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一番最初に「インターネット的」という言葉が
糸井さんの中で生まれたのはいつ頃のことか
覚えてらっしゃいますか。 |
糸井 |
覚えてない・・・なあ。
たしか、なんか小さい集まりがあったときに
「インターネット」っていうのが重要じゃなくて
そこから始まる周辺のことや外側の動き、
つまり「インターネット的」っていうのが
重要なんだ、って言ったのが
きっかけだったと思います。
偶然みたいに口からポンと出てきて。
これは便利だと思ったので何度も言ってましたから、
そのうちに定着したんでしょうね。 |
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では、本のために作られた言葉ではない。 |
糸井 |
うん。違いますね。
パッと人の注目を惹きつけるような、
キャッチーな意味はないんです。
インターネット的っていう言葉には、
速度はないけどトルクはあるって感じかな。
車でいうとローギアに入れてるみたいな。 |
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私は数日前に読ませていただいて以来、
普段の生活の中で
インターネット的だなと思うことが多くて。
あ、これはリンクだ、これはシェアの状態だ
というように。
みんなもおそらく感じているであろう、
もやもやとして言えてこれなかったことが
きちんと言葉になっていました。 |
糸井 |
いいですね。それは。そう言われたかった! |
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例えば、
「インターネット的であることに
パソコンはいらない」
っていうのは、あ、そうだっていう。
この本って「勢い」で作られたみたいな
ところがありますよね。
そういうところもすごくインターネット的だなと
思ったんですけど。 |
糸井 |
そうですね。
勢いでつくったけど、完成品(笑)。
改訂版出すってことは
おそらくないでしょうけれども、
半完成品でも製品ですからね。
ファッションなんかの場合だと
来年は着ないかもしれないという前提で
作ってるわけだし、そういう作り方もいいですよね。
本が、永遠の、不滅のものだっていうつくりかた
ではないっていうところが
「インターネット的」かもしれないですね。 |
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「今働くこととか幸福とかについて、
みんなが考えてる時代なんだ」って読んだときに
すごく普通の文章なんですけど、
そうだよなって思って。
インターネット的っていうことと
幸福観っていうことは、
どうつながってるんでしょうか。 |
糸井 |
色んなつながりはあると思うんですけど、
まずはまったく無力な人間はいないっていうことから、
幸福観については考えなきゃいけないと思うんです。
俺は何やってもだめだって思ってたら
幸福の選択肢なんてないですよね。
「他者依存」になっちゃう。
つまり他人がこうしてくれたから自分は幸せだとか、
もらうものでしか自分の幸せは計れなくなっちゃう。
でもインターネット的っていう概念を
目安にして考えると
「遠くにいるかもしれない1人の人とつながれる」
かもしれないとか、思うことができますよね。
自分ひとり、であることに変わりはないけど、
誰かとつながれる。
まったく無力じゃないっていうことが見えてくる。
その時の幸福観っていうのは、今までのあきらめとは
違うところからスタートできるんじゃないかと
思うんですよ。 |
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なるほど。 |
糸井 |
そこをつなぐのがうちの、ほぼ日の
「Only is not lonely.」っていう言葉だと
思うんです。 |
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つながる。 |
糸井 |
つながるですよね。 |
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つながるなって実感されたることはありますか。 |
糸井 |
いや、もう毎日ですよ。
その意味では、ぼくがこの本出したことにしても
PHPっていう昔からある大きな会社があって、
これを全国の書店に配ることができるわけで、
一人でこの本みたいなことをしゃべってる限りでは
誰にもこれ、伝わらないわけですよね。
ほぼ日を読んでない人とは、
「本を出す」ことでつながったわけですよね。
それがまた違ったほぼ日の動きにつながる。
そういった循環が絶えず行われているっていう、
健康な循環みたいなものが理想ですね。
朱に交われば赤くなるっていうけど、
朱がとてもいいものなんだったら
交わって赤くなってまた違う色と交わって
違ういい色になって、というように。 |
