ボサノバをつくった男。 ジョアン・ジルベルトが日本にやってくる! |
ジョアンが「かわりもの」って、ほんとうなのかな? ──また世紀が変わっても、 人類が生き続けるかぎり、 絶対に、永遠に、音楽の歴史のなかに 名前が残る人。 それを偶然に同じ時代に生きることができて 日本で、見ている。 これってありえないなあ‥‥。 ぼくは、自分の音楽体験で、 あそこまでコンサートで感動したことがなかった。 (沼澤尚さん 談) ほぼにちわ。 ジョアン・ジルベルトについては 神様だとか、希有の才能と呼ばれるほかに、 いろいろな噂があります。 気まぐれ、かわりもの、人嫌い。 気に入らない観客には毒づいて ステージ半ばに帰ってしまうらしいぞ。 だいたい日本に来る前に キャンセルしちゃうんじゃないの? ‥‥そういう噂です。 でも昨年コンサートを観た人たちが感じたのは そんなネガティブな印象でもなければ アグレッシブな態度でもありませんでした。 もちろん「23分の空白」という すでに伝説になってしまった事件はありましたし まず開演時間からして、 連日、大幅に遅れて始まりました。 まだ暑い季節なのに会場の冷房が効いていなかったのは ジョアンが音をうるさがったからだという話もありました。 でも、ジョアンがそんなに噂されるような 「かわりもの」だとは、 どうしても、思えなかったのです。 今日の記事が、 世間の噂とはちがう、ジョアンのほんとうの人となりを、 お伝えすることができたらと思います。 お話をしてくださったのは、 このコンサートのプロデューサーであり 滞在中、もっともジョアンの近くにいた日本人である 宮田茂樹さんです。 宮田さんは、この4月に リオデジャネイロのジョアンを訪ねてきたばかり。 宮田さん、聞かせてください。 宮田さんの知っているジョアンって、 どんな人なんでしょうか?
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ お茶目な人ですよ。 チャーミングな。 変わっているけれど、 世間の風評みたいなところとは違います。 アグレッシブなところは全然ない。 リオに行きますよ、ということを伝えたら ジョアンは「ゲストとしていらっしゃい」 と言うんです。 ぼくはもうホテルを予約してあったのだけれど、 泊まるところも食べるものも、 何もかもぜんぶ世話するよ、って。 リオデジャネイロの空港に着いたら、 彼の秘書のような人が迎えに来てくれました。 宿は、彼も長く暮らしていたことのある、 リオの南にある、背の高いホテルの最上階を とっておいてくれました。 けして豪華すぎることはないのだけれど、 らせん階段をのぼると上にプールがあり、 テーブルの上にはいつも山盛りのフルーツがあり、 というような、居心地のよいホテルです。
基本的には、ジョアンとは、 音楽の話はしても、ビジネスの話はしません。 それは彼のエージェントとすればよいことだから。 けれど、毎日ホテルに彼から電話があるんです。 「フルーツは、まだ、ある?」とか、 「おなかは空いてない?」とか‥‥。 「食べたばかりだけど、 食べようと思えば食べられるよ」 と答えたら、 「じゃ、魚、届けるよ」って、 すぐにレストランから魚料理が届く。 あるいはある日はハンバーグステーキが届く。 それから、ひとりで滞在しているぼくの部屋に ギターを届けに来てくれて、 「これで寂しさを紛らわせてくれ」って。 そんなおもてなしをしてくれる人なんです。
ジョアンは、リオデジャネイロの都会に住みながら、 滅多に人と会わないという伝説があります。 でも隠遁しているわけじゃなく、 煩わしさから逃れているという気がします。 まず、ショービジネスの世界というものが嫌い。 それにまつわる、いろいろなジャーナリズムから、 とやかく言われるのが、もうたくさん。 だから、人前に出ないわけなんだけれど、 親しい友人たちとは、しょっちゅう会っています。 隠れて暮らしているわけではないんです。 シャイといえばシャイです。 「はにかみや」という感じかな。 でも、一度親しくなれば、 ひじょうに、人間的で優しいところがあります。 神様でありながら人間的っていうのも変ですけど、 こんなエピソードがあります。 東京ではホテルに滞在していたのですが、 毎日ルームサービスに来る人がいますよね。 その人の名前を憶えていて、 なんとかさん、ありがとう、って 日本を発つ日、 チェックアウトのときに抱きしめていました。 それから、ずっと運転してくれた人に関しても、 なんとかさん、ありがとう、って、最後に抱きしめる。 そういうところがあるんです。 普通のロックスターには、 たぶんないことなんだろうなという気がします。
ジョアンはバイーアというところの出身なんですが、 郷土愛を強く持っているんですね。 バイーアというのは、音楽家をたくさん出していて、 カエターノ・ヴェローゾもそうですし、 いまのブラジルの文化大臣でもある ジルベルト・ジルもそうなんです。 そして、ジョアンの大先輩である ドリバル・カイミという 国民的作曲家であり歌手がいます。 ぼくの滞伯中に、そのドリバル・カイミが 90歳の誕生日を迎えたというニュースが ブラジルの新聞に載りました。 ジョアンはもちろん彼の誕生日を憶えていて、 「お祝いに、カイミのところに行くぞ」って、 プレゼントに2003年の東京でのライブのCDを持って、 車でカイミの家まで行ったんですよ。 ‥‥会えませんでしたけれど。 だって夜中の1時半とか、 そういう時間だったから(笑)、 門番の人にCDを渡して帰ってきました。 ジョアンは 「あぁ、これで90歳の誕生日を祝えた」 と言って喜んでいました。 夜中の1時半というのはね、 急にその時間に思いついたわけではなくて、 今日はカイミの誕生日だ、これあげなきゃな、 と思っているうちに、 その時間になってしまったんだと思います。 彼の時間は、そんなふうなんですよ。 ステージの開演時間が遅れることについても、 「遅れたっていいじゃない?」 