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年末年始スペシャル!
『糸井重里500分』
今回のインタビュアー
田中宏和さん
第13回 広告と宗教のはざま

(※ひきつづき田中宏和さんがインタビュアーです!)


田中 では、そろそろ、広告の話にいきます。
最初にうかがった話に戻ると、
「広告を作るのが、むずかしくなっている」
と糸井さんは、考えていらっしゃるんですよね。
糸井 はい。
いま、いちばん疑ってるのは、
テレビコマーシャルです。

職人として広告を作る側としてではなくて、
企業を運営してゆく視点から見ると、
テレビコマーシャルって、
あんなにお金を使っても、
「あるイメージに出会う頻度を高める」
というだけなんですよね、せいぜい。
そこに、信頼はないんです。

コマーシャルの結果とは、
高められた頻度のぶん、その情報が、
それぞれ「すでに信じている人」だとか、
「熱狂的なファン」に行き渡るということで。

だから、「すでに信じている」とか、
「熱狂的なファンがいる」という状態がないと、
コマーシャルをやること自体が、
意味がなくなる。


しかも、熱狂的なファンは、商品にとって、
迷惑な人に転じるときだってあります。
熱狂的に応援しすぎる人は、
昔の歌番組で、野太い声で、
「聖子ちゃーん!」と叫んでた
応援団たちになっちゃう可能性があるから。
糸井 これはちょっと
いい本すぎて、紹介したくないぐらいだけど、
橋爪大三郎の『仏教の言説戦略』っていう本、
あそこに書かれていることに
尽きるんじゃないかと思うんです。

この本は、いかにして仏教は、
無内容なことで宗教として成り立っているか、
ということを滔々と説いていくんですけど。
田中 へぇー。
糸井 やっぱり時間がかかるし、
思いきりが要るみたいなんですよ。
ものごとを広めるっていうのは。

マーケとかではぜんぜん人は動かないし、
感情でしか人は動かない。
感情が、なんで生まれるかというと……。

「私を気持ちよくさせてくれる」
「私を気持ちわるくしない」

つまり、これ以上に、
学ぶことなんかないんです。
糸井 そんな風にいろんなものを見ていると、
広告が効かないと見られているようなところが、
ぜんぶ、ビジネスチャンスに見えてきました。

必要なものを必要なだけ作って、
必要な人がそれを買うというのは、
たとえば、よその人がやっていればいい、とか。

気持ちよくさせるという点で言えば、
必要じゃないけども、
あったほうがおもしろいものとか、
なんでなかったんだろう、っていうものを、
生んでいいんですよ。

それができれば、売る側も買う側も、
頭の使い方が気持ちよくなるかもしれない。
そういうことばっかりやっているのが、
今のぼくの仕事になっているんだと思います。
つまり、アンチ・マーケティングですよねぇ。

仕事の目的はいろいろあっていいんだから、
純粋にお金の利益を上げるものもあれば、
次の仕事のための勉強の場もあるし、その都度、
いろんな仕事をいっぱいしていいんだよ、
っていう、
そういう会社にしたいと思っているんです。

少なく生んで、しっかり育てるんじゃなくて、
自分で考えたことならいくらでも仕事がある、と。
それを、たのしそうにやれてたら、いいですよね。

もしもぼくが、今も広告を
そのままを引き受けてるような仕事をしてたら、
「こうだったはずのものがこうなった」とか、
「これが急遽こうなっちゃった」とか、
「ゴーサインが出ていたのに、
 あとで対案が欲しいって言われた」とか、
そういうことに振りまわされて
1年が終わってると思うんですよ。
少なくともそうじゃないってことは、
そういうことまではできるようになったなぁと。
だから、その先に行きたいと思うんです。
田中 糸井さんって、10年ごとに
節目を迎えていると思うんです。
1948年のお生まれじゃないですか。
で、1978年から、Jプレスの仕事を
はじめられているんですね。
このへんで、ある種の広告のスタイルを
つかまえられたのかなぁ、と思うんです。

それから、コピーライターとしての時代が
ずっとつづいて、1988年の西武の広告の
『ほしいものが、ほしいわ』まで行き着いた。
ぼくは、このコピーは、
糸井さんが、コピーライターとして
名実ともに達した言葉だと思っているんです。
ちょうど時代の変わり目、昭和から平成に行くとき、
バブルの絶頂期に、文章としての表現よりも
「ほしいもの」と企画のほうにまわられたというか。

それから、98年には「ほぼ日」が創刊される。
糸井さんが、本格的に、ほしいものを作るほうに
まわっていったのではないかと感じるんです。
糸井 なるほど。
ただ、実際にやっていることは、
ものを考えて表現することだけなんです。

コミュニケーションに関することを考えて、
原稿を書いたり、商品を人に伝えたり……
ぼくがやっているのは、きっと、
昔も今もこれからも、それだけなんですよ。


もちろん、最初は
アイデアを売る職人としてスタートして、
だんだん、
仕組みを考えたり、コンセプトを考えたり
そういうところに、仕事の分野を広げていって。
そうするといろんな仕事ができるようになるから、
ひとりコンサルというか、
ひとりシンクタンクのようなものになって、
そこにメディアをくっつけていく、
というかたちで「ほぼ日」ができた。
コンテンツとしてソフトを商品にする。
そんなふうに、
移り変わってはいるんでしょうけどね。
田中 ええ。

(つづきます)

2004-01-05-MON
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