糸井 |
今、世の中の経済談義に対する
岩井さんの考えをうかがった後で、
敢えてお聞きするんですけれど……。
「わたしは正しくて、みんなまちがえている」
と主張している意味では、
岩井さんのお話も、エコノミストのお話も、
ニュースキャスターのお話も、
みんなが同列で並んでしまいますよね。 |
岩井 |
ええ、そうです。 |
糸井 |
そこを抜け出す方法っていうのは、
技術的には、ないんでしょうか? |
岩井 |
非常にむずかしい。
わたしが経済学者の中で
いちばん尊敬しているのが
ケインズという人なんですけど。
よくケインズ政策は終わったなどと
言われていますが、
この本をよく読むと
そのような政策論に還元できない
非常に深い思想を見いだせるのです。
おそらく経済学の
最大の古典のひとつと言われて、
ものすごく影響力があったんですね。
それには、理由があるんです。
彼と同じ時代に、
カレツキーというポーランドの人が、
ケインズとほとんど同じような理論を
作っているんですね。
ところが、
カレツキーの理論というのは、
ケインズほどは、有名にはならなかった。
もちろん、ケインズほどの
深みがないことはたしかなのですが……。
このカレツキーが、
ポーランドからイギリスに渡った時、
「自分の理論が議論されていたが、
それは自分の名前ではなく、
ケインズの経済学として論じられていた」
と驚いたほど、とても近い理論なんです。
もちろん、どちらも盗んだわけでなく、
独立して作ったものなんですけどね。
ただ、カレツキーという人はえらい人で、
「自分はポーランドという
片田舎から出てきた無名の学者である。
自分だけの力では、自分の理論は
とても学界に受け入れられなかっただろう。
たとえ、それが
カレツキー経済学としてではなく、
ケインズ経済学として広まったとしても、
喜ぶべきことだ」
というようなことを述べた、
と言われています。
しかもカレツキーは自分が独自で
そのような理論を作ったことを
しばらく、誰にも言わなかったんです。
これだけでもおもしろい話ですが、
ここで、ひとつポイントがあるんです。
ケインズ自身が作りあげた
『一般理論』は、内容的に
経済学にものすごいインパクトを与えた。
しかし、そのインパクトを
さらに強めた要素があるんです。
ケインズには、
「ケインズになる前」
というものがあるのです。
これは、すごく重要でして。
このケインズになる前のケインズは、
伝統的な経済学で最も有名な実力者だった。
伝統的な経済学のチャンピオンだった人が、
その経済学を批判してしまったので、
ものすごいインパクトになったんです。 |
糸井 |
つまり、パウロですね。
熱烈なキリストの迫害者が、
もっとも敬虔な信徒になったという。 |
岩井 |
ええ、パウロです。
だから、ものすごくインパクトがあった。
最初から異端でいると、
なかなかメインストリームにはならない。
まあ、本屋を見ればわかるように、
内容に関係なく、いろいろな本が
同列に置いてありまして、
どんなにすばらしい内容であろうと、
埋もれていくものが、沢山あるわけです。
「いちばん有名だった人が
ひっくりかえるからこそ反響が大きかった」
ということです。
もちろん、同時に重要なのは、まさに
伝統的な経済学を最もよく理解している人が、
その論理を徹底的に追及することによって、
伝統的な経済学そのものを打ち壊してしまった、
ということですけどね。
だから、ものすごい
インパクトを与えたということですけれど。
いずれにせよ、言いたいことは、
わたしは、ケインズではないということです。
カレツキーですらない。
だから、私には王道はないということです。
「正しい」と思っていることを
くどくても良いから、何度も言いつづけて、
それがほんとうに正しければ、
徐々にインパクとが広がっていくことを
祈るしかないというか、
そういうことにしか、ならないと思うんですね。
わたし自身、前の「ほぼ日」のインタビューで
お話をしたとおり、アメリカの主流派から外れて、
もう、主流派の論文には載らないので……。 |
糸井 |
そんなに、違いが大きいんですか。 |
岩井 |
ええ。
で、わたし自身は、
主流派ではない雑誌でもいいから、
