続・会社はこれからどうなるのか?
岩井克人×糸井重里対談篇

第2回  「役に立つ」って何だろう?

※第1回、大好評でした。ありがとうございます!
 今日は、これからも本コーナーを
 じっくり読んでいくための予備知識になるような言葉を、
 「ひとり語り」のかたちで、おとどけしますね。
 岩井克人さんとの対談直後の糸井重里の発言を、
 次回への補助線のようにして、おたのしみください。




  【糸井重里による談話です】


 岩井さんが、対談中に、
 「わたしはいま56歳で、
  だいぶ社会や人を見てきましたけれど、
  こういう目で若い人を見ると、
  統計学的に見られますよね。
  昔は、若い人の発言って個性だと思ってたんです。
  ところが、どうやら、個性に満ちたものではない。
  ある若さには、ある傾向が出やすいというだけで……。
  若い時の発言は「ありふれたもの」のようです。
  40年前の若者も、今の若者も、違う人間なのに、
  まったく同じことをしゃべっていたりしますから。
  なぜ、同じことをしてるのか、不思議ですけど(笑)」

 というようなことを
 おっしゃっていたのが、印象的でした。

 ぼくも、そう思うほうですけど、
 若い人に対して、
 「それって、よくあることだよ」
 と言えるようになってからの生き方って、
 おもしろいですからね……。
 
 それを知ると、
 ある意味ではアナーキーになると言うか、
 老人ほどラディカルになるところもあるし、
 同時に「よくある」と知りつつも、
 その社会ゲームに参加して
 遊んでみたいなっていう気分にもなるんです。

 ぼくも今はいろんな場所で
 「まとめ役」みたいなことをしているし、
 岩井さんの立場も、学部の長というわけで、
 ラディカルな面と、社会的な面と、両方抱えこんでいる。

 「オレ、この役、イヤなんだよ……」
 と言いつつも、でもつまんなくやるわけにはいかない、
 と思って、組織をまとめていく。
 これは、岩井さんやぼくと同年代の人なら、
 誰でも感じていることかもしれないですね。

 でも、おもしろいのは、
 そういう岩井さんやぼくの話を、
 いま、「ほぼ日」で連載していても、あるいは
 岩井さんの研究室のゼミ生たちに聞かせたとしても、
 若い人たちが、聞きたがっている、ということで。
 昔の若い人は、こんな話、聞かなかったと思うんです。

 それをたのしんでくれているというのは、
 ほんとうに、社会が行き詰まったからなんだろうなぁ。

 上の世代を否定すれば
 いつか革命が起こるかのように思えた時代は過ぎたし、
 上の世代を敵視していないと、
 自分のアイデンティティがなかった時代も過ぎた。
 
 一見、かなしいようにも感じられるのですが、
 ぼくは、これはこれで、
 かなり愉快な時代になったんじゃないかと思います。

 「レボリューション」っていう言葉は、
 おまえ、それを言ってるだけで、人生終わっちゃうぞ、
 というつまんなさがあるわけですからね。
 
 トヨタは、革命ではなくて、
 改善改善で大きくなっていった……
 「いちばん大きい会社は改善の会社だった」
 というのは、見事な現代のシンボルでしょう。

 だったら、つまらなくないトヨタ作ればいいわけで。

 「革命を夢見る」っていうより、
 「絶えず改善をして何かを考え続けていると、
  何かが生まれる」というほうが、よほど現実味がある。

 社会が行き詰まって、若い人にも
 「革命」のリアリティのなさが
 伝わっているからこそ、
 ものを素直に見られるようになった、

 とも言えますよね。

 たとえば、
 今さらって言われるかもしれないけど
 最近、ぼくが興奮しながら読んでいるのが、
 ドラッカーの経営についての本なんです。

 ほとんどの中小企業の社長さんの言うことは、
 ドラッカーの発言の一部を
 拡大して変形させたものなんじゃないか、
 と思えるほどの内容なんです。

 彼の一連の本を読んでいると、
 「おまえ、それを引き受けろよ!」
 と、読者にドラッカーが
 指をさしているような場面が、とても多い。
 その「ある種の正義感」が、イヤじゃないんです。

 どうして、今まで、まともに読んでいなかったんだろう?

 ドラッカーの本は、それこそ
 50年前からベストセラーになっていました。
 ぼくも若いころから、
 ドラッカーの名前自体は、何度も耳にしてたよね。

 ところが、
 たぶん、ずっと最近になるまで、
 ドラッカーについての書いたものって、
 「こうやったら、爆発的にゼニ儲けができる」
 とか、役に立つというところで
 使おうとしすぎたんじゃないか、
と思うんですよ。

 ドラッカーの本だけじゃなくて、
 それこそ、経営書やビジネス書と呼ばれるもの全般が、
 「……それにつけても 金のほしさよ」
 という下の句つきで読まれていたと言いますか。
 そういう視点だけで読んでいたら、
 いくらドラッカーだって、おもしろくないですよね。
 
 ところが、そうじゃなく読める時代がやってきた。
 今までまちがった見方をしていたけど、
 光の当て方の角度を変えると、
 急に透けて見えるものがあった、というか。

 岩井さんの
 『会社はこれからどうなるのか』についても、
 過剰にお役に立つものが
 求められている時代ではないからこそ、
 実用書として読めるんじゃないかと思う
んです。
 つまり、ほんとうに使いこなせるというか……。

 「つまんない価値観どうしで
  ケンカするのをやめてくれよ。
  もっとおもしろいゲームがあるじゃないか」
 と言うための教科書として推薦したくなって、
 思わずぼくも、
 『会社はこれからどうなるのか』
 をオススメすることには、熱が入っているんです。
 
 革命信仰があった時代には、
 過剰に役に立つものが求められすぎたか、
 もしくは、役に立つことを
 過剰に否定してしまっていたように思います。
 
 それこそ、ぼくも、昔から、
 「商業主義の手先」「資本主義の犬」
 っていう言葉を、どれだけ言われたか。

 自分が若いころは、
 「役に立つ」ということだけで
 批判される時代でもあったわけで……。

 「役に立つ」ことの冷静な位置が、
 ようやく、見えてきた
と思うんです。
 そのなかで、この
 『会社はこれからどうなるのか』
 の立ち位置も見えてきたな、という印象があるんです。




『会社はこれからどうなるのか』
(岩井克人/平凡社)

2003-05-26-MON


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