ITOI
糸井重里の脱線WEB革命

第19回
<ここでも臨時>

3年ぶりの矢沢永吉のステージを観て、
急に書きたくなったので。

矢沢永吉の信者という人たちは、
もう「草の根・永吉運動」というくらいの深さで
日本中に隠れていて、若い新しくファンになりそうな人に
「エーちゃんのすばらしさ」を語り続けているようだ。

息の長い活躍を続けているスーパースターたちは、
よくよく数えてみれば何人もいなくて、
おそらく誰もが思いつく人といったらやっぱり
この「E.YAZAWA」ということになってしまうだろう。

思えば、ぼくももう4半世紀、エーちゃんを見てきている。
25年もやってきていると、
何度も、後から出てくる人たちに追い抜かれたり、
寿命が尽きたとウワサされたりするものだ。
ぼくは、「あいつも、もうだめだね」と言われた回数が、
その人間の価値になるのではないかという気がしている。

ここ2年ばかり、エーちゃんのコンサートを
観ていなかったぼくは、
つい先日、彼自身の口から聞いた
「そうねぇ、ファンの年齢で、
いちばん多いのは20代だね。なんか、そのへんのとこよ」
という情報が、なんとなく信じにくかった。
どんなものでも、どんなことでも、そうなんだけど、
ある世代にとっての価値、というものはある。
あらゆる芸能のスターたちは、
ファンクラブの老いと共に、自身の老いを知り、
親睦団体か宗教団体のように、活動の輪を閉じていく。
25年も活動しているスターの観客は、
一緒に25歳年齢を重ねている「親戚」のような存在だ。
それが常識的な見方である。

矢沢永吉コンサートの観客が20代であるということは、
「生まれたときには、もう矢沢がいた」という人々が、
会場の中心にいるということである。
そんなことがあり得るのだとしたら、
それは奇跡に近いことなのだ。

だが、武道館に行って、ぼくは事実の前にひれ伏した。
「エーちゃーん!エーちゃーん!」
と叫んで音頭をとっているファンが、まず20代だ。
客席も、あきらかに20代が多い。
アリーナ席だから、おそらく優先的にチケットを入手できる
ファンクラブの人たちがおおいにちがいない。
よくよく見ると、40代、50代のお客さんもいる。
こんな観客席は、見たことがない。
ファンが、新陳代謝しているのか。
いくら「矢沢命」の会社の先輩が、
エーちゃんのよさを飲み屋の説教のように語ったとしても、
いまどきの若いヤツが素直にファンになるとは思えない。

「歴史と伝統の矢沢永吉」と思って、
はじめてエーちゃんに接した新しいファンの人々を、
その時その時の、「時代の矢沢」が
がっちりと捕まえているということなのだろう。

今年のコンサートは、「矢沢の古典」とも言える曲の、
新しいアレンジヴァージョンを多く盛り込んで、
イギリスのミュージシャンによるサウンドで構成している。
きっと、歌う曲は、少しずつしか変化してないけれど、
サウンドのプロデュースを、毎年毎年、
がらっがらっと変えてきたのだろう。

ひとりで観客していたぼくは、
同じくらいの年のエーちゃんの、
ずっと続けてきた冒険の年月に、あらためて気づいて
彼に会ってから帰ろうと決めた。
矢沢永吉のステージは、
楽屋に大勢の仲間がたむろしているようなものではない。
舞台から降りると、彼はひとりでシャワーを浴びて、
ひとりで自分の日常のテンションに戻って、
会場を後にする。
大勢の知り合いが、花束やら手みやげを持って、
「いやー、よかったねー」などと集まるものではないのを、
ぼくもわかっていたので、
楽屋を訪ねるのは、20年ぶりだった。

加湿器を強くかけた部屋に、
バスローブ姿のエーちゃんがいた。
パターンのように握手して、笑いながら、
「なんで来てくれたのよ」と言った。
なんとなく会って帰ろうと思ったから、ぼくは言った。
「なんか、2年ぶりできたらうれしかったんでさ」
「へーえ。そう。うれしかったってのはいいねぇ」