英語の論文を、わずかでも書いて載せていく。
少なくとも、記録にとどめておいて、
地道にやっていれば、
いつかはそれが広がるかも知れない。
もちろん、広がらないかも知れない。
世界っていうのは
そんなに公平ではないですからね。
歴史のなかで、ほんとうに
重要なものを書いた人でも、
まったく埋もれたままに
終わっているのかもしれない。
神様がいる社会ではありませんから……。
逆説的ですが、
命が有限だから、
希望をもって生きていくことが
できるというわけです。
無限の命を持っていれば、
運命はいつかわかってしまいますから、
その意味での希望はもてない。
理論を作った後に論文や本を書いたり、
またこうやって「ほぼ日」でしゃべったり、
いろいろなところで地道に語って、
すこしでもインパクトが広がれば……と、
自分の考えたことを伝える方法は、
ぼくとしては、
それしかないんじゃないかなぁと思っています。 |
糸井 |
岩井さんのお書きになっているものを
ぼくがおもしろがるっているのは、
「正しいことが何かはわからないけど、
少なくとも、それじゃないよ!」とか、
そういう部分が、あるからだと思うんです。
ぼくも、倫理でもなんでもなくて、
「違うだろうが!」が、いろんなことを
やるうえでの、出発点になったりしますから。 |
岩井 |
まさしくそうなんです。
わたしの書いたものはみんな
「違うだろう!」なんです。
「ふつうに言われていることは、違うだろう」
ということなんですね。
真理というものは、多くの場合、
そのようにしか語れませんからね。
おカネにしても、会社にしても、
みんな、よく考えてみると、
ほんとうに不思議なものでして。 |
糸井 |
それで、岩井さんもぼくも、
「違うだろうが!」って言っているにしては、
批判のための批判になることを嫌ってますよね。
ほんとうにアクティブでありたいという
気持ちを、軸に持っているわけですけど、
「正義の味方でもなんでもないのに、
なぜ、こんなにアクティブになるの?」
というのが、いま、
自分に問いかけ中なんですけど。
岩井さんの「違うんだろう」という
問いかけの中には、単なる批判じゃなくて、
パワーを感じるんです。
それって、お互い、わからないですよね。
ぼくは特に有神論でもないのですが、
「なんでこんなに一生懸命になれるのかなぁ」
と、自分でも、たまに思っていまして。 |
岩井 |
なぜかは、わかりませんけどね。
わたしもさきほど「神はいない」と言いました。
「神がいない」と思うなら、なぜ、こんなに
使命感を感じているんだろうとは思うんです。
わたしも、糸井さんが言われたように、
まさしく、正義の味方ではないんです。
でも、どこかで使命感を感じる……なぜだろう?
この、「わけのわからない使命感」って、
きっと、いろんな会社の社長さんたちも、
何人か、持っている人、いると思うんです。 |
糸井 |
ええ、いっぱいいると思います。 |
岩井 |
会うと、
どっかで使命感を感じている方って、いますよね。
神がいなくて、命は有限なのに。 |
糸井 |
そうなんです。 |
岩井 |
あとで認められるかどうかなんて、
まったく、わからないわけです。
抹殺されるかもしれないのに……。 |
糸井 |
ま、精神的に疲れると、
勲章が欲しくなるかもしれないですけどね。 |
岩井 |
(笑)でも勲章も、死んだら意味がないですよ。 |
糸井 |
あれも、貨幣のバリエーションですからね。 |
岩井 |
はい。
もしも天国があるならば、
使命感はぜんぜん違うと思うんです。
さきほど、
「人間はどうしようもないけれど、
偶然、何かいいことをする」
というのは、そのへんかもしれません。
ある時、ふと使命感から
何か倫理的な行為をしてしまうという、
人間は、そういう存在ではあるんですよね。 |
糸井 |
その行為をいいとする理由も、
ほんとに突き詰めるとないんだけど……。
確かにその倫理観は、
自分にもあることなんですよね。
岩井さんがさっきふとおっしゃった時に、
「オレも、そうだなぁ」と思ったんです。 |
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(つづきます!) |