糸井 |
そうだよね。
「どうするつもりなんだ?」
とか、親も言わないんです。
「今、左官やってんだよ」とか
「鳶やってんだよ」とか言えばよかったんです。
ただ、鳶とか左官の働きが1日2500円で、
それでもバイトとしては最高にいいと思いました。
だけど、コピーを1本書くと、
5000円って聞いたんですね。
そりゃもうやりますよ。
「俺はもう、それでいく」って。
5000円なんだったら
100本でも200本でも書いてやろうって
その仕事をやるための学校に行きました。 |
今泉 |
コピーライターっていう職業っていうのは、
当時、どんなものでしたか? |
糸井 |
新聞の広告で、手芸教室の通信教育と並んで、
「鉛筆一本で高収入」ってあるイメージです。
あとは、山口瞳、開高健っていう2人が、
後のサントリーの宣伝部の広告文案をやっていて、
その仕事がコピーライターっていうんだ、とか、
石ノ森章太郎さんが、広告代理店を舞台にした
漫画を書いてるんですよ。そこで
代理店同士の丁々発止みたいなのをギャグにした
テレビ小僧みたいな漫画があって。
そういうところで、覚えてますね。
職業としても、知ってる人は知ってた時代です。 |
今泉 |
その職業に飛びこんでみて、どうでしたか? |
糸井 |
ラクでしたよ。
ただ、就職してみたら薄給で、
仕送りがなかったら食えなかったですね。 |
今泉 |
はあ。当時の初任給って
2万円っておっしゃいましたよね。 |
糸井 |
うん、29800円とかです。
近所の同じ職業の人は6万円だった。
俺はそこまでいかないとしても、
5万円ぐらいはもらえるんじゃないかと思って、
すごくたのしみにしていたんだけど、3万弱。
しかも、給料日に、打てないのに麻雀に誘われて、
15000円ぐらい取られちゃって、
涙を流しながら、家に帰ったよ……。 |
今泉 |
はじめての会社勤めは、
糸井さんにとってはどうでしたか? |