ボサノバをつくった男。 ジョアン・ジルベルトが日本にやってくる! |
ほぼ日枠で行ってきました、ジョアン。その4 ほぼにちわ。 この連載を読んで、 「わたしもぜひ、この気持ちを留めておきたい」 と、メールを送ってくださるかたが たくさんいらっしゃいます。 ほんとうにありがとうございます。 きょうもまた、そんなみなさんからのメールを ご紹介していきますね。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ジョアンな夜を過ごさせて頂いたものです。 以下、改めて読んでみると、 誇張してる部分があるかもしれないのですが。 今朝、私が会社の先輩に送った感想です。 ---------------------------------- ほぇ〜っっ、昨日は神様を見た気分でした。 なんだか、すごいんです。 舞台そでから歩いてきた時は、 大丈夫か、こんなヨロヨロじいさんって思ったのに、 声が若い! 73歳とは思えない! たぶん40歳前後の頃(?)の CDを聞いた事がありましたが、 それと同じ声でした…それだけでウルウルっというか、 私は涙を流してしまいました。 間に何も喋らず、曲間も10秒くらいで、 立て続けに歌うんです! 開演が遅れたのは10分くらいで、 意外に早かったです。フリーズも10分くらいで、 「あ、みんなに感謝してるんだろうな」 って分かりました。 あんだけ立て続けに歌うんですから 10分や20分くらい固まったっていいっす。 なんだか、おいしい食べ物を食べた後のように ニンマリとしてしまいました。 そんな時間でした。ライブ盤買っちゃおう! (やすお25歳(女)) 「眠くなるだろうが、絶対に寝ない!」 と心に決めて会場に入りました。 ところが、気持ち良くて目を閉じてしまう事が 何度かありました。 が! ジョアンの音が心に響いて眠れなかったのです。 ボサノバは、全然詳しくないし、 CDもあまり持っていないけれど 唯一持っているCDがエリス・レジーナと 「GETZ/GILBERTO」のみで そのジルベルトがまだ健在で日本に来るとほぼ日で知って チケットを取って行きました。 全部、似たようなニュアンスの曲で飽きちゃうかも? などと言った心配を吹き飛ばす素晴らしい演奏で 言葉も全くわからないけれど、感情が伝わってきて 何度も涙が流れました。 シンプルな照明とジョアン一人で織り成す音に 感情を揺さぶられた2時間半でした。 本当に行ってよかった。 あの音を聞けてよかった。 (28歳 女 きゃきょ) ここ最近ジョアンにすっかりはまってた私は ガットギターを買い込み ボサノバの弾き語り習得に励んでおりました。 緻密に築かれたリズムとハーモニーを あんなにも軽やかに自然に演奏できるなんて! まじかで観ることができほんとうに感激しました。 最後の曲イザーラを歌ってステージを後にする ジョアンに声援を送ってたのは私です。 夢のようなひとときを過ごしました。 ありがとうございました。 (よしなが) 台風(伊豆方面)直撃の次の日、 我が家の片づけを手早くすませて 「ちゃんと動いてる!」新幹線に飛びのり、 開始時間キッカリにフォーラムへ到着。 「え? このオジサマなの?」 登場の際の率直な感想です。 舞台装置や背景もいたってシンプル。 でも、その情景だからこそ 『神の声』に集中できました。 ボサノバのリズムの心地よさは間違いないのですが 不思議のなのは言葉の抑揚です。 途切れるのかなァっと思ったら 上下にゆれてスーっと消えていく。 思わず聞き耳をたてちゃうんです。 「誰かの唄に、たしかこんな感じが」 あ、「リンゴ追分」(美空ひばり)だ。 (知識がない・素人の勘のみの発想で 申し訳ないです…) 会場はスタンディングでの大拍手。 手をかるく上げて声援にこたえられたあと、 ストッストッとフツーに歩いて舞台のそでへ。 「アンコールでこんなにいいの?」とも。 そう、知っている曲もありました♪ 会場の外は 「今日のほうが一段とよかった」とか、 「興奮したよー。生の声だぜ」と、 ジョアンさんの真髄を 知っていらっしゃる方たちでいっぱい。 こういう時間も必要だな、 と思いながら帰路につきました。 今まで知らなくて…損してたのかな? (おぱ〜る) 気がつけばコンサートに行くなんて 子どもが生まれて以来はじめてざんす。 しかも以前はロックコンサートが多かったので 「ボッサ」どうリアクションしたら良いのか 「いらぬ心配」が頭を駆け巡り 「ほぼ日」枠でいったものですから 他の「ほぼ日」枠の方々はいるのか、 そしてそれはまとまっているのか、 それともばらばらなのか。 私のとなりのこのかわいらしいひとりで来ていた女性は 果たして「ほぼ日」枠の方なのか それとも違うのか。 そうこうするうちやってきた 小学校高学年の可愛い女の子を含む おしゃれなファミリーは もしや「ほぼ日」枠組みなのか そうではないのか・・・・。 そんなことで疲れ果てるわたし・・・(アホか・・・) さて。 とても暖かい拍手で始まったコンサート。 私は今までこんな暖かい拍手で始まったコンサートを 聴いたのは初めてです。 拍手をしているひとりひとりが ジョアンが最良のコンディションでプレイできるように 「ですぎず」「遠慮しすぎず」という 絶妙な拍手であったようにおもうのですが 糸井さんはじめ聴きに行ったみなさん どうですか? みんなが彼を終始ひっそりと 「あたたかく見守っている」 というコンサート、悪いわけありませんよね! (kumi-pa) 開演と同時に始まるささやくような歌声、 スクラッチも切ないギターの音。 胸が一杯になってやっぱりこのチケット買ってよかった、 と思って10曲ぐらい過ぎ、 ちょっと飽きてきた自分に気付いてしまいました。 きっと、この胸一杯の感じは、 めったに会えない彼氏と この場所にいるからな気がしていました。 それでも一曲一曲はすばらしく、気持ちよかったです。 でもどんどん離れていく回りの聴衆と自分との距離。 なにしろ、この日は沈黙はほとんどなく、 観客の拍手で演奏が中断された、ほどの熱狂ぶり。 さすがに大好きなナンバーが流れればぞくぞくするけど、 20曲を過ぎたあたりから、 会場の暑さにもやられ、もうだめかなーと思ったのです。 でも、ジョアン本人が、 私達観客のことなんて見えないかのように ずっとじっと弾いている姿を見ていたら、 なんだか応援したくなってきました。 彼は、誰のためにやっているわけではなく、 自分のためにやっているわけではなく、 演奏しなくてはいけないから、運命だから、 ひたすら、神に対して演奏しているんだな、と。 人類を代表して、こんな素敵な音楽を この世に生んでくれた人なんだな、と思うと、 会場の暑さも空気の悪さも、彼が飽きて寝ていることも、 お尻が痛いことも、 どの曲も歌詞の意味がわからないことも、 自分の存在が無視されているように感じることも、 どうでも良くなりました。 流れてくる「感じる」音楽を編み出した、 ジョアン=ジルベルトという人の運と命に触れました。 この瞬間に彼の作品を体験できていれば、 それ以外のことはどうでもいいことになりました。 いろいろ感じたジョアンの演奏は、哲学でした。 (景子) まさか、ジョアン・ジルベルトの コンサートに行くなんて思いもよらなかったんです。 最早、テレビでドキュメンタリーに なってしまっているような、伝説の人だし、 正直に言って、ボサノバって BGM的に聞くようなもの、 コンサート会場に行って聞くという概念がなかったのです。 ところが、ほぼ日での募集です。 神様に会える機会なんてもうないかもしれない。 思わず応募している自分がおりました。 さて、コンサートですが、時間より早く着きました。 遅れるかもしれない、とは思っていたのですが、 聞き逃したらそれこそ悔しいじゃないですか。 実際は15分遅れくらいで始まりました。 とたん、不覚にも、涙が。 だって、レコードと同じ声。(CDじゃないんです) 泣くほどファンだとか、 それほど思い入れがあったわけではなかったのに。 本当にシンプルなんですよ。 ギターと歌声だけ。 派手なオーケストレーションもない。 なのに、なぜあれほど繊細で深みがあるんでしょう。 ブラジルのイメージは、暑い太陽、輝く海、なのに、 ジョアンの歌声は、 陽射しが翳った夕暮れにふと感じる涼風、 あるいは、夜の海岸を散歩していると聞こえる小波の音、 を思い起こさせるのです。 陽気なブラジル、だけど彼の音楽は、 どこか涼やかで哀愁を帯びています。 これが"サウダージ"というものなのでしょうか。 うっとりと浸りながら、コンサートを聴いていました。 その時、ある曲の最後の音を弾ききる前に、 拍手が始まってしまったのです。 あれ、と思ったけれど、そのまま次の曲が始まりました。 そして、次の曲が終わった時。 観客は、彼が最後の音を弾ききるまで注意深く待って 拍手を始めたのです。なんだか、すごいなぁ。 こんなコンサート初めてでした。 一応予定の演奏が終わってアンコールまでの間。 また彼は静かに観客の拍手に聞き入っていました。 その時に彼が Je vous aime beaucoup,Japan って 言ったように聞こえたんですが、 ポルトガル語じゃないし、あきらかに聞き間違い。 彼はあの時なんて言ったんでしょう。 どなたかご存じでしょうか。 70歳を過ぎて、3時間を越える演奏。 最後は「イパネマの娘」 とにかく、至福の一時でした。 ありがとうございました。 (なつ) 素朴なのに濃密な時間でした。 独特のコードとシンコペーションと歌声の合わさりが、 確固とした独自の「リラックス空間」をつくっていて、 それは、ただくつろいだり、まったりするんじゃなくて、 まず前提としてのくつろぎが作り出されて、それから ジョアン・ジルベルトのお話が始まると 言えばいいのでしょうか、 フェアでジェントルな感じで、 聴衆へストレートに、混じりけ無くお話してくださる。 簡素ではあっても端折ったりはしないし、 曖昧に濁したりしない。 ジョアンだからこそできる、 音楽を用いた壁の無い語り合い、そんな感想です。 いやー、本当に良い経験をしたんじゃなかろうかぁ。 ありがとうございました。 (北海道のゆう(おとこ)) 良かった。ホントによかった。 ジョアン・ジルベルトのコンサートは なんともいえない空間でした。不思議な空間ですよね。 客席の一人一人が「ジョアンと自分だけ」と 感じているような。ジョアンはその場にいて、 その場にいないような・・・。 ギター一本で勝負する彼は、 「職人」のような気がしました。 たった一人の人が発するものが、 何千人もの人の心にしみこんでいくことの不思議。 あそこにいられてホントに幸せでした。 ありがとう! 私が始めてジョアンをジョアンとして聴いたのは、 1964年の10月9日のカーネギーホールでの 録音CDでした。 40年。凄いですね。 (kuming) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ みなさま、どうもありがとうございました。 また次回! |
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ジョアンへのメッセージは
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2004-10-16-SAT