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年末年始スペシャル!
『糸井重里500分』
今回のインタビュアー
今泉清保アナ
第10回 フリーの仕事がはじまった

(※ひきつづき、今泉アナによるインタビューです)


今泉 はじめて入った会社がつぶれて、
フリーのコピーライターになったとき、
糸井さんは、不安でしたか?
糸井 いつも、不安は、ないんですよ。
そこがいけないところといいところと
両方あるんだろうけど。
多少、不安だったら、もうちょっと
別の能力を磨いてたと思うんですよね。

それはそれでほんとはきっと、
大事なことだったと思うんです。
その頃にいいかげんにしてたことのツケが
ずーっと経ってから、まわってきてます。

もうちょっとだけでも
考えておけばよかったのになぁってことは、
いっぱいありますから。
今泉 自分の才能に、自信はありましたか?
糸井 それは本当にむずかしいところです。
どちらとも言える。
今泉 才能がないとは思ってなかったですよね?
糸井 でも、あるとも思ってなかったです。
やればできるかなあ……と思って、
やってみる、という程度のことで。

フリーになってからも、
よく、雑誌の人とかに会って、
「あのバンドを特集したらどう?」
とか言ったりしていたんです。
そうすると、
「やってくれない?」ってことになる。
俺以外の人に、やってほしかったのに。

コネも何もないところからのスタートだから、
その頃、ダウンタウンブギウギバンドっていう
宇崎竜童さんのバンドが
沖縄公演をしているホテルに
取材のお願いの手紙を入れておいて、
そこで長い取材をしたのは、例えば、
ぼくにとっての、はじめての長編原稿でした。

その原稿が、矢沢エーちゃんの
『成りあがり』のきっかけになったりして。
今泉 糸井さんは、
どんな仕事の広げ方をしたんですか?
糸井 何か、会う機会があるじゃないですか。
雑誌の人でも絵を描く人でも。
会ってムダな話をしてると、
相手が、何かさせたくなってくれて。
「何々しませんか?」とか言われると、
悪い気はしないじゃないですか。

「できそうなことを思いついたら
 また連絡します」って返事をした後に、
もう1回どうですかって言ってくれると、
「あ、これ本当にやんなきゃ」って思いますよね。
そうやってはじめた仕事が多いというか。

たのしそうな話を聞いたり、
おもしろそうな人に会ったり……。
ぼくは出無精っていうか消極的な人間だったんで、
誘われないと出ないんですけど、
誘われたら出ていっていました。
出ていけばうれしいし。

知りあった人が「一緒にどうぞ」みたいなことで
やることは増えていったですけど、
メシの種は、ずっと、広告でした。
ライターとして食べていたわけじゃありません。
ライター仕事が3本ぐらいあっても、
それだけでは、メシの種にはならないですから。

その広告もメジャーな広告なんか、
西武の前までは、ほとんどやってないですよ。
今泉 フリーになった直後に
主にやっていた広告は、どういう仕事ですか?
糸井 喫茶店で知り合ったディレクターがいるんです。
当時、印刷会社の人にだまされて
お金を取りそびれてた話をぼくがしてたら、
それを横で聞いてたディレクターが
話しかけてきたんです。
「一緒に仕事をしませんか?」って。

代理店から発注された
プレゼンテーション用の企画を
ぼくに下請けで出して、
1本1万円みたいにして、
買ってくれるんですよ。そういう仕事。

それを何本か書くと
何本分か払ってもらえるんで、
毎月5本とか10本とか仕事があるんですね。
で、みんな、ボツになるんですよ。
でも、ボツでもお金になる。
1万×10本は10万円じゃないですか。
初任給が月に2万円や3万円だから、
それから比べたら、もう、ずいぶん高額で。
ぼくは、いつも
「俺って金持ちだなぁ」と思うタイプなので、
本当に「うわぁ、金持ちだなぁ」と思いながら
暮らしていたんですけど。
今泉 (笑)
糸井 その仕事は、たのしかったですよね。
ボツになるんだけど、たのしかった。
そのとき1回出して全然ボツになったやつを
あとで自分で使ったりして、
ちゃんと仕事にもしているんです。
今泉 へぇ。自分を鍛えることにもなったんですか。
糸井 ボツになった理由を聞いても、
「プレゼンではウケたんですけど落ちました」
みたいな話しかないんです。
要するに、そのディレクターが、いかに
自分には考える幅があるかを示すために、
俺に払っていたわけで。
要するに、ゴーストライターですよね。

そういうことしている間に、
西武から呼ばれたのが、
西武の仕事のきっかけでもありますから。
ぼくって、大きなブランドの仕事を、
ほとんどしていないんです。

ずっと経ってから、
三菱自動車のミラージュだとか、
日産のセフィーロとかは、やりましたけれど、
あんまり、ないですよ。
あとは、賞取り用の広告を頼まれるぐらいで。
「製品、何にしますか?」
みたいな頼まれ方もあった。
だから、仕事はたのしいことばっかりでした。

(つづきます)

(つづきます)

2004-01-02-FRI
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