ハブの棒使い。 やればできるか、晴耕雨読。 |
その5 選挙で活気づいてきた 夜中に買いに走るもの、思いつくのはさて何でしょう? 買いおきのビールが切れたので、近くのコンビニまで走る? なるほど、わたしも経験があります。 新作ゲームの発売前に、夜中のうちから並びに走るって? なるほど、そんな人がたくさんいることは知っています。 でも、この答えはなかなか思いつかないでしょう。 票なんです、票。 先月、奄美大島の大和村で村議選がありました。 大和村の人口は約2,000人、 有権者数は約1,600人という小さな村です。 村議選には定数14名に対して17名の候補者が立ちました。 単純計算でわかる通り、100票が獲得の目安になります。 100票ですから、ほとんど確実に票読みができます。 親族・知人・友人の顔を思い浮かべて皮算用です。 100以上になればとりあえずひと安心。宴会です。 100に足りなければひどく不安です。で、買いに走る。 選挙の前夜、大和村でキャンプしていると、 そんな話がまことしやかに交わされていたのでした。 ちなみに結果は投票率95.1%(!)で、 14人目の当選者の獲得票が80票、 15人目の落選者の獲得票が73票でした。 たった7票、されど7票。 「あと××円使っておけば…」なんて反省をしたりして。 不謹慎ではありますが、ま、牧歌的といえなくもない。 とにかく、奄美の人は選挙が好きらしい。 なにしろ、ここは「ヤストク戦争」で名を馳せた奄美です。 かつて、衆議院選挙が中選挙区制で行われていた時代、 奄美群島区だけは全国で唯一、定数1の選挙区でした。 83年以降の3回の総選挙において、定数1の議席を争って、 自民党代議士の保岡興治氏と自由連合の元代議士徳田虎雄氏 が繰り広げた壮絶な選挙戦が「ヤストク戦争」です。 「札束が乱れ飛ぶ」とか「両陣営から逮捕者が続々」とか 「名瀬市職員も巻き込んだ選挙とばく」だとか、 総選挙のたびに全国の新聞や週刊誌を賑わせた恒例行事。 結果は83年と86年は保岡氏、90年は徳田氏が当選でした。 尚、続く93年は奄美群島区がなくなり、 定数4の鹿児島1区に組み込まれて、両氏とも当選。 前回96年は小選挙区比例代表制が導入され、 保岡氏が鹿児島1区で当選、 徳田氏は鹿児島2区に出馬し、自民党園田修光氏に惜敗。 そこで、今回の総選挙です。 奄美地方は前回同様、鹿児島2区になります。 今回もまた徳田氏と園田氏の争いの模様を呈しています。 以前ほどの「賑わい」はなくなったということですが、 このところタクシーやスナックでは総選挙の話題が活発。 あやしげなレートを耳にしたりも…。 ともあれ、町が活気づいてきた気がします。 引越したばかりで選挙権がないので胸をなでおろしながら、 総選挙の行方を楽しみに見てよっと。 |
2000-06-13-TUE
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