・いつごろからか、ぼくのひとつの願望は、
「お通夜のにぎやかな人」になりたい、でした。
ノーベル賞をもらおうが、金メダルをとろうが関係ない。
偉い人である必要なんかなんにもないわけです。
亡くなった人のことを、ああだったこうだったと、
そこにいる人が順番を争うようにして語りあう。
小さなエピソードやら、いっしょにやった悪事やら、
しょうもないくせのこと、失敗やら、ご近所の冒険、
カラオケで歌った曲、食べたものやら行った場所。
そういう思い出がつきないような通夜がいいな、と。
ぼく自身が、そういう通夜をされる人として生きたいと、
ずっと、そして、いまでも思っているんです。
その話は、岩田さんとも何度もしていて、
宮本茂さんや、秘書のWさんといっしょに、
先代の山内さんについての雑談をさんざんしました。
それぞれが、亡くなった人のことを語って、
温泉につかっているように血行がよくなって、
だんだんとうれしい気持ちと、
そして、さみしい気持ちで満たされていく。
そんな時間でした。
歴史に名を残すなんてことは、おまけなんです。
人のこころに思い出や気持ちを残すことのほうが、
人間としていい人生をやってきたなぁということです。
実際、公の立場のある人のお通夜は、
そんな落語のなかの八つぁん熊さんの場所じゃないので、
また別に場所をあらためてということになりそうです。
ただ、そのたまらなく素敵な場所には、どうやら、
岩田さんが欠席らしいということだけが残念です。
ほめたり、からかったり、なつかしんだりで、
立派でもなければ偉大でもない「いいやつ」の話が、
いつまでも続いていくような集まり。
いまのところ、ぼくはそれを、ひとりでやっています。
ときどき、よくいっしょに食事をしてた
家内が聞いてくれたりしていますが、さみしいものです。
岩田さん、ぼくのお通夜に来てくれるはずだったのに。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
たくさんのファンの声も、いっぱい聞いてます。ありがと。