Tシャツづくりの実際 その1
みなさんこんにちは。ジャコメッティです。
さて、デザインも決まったことだし、
いよいよTシャツづくりに入っていきますよん。
まずは、プリントするグラフィックの、
大きさを決めなくちゃいけません。
デザイン図通りの比率でつくれば良さそうなもんだけど、
あれはあくまで図で見たときのバランスで、
そのままうまくいくとは限らないんですね。
色もおんなじで、着てみたら意外に良くなかった、
なんてこともあります。
そこで、使うグラフィックについて、
いくつかの大きさ・色を、
カラープリンタで出力し用意しました。
この段階では、だいたいの感じがわかればいいので、
家庭用の安価なプリンタでぜんぜんOKだと思います。
これを切り抜いて、スプレーのりを吹きつけて、
このへんかなー、という位置にはっつけていきます。
大きさや色を変えながら、机に置いた状態で、
バランスを見ます。
こんなものかなあ。
使う大きさがいちおう決まったところで、
今度は、別のサイズのTシャツボディに
同じパーツを配置してみて、もう一度バランスを見ます。
なぜこんなことをするかというと、
グラフィックの大きさが同じまま、
シャツの大きさが変わると、当然だけど
全体のバランスが変わってきますよね。
二つのバランスが、どのサイズでも
正確に同じ比率になるようにしようとすると、
各サイズごとにちがう大きさのグラフィックを
用意しないといけないことになります。
こりゃいくらなんでも大変なので、
できれば一つの大きさで済ませられるように、
ちょうどいい大きさを探るわけです。
女性用サイズ、
つまり一番小さいサイズで試しています。
うん、これならなんとかいけそうだ。
さて今度は、ほんとにこの大きさでいいのか、
実際に着てみます。
着てみると、これがまた、
ぜんぜん印象ちがったりするんですよ。
ここでまた、グラフィックの大きさを変えたり、
位置を微調整します。
自分の後ろすがた見るのって、
なんかヤなもんですね。
しかし、あれですね。
グラフィックの紙を貼りつけたまま、
鏡に写った自分をじっと見つめてたり、
「これくらいの大きさでどうかな?」とか
他のスタッフにうろうろ聞いて回ったりしてるのって、
はたから見るとかなりマヌケですね。
この写真見てそう思いました。
まあともかく、使う大きさと位置が決まりました。
グラフィックの紙はスプレーのりで貼ってるだけなので、
油断すると取れてしまいます。
取れないようにそぉ〜っと脱いで、
最終的に決まった位置がどこになるか、
定規で測っておきます。
実際にプリントするときの目安にするわけですね。
ところであのう、どうでもいいことなんだけど、
ワタシ、わりとひとつの流れに入っちゃうと、
ほかのことまで気が回らないタイプなんですよ。
Tシャツ脱いだまま、ハダカで定規持って
測ってたりすることが、ままあります。
情けないですね。
おっ、なんか職人らしくなってきた。
これで準備は完了なんだけど、
この作業をやっていくうちに、
いくつか変えたいとこが出てきました。
◆黒ボディのときの「Only is not Lonely」の色
もともと赤と白の組み合わせだったんだけど、
オモテと合わせて、黄色と白の組み合わせに
しようかなと思っています。
◆赤ボディのときのグラフィック全体の色
この赤、思ったよりもマゼンタが強いんですよ。
カーマイン・レッドに近いというか。
前回のグラフィックの色使いだと、
ちょっと男性が着にくい気がして、これは検討中です。
◆シリアル番号記入欄のデザイン
白地に黒ヌキだったんだけど、ずいぶん目立って、
おさるのマークとバッティングしてます。
これはもうちょっと目立たないデザインに
変えようと思います。
さあて、まだ検討事項もあるけど、
いよいよプリント作業に入ります。
そこで登場するのがコイツ、「Tシャツくん」です。
次回は彼が大活躍しますよ。
ライダッ。
これが「Tシャツくん」だ!
ヒマな方におくるTシャツコラム 第3回
Tシャツっていうのは、いまのぼくらにとって、
CDなんかと似てて、「いま」であり、
「シーンや気分に合わせてチョイスするもの」って
言ったけど、それってどういう感じなんでしょう?
そもそも、CDというか、音楽はいま、
どんな聴かれ方をしているんでしょう?
ちょっと前、そうだなあ、10年くらい前までは、
音楽ってもっと、「のめりこむもの」だった気がします。
具体的に言うと、
特定のアーティストやジャンルに入れあげる、という感じ。
彼ら彼女らが提供する、
「これが今はいいんですよ」という認定書つきの音楽を、
供給されて、ぼくらは喜んでいたっていう気がします。
ところが、今はあまりそういう感じがしません。
もっと聴く側がアクティブというか、
自分の考えや感覚で、選んで聴いているし、
「いま」というのが、おのおのの聴き手で
ばらけてる気がします。
しかもたとえば、
あるときキューバ音楽に熱中していたとして、
そのことは本人が充分に意識して、
自分で選択してそうしてる、って感じがあります。
ある種、音楽に対してクールに接してる。
DJというのは、それが病的なまでに高まった状態、
といえるんじゃないでしょか。
彼らは、膨大な音楽のなかから、
最も「いま」を感じさせるものをチョイスし、
それに飽き足らずに、自分の好みに合わせて、
いくつかの音楽を混ぜ合わせたり、
好きな部分だけを組み合わせたりして、
新しい音楽をつくろうとしています。
これは、音楽好きの極限の状態、
音楽家と同列に並んだリスナー、というふうに
考えてもいいんじゃないでしょうか。
こういうのを見ると、
音楽を提供する側と、聴く側の境界が、
ほとんどなくなりつつあるという感じがします。
ところでDJは、いわゆるアーティストっぽい方々が
なーんとなく勢いを失うのと入れ代わりに、
音楽の世界の前面に出てきた感じがあります。
(いまはまた、ちょっと違う流れが
起りつつある感じもあるけど)
つまり音楽の聴き方の変化と、
ちょうど軌を一にしていると思うんです。
で、DJというのは、黒人のヒップホップ文化から
出てきたものですよね。
そんでそんで、TシャツをCDやレコードのように買う、
あるいはTシャツをそういうものとして提供する、
っていう動きも、
ヒップホップやその周辺の文化(スケート・ボードとか)の
盛り上がりと、シンクロしてると思うんですよ。
つまり、Tシャツっていうものを
メディアとして面白がってるのは、
このへんに関係する人たちが多いんです。
あっ。
これ、このコラム書き始めたときには
全然考えなかったことだけど、そうだ、そうなんですよ。
いや自分でも意外な流れになってきました。
そこで唐突に仮説です。
「ヒップホップは、音楽とファッションに、
ある種の“自由”をもたらした、かもしれない」
いやいや、決してうさんくさくはないですぞ。
…と思うんだけど。
このあたりのことを検証するために、
話をTシャツ(ファッション)にしぼって、
ヒップホップとアイビーとの関係ってのを
考えてみようじゃないですか。
(つづく) |