続・会社はこれからどうなるのか?
岩井克人×糸井重里対談篇

第5回  主流派の体力。

※アメリカを批判するばかりの人には見えないこと。
 主流派の体力、考え抜いた方針、絶え間ない実験。
 そこで学ぶことも、ずいぶんたくさんありまして。
 対談は、そろそろ、クライマックスを迎えてます。

糸井 ぼくは、ドストエフスキーを
非常に好きになった時代がありまして、
やっぱり人は人を殺せないようにできているとか、
日常的にだらけていたとしても、どこか、
危ない目に遭った人をパッと助けようとするとか。

こんなに利己的なはずの人間たちが、
そういう倫理的なことをやっているのは、
これはもう、やせがまんの美学なのか、
何か、ぜんぜん、わからないんですけどね。

たぶん、光の射す方を軸にしたほうが、
ふだんがたのしくなるということなのかなぁ。

人を疑いながら生きていると、たのしくなくなる。
「金がぜんぶだよ」と言わないほうが、
少なくとも、自分がラクになりますよねぇ。

それは、倫理でも何でもなくて、
わがままな話なんですけど。
岩井 おっしゃるとおり、
ある意味、わたしたちはどこかで
そういう倫理の衝動に
動かされているわけですから、
実は、究極の利己主義かもしれません。
糸井 その目でアメリカを見ると、
「まず、オレと同じルールにしてから
 うまくやれよ」ってことになるから、
戦争も起きてしまうわけで、危ないですけど、
それでも、アメリカ的な突き詰め方が
ひとつの暫定的な答えを出そうとしているな、
という気は、すっごくしますね。

少なくとも、
安心できる社会の中で、
なんか、危ないところには触らないけど
文句は言いたいな、って思っているヤツよりは、
実験をしているなぁ、という気がするんです。
岩井 実験、してます。

アメリカ社会は
資本主義と非常にマッチしていて、
わたしが批判しているような経済学者たちは、
たしかに荒唐無稽なことをやっているんですが、
それなりの意味がある。

彼らは、人間の合理性を
とことんまで追及した理論を作り、
しかも、たとえばデリバティブの市場のように、
現実に経済の仕組みを、
作りあげてしまうんですよ。

徹底的な理論を作り、それを現実に試す。
常に、実験をしているんです。
しかも、優秀な人たちが多い。

わたしは、主流派の経済学を
いろいろ批判していますけど、
その主流派の経済学は、
「人間が、もしも合理的な存在で、
 貨幣なんかなかったら、何が可能か?」
ということを
徹底して考えてくれているわけですから。
糸井 そうなんですよね。
岩井 「倫理がなくてどこまで社会が可能か」とか。
糸井 『カラマーゾフの兄弟』で言う大審問官を、
アメリカは、自分のところでやってるんですよね。
岩井 まさに、やってるんですよ。

その力は強くて、それがある意味、
現実の資本主義を大きく動かしてしまうんです。
危険でもありますけどね。

彼らが実験してガンガンやって、
山岸俊男さんの言う「安心社会」のなかで
内輪でゴチャゴチャやっているひとたちを
置き去りにする。
そして、そのような人は
後からノコノコついていく、
ということがあって。
糸井 その実験が切ないのは、
「生まれかわりができないんですけど」
ってところなんですけどね。
あの人たち、生まれかわりがあると思って
やっているような気がするんです。
でも、人生は1回なのでねぇ……。
岩井 彼らと戦うのはたいへんです。
糸井 たいへんですよねぇ?
岩井 ぼくは、体力があるほうですが、
それでも、非力を感じますよ。

やっぱり、向こうは、
頭がいい人は、ほんとにいいし……。
糸井 肉体も丈夫でしょう?
岩井 丈夫。彼ら、徹夜がきくんですよ。
糸井 徹夜しても、ごきげんなんですよね?
岩井 (笑)そう。
学会なんかに行って、
わたしもお酒好きなので彼らと飲んで、
次の日はほとんど二日酔いでという時に、
彼らは朝早く起きてジョギングして、
論文を書いて、元気に会議をやってる。
狩猟民族だから、
寝だめ、食いだめがきくらしいですね。