という尊大な態度では、ぜんぜん、ないんです。 むしろ遅れることを、すごく気にしています。 ぼくに対しても、日本語で、 「ゴメンナサイ、オクレテ」って(笑)、 そうやって来るんですよ。 なぜ遅れるのか、ぼくにはわかりません。 たぶん、彼が言うには、 「心の支度」なのでしょうね。 ステージに出るまでの、 心を支度するのに、 時間がかかってしまうのでしょう。 それから3日後は、 トム・ジョビン(アントニオ・カルロス・ジョビン)の孫で ドーラという映像作家の女の子の誕生日でした。 その日、ジョアンとぼくは、 レストランからケータリングをして いっしょに食事をしていたのだけれど、 「やっぱり行こうかな」って言いだすんです。 夜中の2時くらいに(笑)。 じつはそのドーラの家というのは、 トム・ジョビンが若かりし頃 住んでいたところでした。 ジョアンは、 「この部屋のここにピアノがあったんだ。ここで、 『シェガ・ヂ・サウダージ』(想いあふれて)を ぼくらは練習したんだよ」 と言って、そこでギターを弾いて歌ってみたりして。 『シェガ・ヂ・サウダージ』というのは、 この曲からボサノバが始まったと言われる 名曲なんですよ。 なんだか不思議でしょう? ジョビンとジョアンの関係は解るけど、 孫の誕生日も知っていて、 わざわざお祝いに行ったりして‥‥。 そのときのお祝いはね、 2003年の日本公演のパンフレットでした。 20何冊か、自分で買って帰ったうちの何冊か。 人を、大事にする人なんだな、って。 ギターを弾き、歌をうたい、 友達や、その家族を大切にしながら、 暮らしているんだな、って。
それからね、リオデジャネイロは暑いところだけれど、 冷房は使いません。 咽喉に悪いと言って、いつも、 ずいぶん厚手のウールのジャケットを着ています。 帰りには、空港まで送ってくれたんだけど、 「空港の中は寒くて身体に悪いから 悪いけど外にいるよ」っていうくらい、 声帯にはつねに気を遣っていました。 そういえば、去年の日本での公演のとき、 まだ暑い季節だったにもかかわらず、 会場の空調をすべて止めましたよね。 「ジョアンが、空調の音に神経質だから」 という理由だと言われているようですが、 ほんとうの理由は、声帯をキチッと保つためでした。 温度差をなくすためです。 だから、冷房の入っているところには入らないんですね。 移動の車も冷房を入れません。 水は常温で飲む。氷を入れない。 コーラだって、生温かいコーラです(笑)。 つねにギターを手にしている人です。 家にいても、なにかあると、ギターを弾いている。 「これを今度日本でやろうかな?」とか言いながら。 そうして弾く曲のなかには、 ぼくも知らない曲がいっぱいありました。 「日本でレコーディングしたいな」とも。 「この曲はどうだろう? 日本の混声合唱を使ったらどうかな?」 なんて、アイデアが出てきたら、もう止まらない。 ジョアンという音楽家は、 じつは自分の曲というのは今までに 6曲しかレコーディングしていないんです。 「なぜ6曲しかしていないの?」 と訊くと、 「ほかにいい曲がたくさんあるからだよ」と言う。 でも、ジョアンのつくった曲の中に、 すばらしい曲がいっぱいあるんです。 ベベウ・ジルベルト(ジョアンの娘)のお母さんで ジョアンの別れた奥さんのミウシャから 彼のつくった未発表曲をたくさん 聴かせてもらったことがあるんだけれど、 どれも、すばらしい。 ぼくの夢なんだけれど、 もしジョアンのレコーディングが実現するならば 『ジョアン・バイ・ジョアン』、 ジョアンによるジョアン、というアルバムを作りたい。 彼は彼のやりたい曲があると思うけれど。 そうだ、それからね、 前回の公演をDVDにしようかという話も出ています。 もし実現したら、彼の演奏が見られる 初めてのDVDになりますよ。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 宮田さん、ありがとうございました。 じつはこのほかにも、 宮田さんが、ジョアンを日本に招聘するまでのいきさつを こまかく、お聞きする取材も行なっています。 「なぜ日本を、そんなに気に入ってくれたんだろう?」 という答えが、出るかもしれません。 あらためてこのコンテンツでご紹介しますね。 最後に、ジョアンの人となりを表すというには ちょっと脱線のエピソードを。 ジョアン、散らかし屋なんだそうです。 彼の住まいには、いくつか部屋があるのですが、 使っている部屋が散らかって、居られなくなると、 次の部屋にうつって過ごしいるんだそうです。 その散らかった部屋は たまに来るメイドさんが片づけてくれるまで、 また住める環境にならない。 そうやって部屋をうつりながら過ごしてるんですって。
*文中のブラジルの写真は、すべて宮田さんが 撮影してくださいました。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
先行で「ほぼ日枠」を1101枚、 もうけてもらうことが決定しました。 7月上旬に期間限定で行なう予定です。 詳細が決まったら、このページでお知らせしますね。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ いま、おおきなCDショップに行くと、 「ジョアン・ジルベルト・イン・トーキョー」という ライブ・レコーディングのCDが並べられています。 ジョアン・ジルベルトの初来日公演の4回の公演のなかでも とりわけ「奇跡の演奏だ」といわれた、 2日目(9月12日)のようすを収めたものです。 よかったら、ぜひ、聴いてみてくださいね。 PHOTOGRAPH by P-2 VIBRATION(仁礼博+横山慎一) |
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ジョアンへのメッセージは
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2004-06-28-MON