インターネット的。
これって、どういう本なのか?

 
♯6 darling取材を受ける「幸福観と働き方」

ほぼにちわ。通天閣あかりです。
早速「インターネット的」に対するご感想を
お寄せいただいたみなさま、ありがとうございます!
このページで紹介させてただくかもしれませんので、
これからも、よろしくお願いします。

PHPの三島さんから嬉しいニュースです。

早くも増刷決定しました!
新宿紀伊国屋では、
『なぜか「仕事ができる人」の習慣」や
『1月100冊読み300枚書く私』(福田和也)
の上を行く、 堂々1位だったそうです。
その他の書店でも、PHPの書籍の中で
5位内に必ず入ってました。
このペースだと新書ベスト10にくると思います。

ですってですって!

本がdarlingの手を離れて、書店に出回って、
それを買って読んでくれる人がいて、
その人たちがほぼ日に感想を送ってくれて、
もしかすると家族や友達に
薦めてくれているかもしれない!(希望?)

このページの第3回にも書かれていましたが
自分が望めば、
いろんなものが奇跡のようにどんどんつながっていく。
そんな現場を見られる時代に生きられて、
よかったよなあって思います。

これから何回かに渡って、
先日行われた「THE21」(8月10日発売)の取材で
darlingが話したことをご紹介します。

記者の方はもちろん
新書『インターネット的』に関する話を
聞きにこられたのですが、
これがくるくると色んな方向に変更されていく様子を
ここでお伝えできれば、と思います。
今回は特に自分の働き方へのヒントが見えてくるような
実践的な内容になっていると思います。

なお、
取材現場には本ページでおなじみの
担当編集者三島さんも同席してくださってましたよ。
それでは、どうぞ。


『インターネット的』
糸井 重里 (著) ¥660 PHP新書
PHP研究所 ; ISBN:4-569-6164-3


※今回、ほぼ日での直接の販売はいたしませんが、
 ネット通販で買いたいと思われたかたは、ぜひ、
  bk1アマゾンで、どうぞ。
 (※『インターネット的』のページに直リンクです)




----- 一番最初に「インターネット的」という言葉が
糸井さんの中で生まれたのはいつ頃のことか
覚えてらっしゃいますか。
糸井 覚えてない・・・なあ。
たしか、なんか小さい集まりがあったときに
「インターネット」っていうのが重要じゃなくて
そこから始まる周辺のことや外側の動き、
つまり「インターネット的」っていうのが
重要なんだ、って言ったのが
きっかけだったと思います。
偶然みたいに口からポンと出てきて。
これは便利だと思ったので何度も言ってましたから、
そのうちに定着したんでしょうね。
----- では、本のために作られた言葉ではない。
糸井 うん。違いますね。
パッと人の注目を惹きつけるような、
キャッチーな意味はないんです。
インターネット的っていう言葉には、
速度はないけどトルクはあるって感じかな。
車でいうとローギアに入れてるみたいな。
----- 私は数日前に読ませていただいて以来、
普段の生活の中で
インターネット的だなと思うことが多くて。
あ、これはリンクだ、これはシェアの状態だ
というように。
みんなもおそらく感じているであろう、
もやもやとして言えてこれなかったことが
きちんと言葉になっていました。
糸井 いいですね。それは。そう言われたかった!
----- 例えば、
「インターネット的であることに
パソコンはいらない」
っていうのは、あ、そうだっていう。
この本って「勢い」で作られたみたいな
ところがありますよね。
そういうところもすごくインターネット的だなと
思ったんですけど。
糸井 そうですね。
勢いでつくったけど、完成品(笑)。
改訂版出すってことは
おそらくないでしょうけれども、
半完成品でも製品ですからね。
ファッションなんかの場合だと
来年は着ないかもしれないという前提で
作ってるわけだし、そういう作り方もいいですよね。
本が、永遠の、不滅のものだっていうつくりかた
ではないっていうところが
 「インターネット的」かもしれないですね。
----- 「今働くこととか幸福とかについて、
みんなが考えてる時代なんだ」って読んだときに
すごく普通の文章なんですけど、
そうだよなって思って。
インターネット的っていうことと
幸福観っていうことは、
どうつながってるんでしょうか。
糸井 色んなつながりはあると思うんですけど、
まずはまったく無力な人間はいないっていうことから、
幸福観については考えなきゃいけないと思うんです。
俺は何やってもだめだって思ってたら
幸福の選択肢なんてないですよね。
「他者依存」になっちゃう。
つまり他人がこうしてくれたから自分は幸せだとか、
もらうものでしか自分の幸せは計れなくなっちゃう。

でもインターネット的っていう概念を
目安にして考えると
「遠くにいるかもしれない1人の人とつながれる」
かもしれないとか、思うことができますよね。
自分ひとり、であることに変わりはないけど、
誰かとつながれる。
まったく無力じゃないっていうことが見えてくる。
その時の幸福観っていうのは、今までのあきらめとは
違うところからスタートできるんじゃないかと
思うんですよ。
----- なるほど。
糸井 そこをつなぐのがうちの、ほぼ日の
「Only is not lonely.」っていう言葉だと
思うんです。
----- つながる。
糸井 つながるですよね。
----- つながるなって実感されたることはありますか。
糸井 いや、もう毎日ですよ。
その意味では、ぼくがこの本出したことにしても
PHPっていう昔からある大きな会社があって、
これを全国の書店に配ることができるわけで、
一人でこの本みたいなことをしゃべってる限りでは
誰にもこれ、伝わらないわけですよね。

ほぼ日を読んでない人とは、
「本を出す」ことでつながったわけですよね。
それがまた違ったほぼ日の動きにつながる。
そういった循環が絶えず行われているっていう、
健康な循環みたいなものが理想ですね。
朱に交われば赤くなるっていうけど、
朱がとてもいいものなんだったら
交わって赤くなってまた違う色と交わって
違ういい色になって、というように。
----- 不健康な循環っていうのはあるんですか。
糸井 子供が不良化するときとかはそうなんでしょうね。
友達が悪いと、段々たばこ吸って、酒飲みにいって
またそこで知り合って・・・。
なんてのは、悪循環でしょう。
悪い政治家と悪い企業の癒着とか、
不健康な循環なりに大きくなっちゃうと
止められなくなりますよね。

そこにはやっぱり動機がないんですよ。
悪いことの循環には。
なんでやってんだっけ、っていうときに
言えなくなるんですよね。
健康な循環って、
わりにシンプルに言えたりするんですよ。
----- シンプルにですか。
糸井 だってこういうことしたいじゃん、
っていうのもあるし、
それじゃつまんないじゃん、
っていうのもあるし、
楽しいじゃん、人が喜ぶじゃんっていうのもあるし、
自分のためだけじゃない何かを含んでるから
リンクしたりするんですよ。
俺は自分のためだけに生きるっていう者同士って
つながりにくいですよ。
自分のために生きてるのは当然だけど、
「アンド何か」ってのがあるんですよ、やっぱり。

例えばの話、
昔の横浜銀蝿のたとえじゃないけどさ、
お年よりがいたときに席をゆずるとか、
救急車が来たら道をあけて譲ったり、
そうやってどこか自分以外の人のことも
考えながら生きてるんですよ。
その要素があるからつながれる。
俺は俺だけが幸せになればいいんだって言ったら、
人とはつながれないですよね。幸せもないですよね。

もの売るんだって、
儲かりゃいいっていうだけだったら
買ってくれなくなるわけですし、
そこをちゃんと考えてる人の店は繁盛するでしょう。
喜んでもらったら嬉しいじゃないですか、
魚一匹売ったって、美味しかったよって言われると。
----- 「THE21」ももっと読んでもらえるように
喜んでもらえるように作らないと。(笑)
糸井 「THE21」はわりと予定通り作ってますよね。
言ったら失礼かもしれなけど、
よそのビジネス誌もやってることを
順番に考えてるって印象があります。
これも、もっとつながりの中で考えていった方が
うまくいくいくと思うんですけどね。
----- ああ、そうですね。がんばんなきゃ。
糸井 なんか考えてたことの外側に
飛び出す要素みたいなことをいつも入れながら
やっていけるといいですよね。
最初イメージしてた時にこうなるだろうなっていう
予測があるわけですよ。
で、そこにおさまれば完成なんですよ、
予定通りだから。
だけどそれがよく変更されてく喜びみたいなのが、
ものを作ってる最中にはいつもあるわけで。
実際に動いていくときには
予定通りじゃなくなったりしますよね。
ぼくもこんなしゃべりをするはずはなかったわけで、
これを聞いたらここのところをどう使うかが
重要ですよね。(笑)
----- (笑)もしかすると、「インターネット的」も
もともとはこのような本を作られるつもりでは
なかったんでしょうか?
三島 そう言えば、そうですね。
一番最初は「インターネットの哲学」っていう
仮タイトルでした。
実際使ってる立場の人から見て
インターネットってどういうものかっていうのを
インターネットの世界の中で完結する本にしようと
イメージしてたんです。
そこに糸井さんの発想とか思考法とかが
どんどん加わわってきて、
枠を飛び出ていろいろやっていただいて、
今の形になったんです。
----- 変更していくときに焦っちゃうんですよね。
わくわくしてないっていうか、
ああ、どうしようどうしようって
ところがあるから。
糸井 スポーツだったら、
サードの守備位置にいて、
これはショートだなって球が飛んできたときに、
自分はここまでだからって言って追っかけなかったら
三遊間のヒットはどんどん増えますよね。
相手が捕るはずの場所かもしんないんだけど、
俺が走ってって球とるってことがありうるから
試合として成り立つんですよね。
エラーがつかないからいいやって
一応サードの責任は守ったからねって
黙って動かなければヒットになっちゃうんです。
痛くもかゆくもない仕事になるんです。

そういう発想みたいなのが
出版業界全体に今、失われてるんだと思うんですね。
もっと貧乏だった時代には、
そうやんなきゃ食えないってことがあったけど。

・・・そんな話を聞きにきたんじゃないんだ
っていうのは
当然あるでしょうけど。(笑)
----- いえいえ。(笑)

(談話は次回につづきます)

2001-07-25-WED
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