糸井 |
ぼくは、ドストエフスキーを
非常に好きになった時代がありまして、
やっぱり人は人を殺せないようにできているとか、
日常的にだらけていたとしても、どこか、
危ない目に遭った人をパッと助けようとするとか。
こんなに利己的なはずの人間たちが、
そういう倫理的なことをやっているのは、
これはもう、やせがまんの美学なのか、
何か、ぜんぜん、わからないんですけどね。
たぶん、光の射す方を軸にしたほうが、
ふだんがたのしくなるということなのかなぁ。
人を疑いながら生きていると、たのしくなくなる。
「金がぜんぶだよ」と言わないほうが、
少なくとも、自分がラクになりますよねぇ。
それは、倫理でも何でもなくて、
わがままな話なんですけど。 |
岩井 |
おっしゃるとおり、
ある意味、わたしたちはどこかで
そういう倫理の衝動に
動かされているわけですから、
実は、究極の利己主義かもしれません。 |
糸井 |
その目でアメリカを見ると、
「まず、オレと同じルールにしてから
うまくやれよ」ってことになるから、
戦争も起きてしまうわけで、危ないですけど、
それでも、アメリカ的な突き詰め方が
ひとつの暫定的な答えを出そうとしているな、
という気は、すっごくしますね。
少なくとも、
安心できる社会の中で、
なんか、危ないところには触らないけど
文句は言いたいな、って思っているヤツよりは、
実験をしているなぁ、という気がするんです。 |
岩井 |
実験、してます。
アメリカ社会は
資本主義と非常にマッチしていて、
わたしが批判しているような経済学者たちは、
たしかに荒唐無稽なことをやっているんですが、
それなりの意味がある。
彼らは、人間の合理性を
とことんまで追及した理論を作り、
しかも、たとえばデリバティブの市場のように、
現実に経済の仕組みを、
作りあげてしまうんですよ。
徹底的な理論を作り、それを現実に試す。
常に、実験をしているんです。
しかも、優秀な人たちが多い。
わたしは、主流派の経済学を
いろいろ批判していますけど、
その主流派の経済学は、
「人間が、もしも合理的な存在で、
貨幣なんかなかったら、何が可能か?」
ということを
徹底して考えてくれているわけですから。 |
糸井 |
そうなんですよね。 |
岩井 |
「倫理がなくてどこまで社会が可能か」とか。 |
糸井 |
『カラマーゾフの兄弟』で言う大審問官を、
アメリカは、自分のところでやってるんですよね。 |
岩井 |
まさに、やってるんですよ。
その力は強くて、それがある意味、
現実の資本主義を大きく動かしてしまうんです。
危険でもありますけどね。
彼らが実験してガンガンやって、
山岸俊男さんの言う「安心社会」のなかで
内輪でゴチャゴチャやっているひとたちを
置き去りにする。
そして、そのような人は
後からノコノコついていく、
ということがあって。 |
糸井 |
その実験が切ないのは、
「生まれかわりができないんですけど」
ってところなんですけどね。
あの人たち、生まれかわりがあると思って
やっているような気がするんです。
でも、人生は1回なのでねぇ……。 |
岩井 |
彼らと戦うのはたいへんです。 |
糸井 |
たいへんですよねぇ? |
岩井 |
ぼくは、体力があるほうですが、
それでも、非力を感じますよ。
やっぱり、向こうは、
頭がいい人は、ほんとにいいし……。 |
糸井 |
肉体も丈夫でしょう? |
岩井 |
丈夫。彼ら、徹夜がきくんですよ。 |
糸井 |
徹夜しても、ごきげんなんですよね? |
岩井 |
(笑)そう。
学会なんかに行って、
わたしもお酒好きなので彼らと飲んで、
次の日はほとんど二日酔いでという時に、
彼らは朝早く起きてジョギングして、
論文を書いて、元気に会議をやってる。
狩猟民族だから、
寝だめ、食いだめがきくらしいですね。
……ま、こんな言い方での人種の分類は、
政治的に正しくないんだけど(笑)。 |
糸井 |
でも、見ているかぎりでは、そうですよね。 |
岩井 |
寝ないといけない、
三度三度食べなきゃいけない、という
農耕民族的な人間と、寝だめ食いだめがきくとは、
ずいぶん、違いますから……。 |
糸井 |
それは、研究にも影響しますよね。 |
岩井 |
もちろん影響します。
大学院時代に、
「どうしてこんなヤツが」と、
頭がよくないなと感じた人も、
寝ず食わずで研究して、
後でけっこういい仕事をしたりするんですよ。
日本の人は、頭が良くて、
若い時に、ちょっといい仕事をするけど
その後に疲れちゃうという場合が多いですね。 |
糸井 |
やっぱり、岩井さん自身も、
一時は、アメリカ型の体力のあるほうが
いいなと思ったことは、あるんですか? |
岩井 |
もちろん、そうです。 |
糸井 |
ありますよね? |
岩井 |
ありますよ……。 |
糸井 |
1回はマッチョに惹かれるんですけど、
「無理だな」と思うわけですよね。
だから、アメリカを
カンタンに批判することはできない。 |
岩井 |
そうです。
日本でいろいろアメリカのことを
批判する人がいますが、
そのまま通るような、
そんなに単純な話じゃないです。 |
糸井 |
向こうも、バカじゃないんですよね。 |
岩井 |
はい。バカじゃないんです。
ほんと、彼らもよく考えているんです。
人によっては、教養なんかも、あったりして。
彼ら、勉強し続けていますからねぇ。 |
糸井 |
要するに、
「アメリカ人はバカだ」
と言う側の背景にあるのって、
文学信仰だと思うんですよ。
つまり、私小説や、フランス文学の一部分だとか、
そのジャンルを知っている自分は趣味がよくて、
あいつらはそういうものを読んでないからバカだと。
ぼくは、そういう人たちに対する怒りが、
ちょっと、あるんですね。 |
岩井 |
(笑)ぼくは、ものすごくあります。
正統派の人たちに勝つには、
これはものすごい体力と知力が要る。
わたしは、チョボチョボやっていますけど、
とてもひとりでは太刀打ちできない。
ケインズなんて、
ほんとにその主流派の世界で
いちばん強かった人が、
内部からその世界を批判したからこそ、
世の中を変えたわけで。
たとえば、哲学の分野での
大天才のヴィトゲンシュタインには、
ケインズと同じような大転換がありましたよね。
後期ヴィトゲンシュタインとは
前期ヴィトゲンシュタインの批判だったわけだけど、
しかし、前期ヴィトゲンシュタインは前期で、
それまでの哲学のスーパースターでしたし、
いまだに、論理実証主義では神様扱いですから。
本人も、
「もし後期ヴィトゲンシュタインが
まちがっているのならば、
前期ヴィトゲンシュタインが正しい」
というようなことを言っているぐらいですから。
そこに、意味があるんです。
そのところを、理解しないと……。
今、一生懸命に主流派をやっていて、
後に、その中で超偉大な人の中からは、
自分を批判する人が出てくると思うんです。
それが、強いですよね。
主流を通っているからこそ、
ほんとうの批判をできるというか。
「本格小説」を通らないで、
最初から「私小説」をやっていて
「本格小説」をはすかいに批判をするとかいうのは、
ほとんど意味がないし、
批判として成立しないんじゃないかと。 |
糸井 |
外人の箸の持ち方を
注意するみたいなことになりますからね。 |
岩井 |
批判はすべきでしょうけど、
西洋の強さを理解しないといけないと思うんです。 |
糸井 |
その強さは、
やっぱり、知ったほうがいいですよね。 |
岩井 |
ええ。 |
|
(つづきます!) |