすうっと連れて行ってくれます。
とても日本的で、賢治的です。

母親をさがす小さなすずめの旅をやさしく描く
『こすずめのぼうけん』(1976年)では、
英国の田園風景を、
まるで鳥になったかのような視点で描き、
いろいろな階調のブルーで表現される夕闇は、
小さなすずめの不安や心配を
読者と共有するかのよう。

‥‥かと思えば、こんなかっこいい本も。

『くるまはいくつ?』(1966年)は、
きっちりとリアルに描かれた
「かぞえかた」の絵本。
このデザイン、このタッチ。
かっこいいー!

こちらは、カラフルでドラマティック。
『くるみわりにんぎょう』の絵本です(1968年)。
クラシック音楽を愛した堀内さんだけに、
音が聴こえてくるような絵柄で、
しかも、とってもロシア的な色彩。

堀内さんは、絵本を描く、つくるだけでなく、
絵本というものを愛したひとでもありました。

これは絵本についてのエッセイや評論、絵本作家の紹介を、
堀内さんが亡くなられたあと(1998年)にまとめた
『僕の絵本美術館』です。
(そのため、表紙のデザインは堀内さんではありません。)
この本で、堀内さんの絵本への愛情を
知ることができるのですけれど、
じつは堀内さんは、生前に
『絵本の世界 110人のイラストレーター』
という本も著しています。
これは大型本で2分冊になっている大著です。
この本をつくるために堀内さんは
神田の古本屋街、ロンドンの古書店、
パリの蚤の市などをめぐり、
「宝さがし」のようにして絵本を集めたそうです。
最初は「今のこどもたちが手にとれない、
かつての豪華絵本などを紹介する」という目的だったのが
つくるうちに「堀内さんが好きな人、影響を受けた人の
ほとんどを紹介している本」になりました。
いま、この本2冊を横においてこの原稿を書いていますが、
「渾身、とはこのことだ」と思います。
それくらいすごい本です。

「仕事や興味も色々変化しましたが、首尾一貫おなじなのは、
ファンタジーのおもしろさです。そして絵本を見る楽しさです」
(マガジンハウス『僕の絵本美術館』より)


カメラ雑誌『ロッコール』の編集室で出会った
のちに奥さまとなる内田路子さんが、
絵本の福音館書店でアルバイトをすることになり、
そんな縁から絵本の仕事をスタートしたという堀内さん。
いかにもさらりと描いたように見えて、
堀内さんの絵はきちんと取材にもとづいたものだったようです。

「ホリウチが絵本を描くときには、いろいろ取材もしていて、『ぐるんぱ』では、浅草や駿河台下の靴屋さんに靴作りのことを聞きに行ったり、 製陶工場へも見学に行きました。
『おおきくなるの』はポール・ランドの影響だし、『リスのゲルランゲ』のときなどはリスをしばらく飼ったほどです。」
(平凡社『旅と絵本とデザインと』収載の内田路子さんのエッセイより)

これは1958年、堀内さんが
絵本作家としてデビューした絵本
『くろうまブランキー』。
それから、次々に、たくさんの絵本の仕事をしましたが、

「パリに移り住んで、初めてフリーのイラストレーターという
状態になるまでの間は、絵本を描くことは広告制作や編集の仕事の片手間…」
(『父の時代・私の時代』より)


だったといいます。

また、
「実は、絵本作家の道こそ運命が決めた本命なのに、ぼくは
どこかしら遊びの部分として遺しておきたい気もするのです。
思い上がったような考えですが、真摯な告白なのです」
(『僕の絵本美術館』より)

という堀内さん。
「本命」でありながら「遊び」‥‥。
そんな思いをかかえつつ、
たくさんの仕事を手がけた堀内さん、
次回はぐっと「デザイン」に近づいて、
「雑誌の堀内さん。」をお届けします。

今回の「絵本」は、いまも入手できるものから
画像をごらんいただきましたが、
「雑誌」編ではめずらしい資料を
いっぱい発掘してきましたよ。
たくさん紹介したいなあ。
どうぞおたのしみに!



わたしは、「ぐるんぱ」世代です。
子供のときも、親になっても子供達も愛読中です。
いまは親として、ですが、うちの息子と娘の年は
5歳離れていて、ぐるんぱを読んだ年数は長く続き、
今なお継続中です。

この連載、とても楽しみ。
ご推薦パワー、伝えたい気持ちが全開ですし、
紹介して頂いた作品は、全く古さを感じない。

わたしも、わたしたちの周りの多くの読み物も、
影響を受けているのだろうなあ。
丁寧で、それでいて
遊び心もあって、すばらしいですよね。

(wakasa)

協力 堀内路子 堀内花子 堀内紅子
取材 ほぼ日刊イトイ新聞+武田景

2016-10-26-WED
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN