ボサノバをつくった男。 ジョアン・ジルベルトが日本にやってくる! |
沼澤尚さんにとってのジョアン・ジルベルト。 ──ジョアン・ジルベルトが、 そこで動いて、演奏して、歌っている。 今、ぼくら、ラッキーにも 同じ時に生きてるから見ることができているんです。 100年200年とか経っても、また世紀が変わっても、 ほんとうに人類が生き続ける限り、 音楽の歴史の中で絶対に出て来る人なんですよ。 要するにベートーベンが語り継がれるってことと 同じくらいに、ジョアン・ジルベルトという人は、 絶対に、永遠に、音楽の歴史の中に 必ず名前が残る人だっていうことは明らかなんです。 それを偶然に同じ時代に生きることができて 日本で見てる。 これってあり得ないなあ、っていうことが、 ぼくがいちばん思っていたことなんです。 (沼澤尚さん談) ほぼにちわ。 ジョアン・ジルベルトの日本公演は、 大阪の2デイズを終え、 昨日から東京での公演が始まりました。 「ほぼ日枠」でジョアンを聴いたみなさまから たくさんの感動のメールをいただいています。 そのメールは、あらためて、このページで 紹介していきたいと思っています。 さて、きょうは、ドラマーの沼澤尚さんのお話を ロングバージョンでどうぞ。 おすすめのアルバム紹介も、ありますよ。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ブラジル音楽を初めて聴いたのが高校生のとき、 それはジョアン・ジルベルトでした。 ぼくの高校時代は1970年代後半です。 日本で聴く洋楽は、クロスオーバー、フュージョン、 AORの時代です。 そんな頃に、たまたまレコード店でかかっていた音楽が ジョアン・ジルベルトだった。 あ、ボサノバっていう音楽、 名前だけ知っていたボサノバって、 これなんだ、と思いました。 それが『アモローソ』というアルバムでした。 そこから、『ゲッツ/ジルベルト』とか、 まだぼくが幼稚園児の頃に出たアルバムを さかのぼって聴いたりしはじめたんです。 情報が少ないなか、ジョアンが生まれて育ったのが ブラジルのバイーアという地域であること、 そこからカエターノ・ヴェローゾ、 ジルベルト・ジル、ガル・コスタ、 カエターノの妹のマリア・ベターニャとか、 自分の好きな音楽家が結構生まれてるんだと知りました。 それで彼らの音楽を、聴きまくっていったんです。 昨年の日本公演、初日と2日目を聴いたのですが、 くらべて思ったのは、 初日はわりとマニアックな選曲だったということ。 ブラジルの音楽をすごく好きな人は喜べるけれど みんなが知っているような楽曲は、あまり演らなかった。 それが途中で「ウエーブ」という曲で みんながいっそう大きな拍手をして、 そこから後半は割と有名な曲を演っていった。 そうしたら、2日目は、最初からブワーって 有名な曲をうたったんです。 だから、ぼくには、ジョアンがすごく機嫌がよくて 日本のお客さんがこういうのを聴きたいっていうことを 思っているんじゃないかなって思ったんです。 本人の感じが違った。すごく元気だったし。 これは絶対に、初日の、日本での客の受け入れ方を 気に入ったんじゃないかなと思ったんです。 そして2日目、驚いたことが起きました。 彼が、観客の反応に対して拍手してくれたんです。 あの、ジョアンが拍手した。 客席の拍手に対して、にっこり笑って、拍手をして。 そして、座って演奏をしていたわけだけれど、 座ると目の前にマイクがあり、 ギターの前にもマイクがあってとても狭いのに、 よいしょ、って立ち上がって、わざわざ、 客席に向かっておじぎをしてくれたんです。 ジョアン・ジルベルトがそんなことをするなんて。 そして最後に「イパネマの娘」を演奏した。 そんなすごいステージだったんですよ。 2日目の公演が終わったあと、 ジョアンはたいへん上機嫌だったそうです。 ホテルの部屋で、さらに2時間演奏したらしいから。 世界にブラジル音楽が知られたのは、 アントニオ・カルロス・ジョビンという ブラジルが生んだ最高峰の作曲家がいて、 彼の書いた曲をこの人が演奏したことからなんです。 ジョアンが、この声とこのギターで歌い、 ベストジャズヴォーカリスト賞とか、 グラミー賞など、 世界の誰もが知っているような賞を獲り、 そのおかげでブラジルの音楽が、 いちエスニック、ワールドミュージックの中でも ポピュラーな音楽として 世の中に広まったんですね。 音楽に関しては。もう、オリジナル過ぎて、 この音楽をこの人以外にやってはいかん、 と、やっぱり思うんですよ。 この人がやってるあのギターの弾き語りと、 この人が弾いて歌ってる曲と、 この人が有名にした曲。この形っていうのは、 この人以外に誰にも形にできないんじゃないかな。 このバリエーションとか応用とか この人に影響を受けて何かやったって言っても、 あれがオリジナルで、あれ以外にない、 っていうような感じが僕にはあるんです。 自分もブラジルに毎年行って演奏するけど、 ブラジル音楽を演奏しに行ってるわけではないんです。 それは彼らがやることで、あれは彼らの文化。 行くと分かるんですよ、 食べ物から、あの人たちが住んでるところは、 ぜんぜん違うんだ、ということが。 ブラジルに限らないことかもしれないけれど、 エスニックになればなるほど、文化背景が出る。 そういう色が強くなればなるほど、 そういう音楽ってその人たちにしか できないという気持ちが僕にはあるんです。 ことに、ジョアンのあのギターの弾き語り。 このもっとも原始的な弾き語りって、 もうかなわない。そこで芸術を見ている感じです。 じつは、ものすごく複雑なことをしています。 この人と、ジミ・ヘンドリックスは、 どうしてあんなことが一遍にできるのかと思う。 ふつう、歌を歌いやすいように伴奏をするものだけど、 ジョアンの場合は伴奏じゃないんです。 ジョアンがステージで動かなくなった時間、 たぶん20分間ぐらいだったと思います。 ぼくは、幸運にも、前のほうでみることができたので、 彼がどんな感じだったのかが、つぶさにわかりました。 「眠ってしまったんじゃないか」 「具合が悪いのかもしれない」というふうに いうひともいましたが、 ぼくは、最初、うわっ泣いてる、って思ったんです。 ジョアン・ジルベルトは泣いていました。 彼は、ぼくたちの拍手に感激して、 それを感じながら、なみだをながしているんだと思いました。 2日目は、彼がふたたび動きだしてから、 マイクに向かって喋ったんです。 それもあの人の中ではあり得ないことなんです。 中原仁さんと国安真奈さんっていう ブラジル音楽にたいへん詳しいかたのHPにも 書いてあるんだけど、彼がそのとき何て言ったか。 そこがもう、奇跡的な出来事で、直訳すると 「ごめんなさい、あなたたちの手と あなたたちの心を見てたので」。 その国安さんっていうのは ネイティブのポルトガル語をしゃべる人で、 彼女の意訳によると 「ごめんなさい。あなたたちの真心が見えるものだから」 っていうことなんだそうです。 「ありがとう、ジャポン」って。 だからポルトガル語が分かる人にとっては、 もう、気絶するようなセリフだったみたい。 「ジョアン・ジルベルトが 自分の思ってることを観客に言うなんて、 そんな感謝の気持ちを込めるなんてことは、 絶対にあり得なかったことだ」って。 素晴らしかったですね。 僕は自分の音楽体験で、 あそこまでコンサートで 感動したことはありませんでしたから‥‥。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
沼澤さん、ありがとうございました! また次回。 |
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2004-10-07-THU