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長男の世界史のテストの問題。
「古代マケド二ヤの王の名を書け」
長男の自信満々の答え。
「アレキサンダー大魔王」
なんでバツなのか、
しばらく考えたらしい。
(雅子) |
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妹が中学生のときの社会科のテスト。
「孫文は何を唱えたか」という問題。
正解は「三民主義」なのに、
妹の書いた答えは、
「お経」。
(ソラ) |
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高校のとき、世界史のテストにて。
「ツタンカーメン」
と書くはずのところに、
「ゴッドファーザー」
って書いてた。
返却された解答用紙を見たら
○も×もなくて、
そこにはただ赤ペンで
「!!!」
とだけ書いてあった。
(すふぃんくす) |
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高校時代の友人と、日本史の話になって。
「犬養毅の最後の言葉って
なんやっけ?」
「『犬養死すとも‥‥』
とかじゃなかった?」
「それは板垣やろ」
「あっ、わかった!
『話がわかる』や!」
‥‥理想の上司?
(「話せばわかる」) |
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中学の時、四字熟語の100問テストで、
クラス最高点の99点をとりました!
おしい!
どんな難しい問題を間違えたんだろう?
と見直してみると、
「手( )( )噌」という問題に、
私は
「手作味噌」と
解答していました‥‥。
正解は「手前味噌」。
(お味噌汁大好き♪) |
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小学生の時の歴史のテストで
フランシスコ・ザビエルの事をふざけて
「サンフランシスコ・ハゲテル」
と呼んでいたため、テストにも堂々と
「サンフランシスコ
・ハゲテル」
と書いてしまいました。
それを見た先生はバカウケし、
私のテストの答案を
廊下に張り出したうえに
コピーして同じクラスの子全員に
配ってしまいました。
その日一日中
私は小さくなって過ごしました。
(ハゲテル) |
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私の友人は、中学の世界史の試験で、
侵略を行った民族を
「アーリア人」
と答えなきゃならないのに、
彼の答案には
「サイヤ人」と書かれていた。
確かに、侵略しそうだ。
(平) |
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音楽のテストで、
ある曲の特徴が書いてあるのを読んで
作曲家名を答える問題に、
なぜか自信満々に
「小川直也」
と書いてしまいました。
確実に格闘技好きだと
勘違いされたまま卒業しました。
(はっするはっするぅ) |
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中学時代、技術家庭科のテストの
栄養についての問題で
「必須アミノ酸」
という答えを書く問題がありました。
そのテストが返されたとき、
先生が講評をしながら暴露しました。
「おい、ここの答え、
『必殺アミノ酸』て
書いたん誰や〜。
摂取したら
死ぬような栄養は
困るやろ!」
(サムライ) |
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中学校の頃、歴史のテストに
「次の図を見て答えなさい」
下にモンテスキューの写真が
印刷されており、ふきだしに
「私は誰でしょう?」
という問題があり、姉の同級生は
「森先生」と書いたらしい。
歴史を教えてた森先生は
「誰がおれの名前を書けと言った」と。
(モンテスキューをスンテスキューと
打ち間違えた私はどうしよう‥‥) |
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小学校の頃、国語の音読をしていた時。
淡々と読んでいたのですが、突然混乱し、
(行を飛ばしたか? と思ったのです)
思わず、「あっ!」と言ってしまい、
ちょっとしたパニック状態に
陥っていると、先生が満面の笑みで、
「今の『あっ!』は
感情がこもっていてすごくいい!」
何が何だか分からず教科書を見直すと、
さっき読んだ文章の次が
まさに「あっ!」という
主人公の台詞だったのです。
結果的には間違ってはいないけれど、
何だか気まずかったです。
(どみ肉) |
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日ごろから勘つがいの多い私ですが、
でしゃばりな性格が原因なのか、
しょっちゅう恥ばかりかいています。
科学の授業中に先生が質問しました。
「『パブロフの犬』はご存知ですか?」
知ったかぶりをして
自信もないくせに挙手した私は、
「肉をくわえた犬が
橋の上から川を覗くと、
自分にそっくりな犬が
美味そうな肉をくわえて
偉そうにこちらを
見ているので、
その肉を奪おうと
強いところを見せるために
一声ほえると、
橋の上にいた犬の口から
川へと肉がポロリと
落ちてしまう話です」
と、堂々と答え、先生に
「それは童話の『欲張りな犬』です」
と、にこりとも笑わずに指摘されました。
多分、呆れられていたのだと思います。
(17歳ではじめて条件反射を知った) |