インターネット的。 これって、どういう本なのか? |
#1 時間の共同体 今日、7月14日(土)に、 『インターネット的』(糸井重里著・PHP新書) という本が発売されます。 ほぼ日をずっと読んでいるかたは、 5月中旬くらいの「今日のダーリン」で この本の執筆風景について何度も触れていたことを、 覚えているかもしれません。 「書くのは、もう、楽しいのよ!」 「自宅の仕事が多いので、音楽を流す時間が増えたね」 ・・・ついにその本ができあがりました。 気にしてくださったかた、お待っとさんです。 ほぼ日を日々作っていく動機にも、 かなりつながることが書かれているので、 このたび「ほぼ日」は、この本を、 特集しちゃいたいと思っています。 短期連載ですが、ちょっとだけでも お役に立てれば嬉しいな!という気持ちで、 軽く濃いページを作っていきますね。 邪魔にならない程度に更新しますので、 どうぞ、ごひいきにっっ。 『インターネット的』 糸井 重里 (著) ¥660 PHP新書 PHP研究所 ; ISBN:4-569-6164-3 ※今回、ほぼ日での発売はいたしませんが、 ネットで欲しいと思われたかたは、ぜひ、 bk1やアマゾンで、どうぞ。 (※『インターネット的』のページに直リンクです) 第1回の今日から数日は、 13日(金)23時に聞きたてホヤホヤの darling本人の談話をお届けしようと思います。 聞き手は、わたくし「ほぼ日」メリー木村です。 ----明日(※談話収録は13日)発売ですね。 糸「そーなのよ。 五月中は、何回この本のために徹夜したか。 忙しい時期に、泣かされたもんねぇ。 ・・・いや、そういうこと言いたいんじゃないよ! でも、ほんとに丁寧に書いたんです。 完成までに時間がかかったのは、 毎日工夫して作っていたからですね。 何とか、役に立つコミュニケーション論を、 書いてみたかったんです。 たぶん、役に立つ本ができたと思います。 だからいろいろな人に手に取ってもらえたり、 実際に読んで「使って」もらえると、すごく嬉しい。 自分の中でも、かなり エポックメイキングな本かもしれないですから」 ----読んでみると、いま、 「エポックメイキング」って言ったみたいに、 時代の変化を意識してる気がしましたけど。 糸「うん。 時代の変化について書いたと思います。 いまも少しそうだけど、長いあいだ、 『結局、人は利益を求めているでしょ』 と、みんなが無意識のうちに、 習わされてきていた時代が続いたと思います。 社会全体から教育を受けてきた、と言うか・・・。 そこからの変化を書いたのね。この本では。 今まで、 『人間の欲得を探してきては、 それを与えたり奪ったりすることが、 オトナとして立派に働くということ』 だったりしていたような時代が、 ずっと続いていたと感じるんです。 だから、ぼくもそうだったけど、 『個人として何を考えているのであれ、 人間の欲得に働きかけるための テクニックを身につけることが、 オトナとして成熟していくことなんだ』 みたいなことを思っていたんだよね。 それは、早い話が、さみしかったわけです。 バブル経済に対して、 嫌なもんだなあと思っていた人は、 すごく多いと思うんですけど、それはきっと、 そこまでバブルを認めてしまうと、 自分が欲得だけの人間だということを、 つきつけられちゃうからだと思うんです。 『悲しみ』みたいなものが、 バブルに反発する気持ちを作っていたと思う。 いわゆる団塊の世代で、 そういう価値観が嫌な人たちは、 いわゆる、ヒッピー的な行動をしたんですけど。 でもそれは、極端に言うと、自分たちだけの 共同体を作るものでしたから、実際の社会とは、 交易の形でしか、関わることができなかったのよ。 つまり、 『俺たちは勝手にやってるから、 ま、そのアレだ。君たちは君たちで、 その間違った暮らしを続けてもいいよ』 みたいなありかたなわけです。 ぼくは正直に言うと、 そういうヒッピーの共同体の 内側にはいない人間だろうなと感じていました。 だけど、欲得だけじゃないことを考える ヒッピーの血みたいなものには、 『いいなあ』 という気持ちをずっと持っていたからね。 だからこそ、ぼくたちの世代は、 ビートルズに惹かれたり、学生運動があったり、 そんなところにひっぱられていたと思うんです。 ・・・もちろん、そういうのにひっぱられても、 結局、ほんとうには満足できなくて、 『オトナの欲得の世界という社会だけを経験して、 一生が終わるんじゃないかなあ』と、 ぼくに近い年代の人は、感じていたと思うんです。 だって、それまでは、 『経済だけの社会にいるなら、 経済だけの地域に暮らしている』 『ヒッピーになるなら、実社会から離れる』 そうやって、いる場所によって、生き方まで ひとつに決められちゃうような気がしてたから。 でも、インターネットの世界では、 そこに触れている時間だけは、 いつもいる共同体とは 違うところに属せるでしょ。 『共同体は、場所じゃなくて時間にあったんだ』 と気づいたの、インターネットに触れて。 ----「場所」じゃなくて「時間」に、 共同体があったんですか。 それをもう少し詳しく言ってもらえますか? 糸「つまり、ぼくがインターネットに感動したのは、 『社会にいながら、同時に ヒッピーの共同体に入れるようなことを、 実現できる道具だ』と感じたからなんですね。 今までみたいに、どちらかを捨てなくていい。 『仕事を選んでも、生き方や考え方まで あるひとつのワクに留まらなくていい』 という自由を実践している人は、 もちろん、昔にもいたとは思います。 『スーツを着て仕事をしているまま、 夜はある同好会のリーダーである**さん』とか、 『変身した時だけはスーパーマンになれる、 頼りにならない新聞記者のクラークケント』とか、 そういうかたちで、自由はあったでしょ。 でも、インターネットという道具に触れることで、 その生き方が、 「より急激に、より身近に」 なったと感じたんです。 自分の好きなものにつながっている時間には、 自分はまったく違う共同体にいられるから。 生きている「場所」によってじゃなくて、 生きている「時間」によって、 さまざまな考えを持って、 自由に居られるようになったことを、 『インターネット的だなあ』とぼくは感じた、 ということですね。 インターネットという道具を手にしたことで、 『自由を求めるあまりに自由を失う』 みたいなことからやっと脱却できるかもしれない。 だから、興奮したの。 そうやってインターネットにのめりこんで、 インターネットのどこがおもしろいのかを 考えながら、ひとつずつ実験したり 考えた結果をまとめたり壊したり・・・。 それが、ぼくがネットに触れてからの ここ四年間にしていたことなんでしょうね。 そこで考えたことを、この本のなかで、 だいたいぜんぶ、言ってると思うんです」 ----ぜんぶ? そのぜんぶを書いてみて、 どう読んで欲しいと思っていますか? (明日のこのコーナーに、つづきます) |
2001-07-14-SAT
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