漠然とした無駄話のなかに、
ぼくは、質問を混ぜ込んでいた。
「ステージの上で、
ほんとに酔っているようにみえるじゃない。
自分の作っているステージや音に酔っているように。
だけど、ほんとに酔っていたら、
人に見せるエンターテインメントなんてできないわけで。
自分の酔っているところを観察して、
次や次の次の時間を管理してる自分が必要だろ?
なんで、そんなことができるんだろうな」

「ああ、なんで?なんでだろ。
それはねぇ、バンドだってことがあると思う。
バンドのメンバーの出す音を、
完璧に信頼していられるのよ、いまは。
おれがいちいち契約書からなにからバッグに入れて、
お前の音が欲しいって口説いた連中だからね。
もう、力はわかってるし、彼らも、
ヤザワへの信頼を持ってる状態で練習とかして
集まってるからね、手を抜いてない。真剣なのよ。
だって、あいつら、俺のことをボスって呼んでないもん。
マジェスティーって(笑)。
そうだなぁ。完璧にバンドを信頼できる。酔える。
だから、すぱっと醒めていられるってことなんじゃないの」

この話だけは、どうしてもここに書きたかった。
音をだすバンドに信頼を置けると、酔える。
こんなことを、経験のなかで発見できている人間が、
どんなふうにサウンドをつくってきたかは、
容易に想像できる。
いま出すべき音は、矢沢永吉が観客に聴かせるべき音は、
どんなクオリティーであるべきかについて、
くそ真面目に追いかけてきたのだろう。
そして、その都度のヤザワのサウンドに、
その時代のファンが付いてきていた。
そう考えられるのではないか。
「マンネリのすごさって、わかるよね。
マンネリって、すごいのよ」

とエーちゃんが言ったとき、ぼくは、言葉尻を取った。

「でも、マンネリのふりをしながら、
別のものを出し続けてきたから、
おなじお客さんが『年をとってもエーちゃんが好き!』って
義理人情で通ってくるようなことにならなかった」

「実は、そうなのよ。
いつもおなじに見えてていいのよ、ヤザワのステージは。
でも、ほんとは違うんだ。それがわかるやつは、
来年もくるし、トモダチにヤザワに行こうって、
堂々と言えるわけ」

「おなじエーちゃんの姿はしているけど、
血の入れ替えを続けてきたんだって、おれ、書いたよ」

「そうかもしんないね」

「おんなじヤザワが、ほんとに昔のままでやっていたら、
お客さんは、いないと思うな。もう、とっくに。
小さいライブハウスみたいなところで今年やったのも、
なんだか、
『いつでも、もう一度ゼロからスタートしても、大丈夫』
ってことを、自分に知らせているように見えたね」

「小さいところで、やってみたいって、
ずっと何年も思っていたのに、それを実際にやると、
武道館がいいなぁって、思っちゃうもんなんだよ。
それがわかっただけでも、やってよかったわ。
楽屋なんてないところ、やったもの。
キャクの通路と、俺の出てくところが同じでさ。
少し待ってから、開演して・・・
もう、前のほうのコなんて、酸欠でふうふういってる。
本気で大丈夫かよ、だったもん。
でも、よかったよ、やって。
抽選抽選で客入れたりして、だいぶ迷惑だったろうけど(笑)」

いつまでも変わらないスーパースターなんて、いない。
変わりたいように変わっていく人と、
変わりたくないのに変わってしまうことを嘆く人と、
きっと2種類がいるんだろう。
矢沢永吉がデビューして、四半世紀。
その間に、何人もの「飛ぶ鳥を落とす勢い」の
スターたちが登場して、変われなくて消えていった。
つまらない変わり方をして消えた星も数おおい。

「いまも、竹田さん(スタッフ)に言ってたんだけど。
くそ真面目は、強いね!」

「そうかもしれないね。くそ真面目は強いよ(笑)」

長くなりましたが、臨時の「脱線web革命」終わります。

1998-12-13-SUN

BACK
戻る