糸井 |
小学校は児童会、
中学になって生徒会をやってたけど、
高校になったら、頭の中では不良化してましたから、
生徒会の役員を当選させる仕事とかを
するようになりましたね。
今のやってることに近い。
生徒会役員になりたそうなやつがいるんですよ。
そいつを人気者にするんですよ。カンタンなんです。
演説原稿をぼくが書いたら、それを読むとウケて、
1年生の生徒会副会長とかが誕生するんだけど、
そいつら、1回当選するといい気になるんです。 |
今泉 |
得意な学科とか苦手な学科は? |
糸井 |
学年が上になるにつれて、
どんどん算数系がダメになりましたね。 |
今泉 |
国語とか作文は? |
糸井 |
得意じゃなかったです。
自分ではうまくいくなと思っても、
ほとんど、いい点はつかなかったですね。
確かに、先生にほめられる作文は、
正直さと丁寧さがあるよなぁとは思っていた。
そして、自分には、
それがないと感じていました。
隠しごとのある子どもだったんです。
「そんなこと、みんなに言うもんじゃないよな」
って、本心は書かないようにしていましたから。
当時の作文は、要するに、何から何まで
ほんとうのことを言うものが
いいとされていたんです。 |
今泉 |
将来は、何になりたいと思っていましたか? |
糸井 |
本当はわかんなかったんですけど、
中学の時に漫画で褒められたんですよね。
で、「漫画家になりたい」と。
漫画は大好きでしたから。
ただ、職業についてのリアリティはなかったです。
それになるんだっていうリアリティはありません。
ちゃんと描いてたし、
高校卒業したら漫画を書きはじめるって決めて、
ケント紙買って、枠線も引いて、鉛筆で下書きして
ペンを入れてたんですよ。ホワイトで修正して。
とにかく漫画に育てられたし、好きだったんです。 |
今泉 |
大学には、行こうとしていました? |
糸井 |
みんな行くんで、行きたいと。ただ、父親が
「大学に行くのか?
大学に行かないんだったら100万円やる。
それで商売するなり遊ぶなりすればいい」
と言ったんです。
でも、子どものほうが飛びこめなかった。
「行きたくねぇなぁ」と
クチでは言ってるものの、まわりが行くから
行きたいんですよ。だらしがないったらない。
ともだちが、俺は慶應だおまえは早稲田だ、
って言っている横で、100万円もらったからって、
大学に行かない決断するのは、
むずかしかったんです。
ぼくの初任給って2万円だったから、
当時100万円って、
大金だったと思うんですけどね。
だいたい、子どものほうが保守的ですよ。
若くしてスピンアウトする人は、
その前にだいたい、負の理由があるんです。
夢で飛び出す人は、
子どものうちにはなかなかいない。
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