糸井 |
何か、会う機会があるじゃないですか。
雑誌の人でも絵を描く人でも。
会ってムダな話をしてると、
相手が、何かさせたくなってくれて。
「何々しませんか?」とか言われると、
悪い気はしないじゃないですか。
「できそうなことを思いついたら
また連絡します」って返事をした後に、
もう1回どうですかって言ってくれると、
「あ、これ本当にやんなきゃ」って思いますよね。
そうやってはじめた仕事が多いというか。
たのしそうな話を聞いたり、
おもしろそうな人に会ったり……。
ぼくは出無精っていうか消極的な人間だったんで、
誘われないと出ないんですけど、
誘われたら出ていっていました。
出ていけばうれしいし。
知りあった人が「一緒にどうぞ」みたいなことで
やることは増えていったですけど、
メシの種は、ずっと、広告でした。
ライターとして食べていたわけじゃありません。
ライター仕事が3本ぐらいあっても、
それだけでは、メシの種にはならないですから。
その広告もメジャーな広告なんか、
西武の前までは、ほとんどやってないですよ。 |
今泉 |
フリーになった直後に
主にやっていた広告は、どういう仕事ですか? |
糸井 |
喫茶店で知り合ったディレクターがいるんです。
当時、印刷会社の人にだまされて
お金を取りそびれてた話をぼくがしてたら、
それを横で聞いてたディレクターが
話しかけてきたんです。
「一緒に仕事をしませんか?」って。
代理店から発注された
プレゼンテーション用の企画を
ぼくに下請けで出して、
1本1万円みたいにして、
買ってくれるんですよ。そういう仕事。
それを何本か書くと
何本分か払ってもらえるんで、
毎月5本とか10本とか仕事があるんですね。
で、みんな、ボツになるんですよ。
でも、ボツでもお金になる。
1万×10本は10万円じゃないですか。
初任給が月に2万円や3万円だから、
それから比べたら、もう、ずいぶん高額で。
ぼくは、いつも
「俺って金持ちだなぁ」と思うタイプなので、
本当に「うわぁ、金持ちだなぁ」と思いながら
暮らしていたんですけど。 |
今泉 |
(笑) |