……ま、こんな言い方での人種の分類は、
政治的に正しくないんだけど(笑)。
糸井 でも、見ているかぎりでは、そうですよね。
岩井 寝ないといけない、
三度三度食べなきゃいけない、という
農耕民族的な人間と、寝だめ食いだめがきくとは、
ずいぶん、違いますから……。
糸井 それは、研究にも影響しますよね。
岩井 もちろん影響します。
大学院時代に、
「どうしてこんなヤツが」と、
頭がよくないなと感じた人も、
寝ず食わずで研究して、
後でけっこういい仕事をしたりするんですよ。


日本の人は、頭が良くて、
若い時に、ちょっといい仕事をするけど
その後に疲れちゃうという場合が多いですね。
糸井 やっぱり、岩井さん自身も、
一時は、アメリカ型の体力のあるほうが
いいなと思ったことは、あるんですか?
岩井 もちろん、そうです。
糸井 ありますよね?
岩井 ありますよ……。
糸井 1回はマッチョに惹かれるんですけど、
「無理だな」と思うわけですよね。
だから、アメリカを
カンタンに批判することはできない。
岩井 そうです。
日本でいろいろアメリカのことを
批判する人がいますが、
そのまま通るような、
そんなに単純な話じゃないです。
糸井 向こうも、バカじゃないんですよね。
岩井 はい。バカじゃないんです。
ほんと、彼らもよく考えているんです。
人によっては、教養なんかも、あったりして。
彼ら、勉強し続けていますからねぇ。
糸井 要するに、
「アメリカ人はバカだ」
と言う側の背景にあるのって、
文学信仰だと思うんですよ。

つまり、私小説や、フランス文学の一部分だとか、
そのジャンルを知っている自分は趣味がよくて、
あいつらはそういうものを読んでないからバカだと。

ぼくは、そういう人たちに対する怒りが、
ちょっと、あるんですね。
岩井 (笑)ぼくは、ものすごくあります。
正統派の人たちに勝つには、
これはものすごい体力と知力が要る。

わたしは、チョボチョボやっていますけど、
とてもひとりでは太刀打ちできない。

ケインズなんて、
ほんとにその主流派の世界で
いちばん強かった人が、
内部からその世界を批判したからこそ、
世の中を変えたわけで。

たとえば、哲学の分野での
大天才のヴィトゲンシュタインには、
ケインズと同じような大転換がありましたよね。
後期ヴィトゲンシュタインとは
前期ヴィトゲンシュタインの批判だったわけだけど、
しかし、前期ヴィトゲンシュタインは前期で、
それまでの哲学のスーパースターでしたし、
いまだに、論理実証主義では神様扱いですから。

本人も、
「もし後期ヴィトゲンシュタインが
 まちがっているのならば、
 前期ヴィトゲンシュタインが正しい」

というようなことを言っているぐらいですから。
そこに、意味があるんです。
そのところを、理解しないと……。

今、一生懸命に主流派をやっていて、
後に、その中で超偉大な人の中からは、
自分を批判する人が出てくると思うんです。


それが、強いですよね。

主流を通っているからこそ、
ほんとうの批判をできるというか。

「本格小説」を通らないで、
最初から「私小説」をやっていて
「本格小説」をはすかいに批判をするとかいうのは、
ほとんど意味がないし、
批判として成立しないんじゃないかと。
糸井 外人の箸の持ち方を
注意するみたいなことになりますからね。
岩井 批判はすべきでしょうけど、
西洋の強さを理解しないといけないと思うんです。
糸井 その強さは、
やっぱり、知ったほうがいいですよね。
岩井 ええ。
  (つづきます!)



『会社はこれからどうなるのか』
(岩井克人/平凡社)

2003-05-30-FRI


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