インターネット的。 これって、どういう本なのか? |
♯5 「インターネット的」をこんな風に使う 今日はPHPのビジネス誌「THE21」の人が鼠穴にきて、 さっそく「インターネット的」への取材がありました! 通天閣あかりが立ちあったのですが darlingは、 最初に用意されたテーマに囚われずに話をすすめ、 そんな中で出てきた新しい話が実はすごく面白くって、 「これぞインターネット的」な取材の受け方を 披露していました。 この時の模様は、このページで、 雑誌の発売前にほぼ日で紹介しちゃう、 という荒技を今後やります。 ビジュアルをプラスして端的にまとまったものとしては 8月10日(金)発売の「THE21」も読んでくださいね。 もしかすると鼠穴引っ越し前最後の 写真撮影だったかもしれませんから! 今回は、昨日に引き続き、担当編集者三島青年26歳が 思想としてのこの本の楽しみ方以外のところで こんな使い方どうっすか、 という読み方を熱心に語ってくれます! ほんとほんと。 通天閣はよく人の話を聞くときに うなずきすぎるクセがあるのですが、 このお話は相当うなずけました。 「インターネット的」を読むと、 こんな新しい方法論が見えてきますよ! ________________________________________ 最初に説明しておいたほうがいいと思うのですが、 この『インターネット的』は 実質イトイさんの書き下ろしです。 実質といったのは、もともとは取材から始まって、 ぼくのほうで、章立てと目次をつくり ライターの方に一旦まとめていただいたからです。 その骨組みを叩き台に、 イトイさんに書いてもらったのですが 実際は、章タイトル以外、もとの痕跡をとどめない 「書き下ろし」となったのです。 この本の編集をするにあたって、というより、 もとの叩き台となる目次、章立てをつくるにあたり、 強くこころがけたことがあります。 今日はその話をします。 本コンテンツでの、 糸井さんのインタービュー(最初の3回)が 本流の話だとしたら、 これは本流からは少し外れるけれども 「役立つ」おいしい話題です。 それは、これを読んだ読者の方々から、 「おもしろかったし、勉強になった。役だった!」 というコメントを少しでも もらえたら嬉しいなということです。 つまり何らかの「役だった」感を味わってもらう。 これは強烈に意識しました。 『チーズはどこへ消えた?』 『金持ち父さん、貧乏父さん』 など、最近のベストセラーの潮流に乗ろう、 というわけでは特にありません。 ただ、そうしたものを参考にはしました。 「インターネット的」という新しいコンセプトを 知るだけにとどまらないで、 それを実践する方法とか思考法とかもいれたら、 より多くの方に楽しんで読んでもらえるのでは、 と考えました。 「工業化社会からインターネット的社会へ」という 壮大な時代論が述べられていそうな 章タイトルに混じって、 「インターネット的思考法」や 「インターネット的表現法」が 入っているのはそのためです。 個人的には、これは正解だったと思ってます。 ネット社会になって、 書き方とか表現が乱れているとはよく言われますが、 じゃあ、こうすればいいんじゃない、 と提示した人や本って案外ないんじゃないでしょうか。 例えば、メールの文章って 読みやすさと読みにくさが判然としてますよね。 改行一つとっても、人によってバラバラだし (ひどい場合は、 同じ人の一つのメールでもバラバラですよね) 急に表現が硬くなったりするのもあります。 「風邪気味なんですか? ○○様におかれましては、 どうぞ御自愛くださいますよう 心より祈念申し上げます」 みたいなの、意外にありませんか? イトイさんは、 「ほんとに、話すように書く」という見出しをもうけて、 素晴らしい解決策を見せてくれてます。 インターネットでの文章は、 できるだけ「耳で読んでもらうように」書く、 のだそうです。 これを読んだときは、かなり感動しました。 正直ぼく自身、 文章表現に対しては悩むことが多かったんです。 友達に書くときはすらすら書けるのに、 いざ仕事で著者の先生にメールするときなど えらくガチガチになっていました。 今では、そうした先生方へのメールは、こう思ってます。 「話すように書く」のだから、 話す時に使う敬語のレベルで メールのときも、書けばいい。 無理に文語体にしたり、 かしこまる必要はないのですよね。 実際、イトイさんはこの本でも 一貫して「話すように」書いておられる。 対談集でもない、しかも本格的な内容の新書で こういう文章スタイルをとっているのは、 ある意味、時代への挑戦行為だと思います。 表現一つとっても、 ネットを超えたところでこれが主流になっていけば、 同時に「インターネット的」という価値観も もっともっと世間に広まっていくのではないか。 ぜひそうあってほしい、と期待してます。 ちょっと話が脱線してましたね。 でも、このインターネット的価値観の話は 「表現法」の最後のところで ぜひ読んでいただきたい箇所とつながっていきます。 それは、気持ちよく「断らせる力」です。 かいつまんで言えば、 諾否の決定は相手側にあり、それに謙虚にしたがうこと。 例えばぼくが、ある有名作家に執筆の依頼をする。 だけど、その作家はぼくが提示したテーマでは 今は書きたくないとする。 そこで、ぼくは強引に「書けよ!」と脅し、 作家はしぶしぶ執筆にかかり、その本が出版される。 もうひとつの方法としては、 「そうですか、わかりました。 では、また機が熟したときお願いします」と 言って引き下がる。 数年後、その作家が、かつてぼくが 提示したテーマを無上に書きたくなって、 それを気持ちをこめて書いたとする。 そしてその編集をぼくがする。 お互い気持ちが乗ってるし、 それは自然と読者にも伝わっていく。 純粋に「幸せ」だけを取り出せたら、 どっちがぼくにとって幸せなのでしょう? 強引に原稿を取った自分。 それとも、相手の「断らせる力」を尊重した自分。 やっぱり後者だとぼくは信じてます。 「押し通す力」ばかり評価される風潮ですが、 この後者の考えってお互いを気持ちよく幸せにする 大人の考えだと思いませんか。 このように、個人的には、 「表現法」や「思考法」の章を設けたことによって 大変得るところが大きかったです。 もちろん全部読んでいただきたいのですが、 「表現法」や「思考法」のところを読むだけでも 勉強になるし、役立つことが多いと思います。 いろんな味わい方がある新書です。 こころゆくまでご堪能いただければ、 最上の喜びです。 ぜひ御感想をお聞かせください。 postman@1101.com |
2001-07-18-WED
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