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不健康な循環っていうのはあるんですか。 |
糸井 |
子供が不良化するときとかはそうなんでしょうね。
友達が悪いと、段々たばこ吸って、酒飲みにいって
またそこで知り合って・・・。
なんてのは、悪循環でしょう。
悪い政治家と悪い企業の癒着とか、
不健康な循環なりに大きくなっちゃうと
止められなくなりますよね。
そこにはやっぱり動機がないんですよ。
悪いことの循環には。
なんでやってんだっけ、っていうときに
言えなくなるんですよね。
健康な循環って、
わりにシンプルに言えたりするんですよ。 |
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シンプルにですか。 |
糸井 |
だってこういうことしたいじゃん、
っていうのもあるし、
それじゃつまんないじゃん、
っていうのもあるし、
楽しいじゃん、人が喜ぶじゃんっていうのもあるし、
自分のためだけじゃない何かを含んでるから
リンクしたりするんですよ。
俺は自分のためだけに生きるっていう者同士って
つながりにくいですよ。
自分のために生きてるのは当然だけど、
「アンド何か」ってのがあるんですよ、やっぱり。
例えばの話、
昔の横浜銀蝿のたとえじゃないけどさ、
お年よりがいたときに席をゆずるとか、
救急車が来たら道をあけて譲ったり、
そうやってどこか自分以外の人のことも
考えながら生きてるんですよ。
その要素があるからつながれる。
俺は俺だけが幸せになればいいんだって言ったら、
人とはつながれないですよね。幸せもないですよね。
もの売るんだって、
儲かりゃいいっていうだけだったら
買ってくれなくなるわけですし、
そこをちゃんと考えてる人の店は繁盛するでしょう。
喜んでもらったら嬉しいじゃないですか、
魚一匹売ったって、美味しかったよって言われると。 |
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「THE21」ももっと読んでもらえるように
喜んでもらえるように作らないと。(笑) |
糸井 |
「THE21」はわりと予定通り作ってますよね。
言ったら失礼かもしれなけど、
よそのビジネス誌もやってることを
順番に考えてるって印象があります。
これも、もっとつながりの中で考えていった方が
うまくいくいくと思うんですけどね。 |
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ああ、そうですね。がんばんなきゃ。 |
糸井 |
なんか考えてたことの外側に
飛び出す要素みたいなことをいつも入れながら
やっていけるといいですよね。
最初イメージしてた時にこうなるだろうなっていう
予測があるわけですよ。
で、そこにおさまれば完成なんですよ、
予定通りだから。
だけどそれがよく変更されてく喜びみたいなのが、
ものを作ってる最中にはいつもあるわけで。
実際に動いていくときには
予定通りじゃなくなったりしますよね。
ぼくもこんなしゃべりをするはずはなかったわけで、
これを聞いたらここのところをどう使うかが
重要ですよね。(笑) |
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(笑)もしかすると、「インターネット的」も
もともとはこのような本を作られるつもりでは
なかったんでしょうか? |
三島 |
そう言えば、そうですね。
一番最初は「インターネットの哲学」っていう
仮タイトルでした。
実際使ってる立場の人から見て
インターネットってどういうものかっていうのを
インターネットの世界の中で完結する本にしようと
イメージしてたんです。
そこに糸井さんの発想とか思考法とかが
どんどん加わわってきて、
枠を飛び出ていろいろやっていただいて、
今の形になったんです。 |
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変更していくときに焦っちゃうんですよね。
わくわくしてないっていうか、
ああ、どうしようどうしようって
ところがあるから。 |
糸井 |
スポーツだったら、
サードの守備位置にいて、
これはショートだなって球が飛んできたときに、
自分はここまでだからって言って追っかけなかったら
三遊間のヒットはどんどん増えますよね。
相手が捕るはずの場所かもしんないんだけど、
俺が走ってって球とるってことがありうるから
試合として成り立つんですよね。
エラーがつかないからいいやって
一応サードの責任は守ったからねって
黙って動かなければヒットになっちゃうんです。
痛くもかゆくもない仕事になるんです。
そういう発想みたいなのが
出版業界全体に今、失われてるんだと思うんですね。
もっと貧乏だった時代には、
そうやんなきゃ食えないってことがあったけど。
・・・そんな話を聞きにきたんじゃないんだ
っていうのは
当然あるでしょうけど。(笑) |
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いえいえ。(笑)
(談話は次回につづきます) |