糸井 |
212人のイチローさんのファンを、
今、目の前にして、
改めてぼくは驚いたんです。
「すごい人」という目というか、
「まぶしい!」という目で、
じっと、こちらのことを、
見ているじゃないですか。
会社にいたら、
三〇歳の「スズキくん」ですよね?。 |
イチロー |
ぼくも、三〇歳になっちゃいましたからね。 |
糸井 |
野球やってなかったら、
「スズキくん、ちょっと頼むわ」
とか言われてる人だよ? |
イチロー |
スズキ「くん」がつけば、
いいほうでしょうね。 |
糸井 |
(笑)「スズキ」か……。 |
イチロー |
まちがいなく、
「スズキ」でしょうねぇ。 |
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糸井 |
イチローさんとファンが、
これだけ近づくことはないせいか、
今日は、控室にいるときから、
会場のただならぬ
緊張感を感じてたくらいなんです。
イチローさんがオリックスにいるときも、
首位打者を何回も連続で取っていますが、
正直な話、そのときに
こういう番組があったとしても、
きっと、ここまでの「ただならぬ気配」は、
なかったと思うんですね。 |
イチロー |
ええ。 |
糸井 |
やっぱり、アメリカに行って、
海外で評価されることで、
「もう一回人生が変わった」
っていうふうに見えるんです。
もちろん、イチローさん自身は、
「すごい人」として
生きてきたっていうことで、
不便もあるし喜びもあるんでしょうけど、
そうやって「すごい人」として
みんなが見ているという生き方は、
実感としては、どういうものなんでしょうか? |
イチロー |
「すごい人」として見てる、
見られているというのは、
完全に第三者を意識した
自分の目ですからね。
たとえば、
「スーパースターである」
とかいう評価があったとしても、
そういうものっていうのは……動くんですよ。
だから、「スーパースター」
だなんて言われても、
何にもぼくはうれしくない。
「すごい野球選手だ」と言われたら、
ものすごく、うれしいんです。
スーパースター、なんていうのは、
人が作りあげたもので、決して、
自分が評価できるものではないんですよね。
ですから、いつも思うのは、
「第三者の評価を意識した
生き方はしたくない。
自分が納得した生き方をしたい」
ということなんです。
自分のしたことに人が評価を下す、
それは自由ですけれども、
それによって、
自分を惑わされたくないんです。 |
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(明日に、つづきます!) |