もくじ
第1回裏方として、友達として。 2016-05-16-Mon
第2回場所づくり、価値観づくり。 2016-05-16-Mon

ことばに込められた思いをどのように残していくのかに関心があります。
多くの人に伝わる表現方法をまなび、
自分の伝え方をみつめなおしたく、塾に参加しました。

防塵マスクや刷毛などの、資料レスキューグッズは、
すぐ手の届くところに、まとまっています。

苗を植える、おもつらさ。

第2回 場所づくり、価値観づくり。

古賀
吉本隆明さんや矢沢永吉さんといった糸井さんの中のヒーローみたいな人たちの出版のお手伝いをされてきていますよね。
その時の糸井さんの気持ちは、「ぼくが前に出る」というよりも「この人の言葉を聞いてくれ」みたいな感じですよね?
糸井
そうです。ぼくはとても驚いたとか、ぼくはとってもいいなと思ったとか、間接話法でぼくの本になるんです。だから自分を前に出す必要は全くない。「リンゴがあまり買ってもらえないから作るのをやめようと思う」という人に「ぼくが売るから作ってよ」という感じ。
商売の仕組みって、アートを作る時の、建造物としてのアートってありますよね。ああいうものに似ていますよね。
古賀
糸井さんが『成りあがり』とかでやったことが、今、「ほぼ日」の中で毎日のようにできているのではないかと思うんです。
おもしろい人がいるから対談のコンテンツを作って紹介したいとか、TOBICHIで展覧会を開いてとか、そういう…
糸井
場所づくり。
古賀
場所をつくって、その人を紹介していくあり方は、ぼくが今やりたいこととかとすごく重なる部分があります。
「ほぼ日」には「今日のダーリン」という大きなコンテンツはありますが、糸井さんが前面に出ている場所ではなくて、おもしろい人を知ってもらう場所になっている。その姿勢は『成りあがり』のころから一貫しているのかなと思います。
糸井
「目立ちたいと思うことはないのですか?」と聞かれたら、「ものすごく思いますよ」と言うんじゃないかな。目立ちたいと一番思っていたのは高校生の時かな。「みんな、ぼくをもっと見ないかな」と思っているのを服装にしてみたり。それは動物の毛皮みたいなもので、天然ですよね。やがてそれを残しながらも、近くにいる人にモテることのほうが嬉しい。

糸井
ぼくみたいな加減で目立ちたがったり、目立ちたがらなかったりしているという例が古賀さん世代の人に見えていることは気づいています。そんなにガツガツ目立とうとしなくても、1つのおもしろい世界をつくれるのは、若い人たちがぼくを見ていて、ああ、あれはいいなあと思う理由の1つですよね。
古賀
でも遠くの5万人とか遠くの50万人にモテている自分を喜ぶ人もいますよね。
糸井
それはすごくおもしろいゲームだし、ぼくの中にも何人が読んでくれているかということがないわけではない。
100万人は「ええーっ!」っていう嬉しさがありますよね。ヒマラヤが見える場所に立ったら「大きいなあ」とか「来てよかったなあ」と思うのと同じですよね。
実はぼくは仕事でそんな数字は見ていない。100万部なんて絶対にないし。

だからなにが大きな数字かは宿題ですね。エベレストの麓で「登れないけれども、これかあ」って思うみたいな。でも100万とか億とかの数字をビジョンとしていくならば、億人の人がやることを想像しながら生きてみたいって思うじゃないですか。それは、「どうだ、俺はすごいだろう」じゃなくて、ヒマラヤですよ。

ヒマラヤってその仲間も見られるのがいいよね。ヒマラヤが見えるところに立って「なあ」って言うと「本当だ!」って返ってくる。その「本当だ!」が自分以上にうれしいですよね。人が喜んでくれることこそが自分のうれしいことという経験をすればするほど、人の喜ぶことを考えつきやすくなりますよね。

古賀
遠くの5万や10万を考える時、糸井さんの中では、例えばミリオンセラーになったら1億円とか、そういうお金は想像しますか?
糸井
ぼくはお金に対してはちょっと警戒心があって、お金が好きですという発信を時々するようにしています。そこは結構リスクなんです。邪魔をするのに非常に都合がいい。
例えば古賀さんがおもしろいことを始める時に、「それをやればやるほど、古賀さんが儲かる仕組みだよ」と言われてしまったら動きにくいんです。
だから、もっと屈託なくやるために、お金についてぼくはこう思っていて、具体的にこうですよね、というのがみえるように管理しています。
古賀
自分でこういう言い方をするのもなんですが、今回、ミリオンセラーを初めて経験してわかったことは、『嫌われる勇気』という本のこととか、これがミリオンセラーになったこととか、みんな全然知らないんです。
ミリオンセラーって、やってみる前は遍く人たちのところに届くものだと思っていたんです。でも、みんな全然知らないし、だれにも届いていないなって。
糸井さんの中で「ヒットするとはこういうものだ」というものはありますか?

糸井
「ほぼ日」を始めてからは、ヒット多様性になりましたね。生物多様性みたいに。多様さに即したルールをいっぱい持つようになりました。
すべてがコンテンツですと言い始めて思うんだけれども、なにがヒットかを説明できるような、みんながすでに持っている価値観ではないところに自分の価値観を増やしていくことを、「ほぼ日」以降はするようになったんでしょうね。
100万部に対して5万部はヒットじゃないかというと、5万部もヒットだという言い方もある。でも100万部があることでの信用度とか発言権を持つと、次に出した時には、そこと掛け算になってヒットが打ちやすくなりますよね。それはとっても大事なことだと思うんです。
古賀さんいう、ぼくは黒子ですって言っていた人、掛ける、100万部だから。2冊目は、もうすでに100万部の古賀が。おもしろいところだよね。
古賀
おもしろいですね。
糸井
立て続け感が、すごくおもしろいんですよね。
古賀
糸井さんの中では、一山当てたいみたいな気持ちはあるんですか?
糸井
小さく、だから今のヒット論みたいに言えば、いつも一山当てたいです。楽になりたくて仕事をしているわけだから。
古賀
それ、おっしゃいますよね
糸井
苦しくてしょうがないんです。
古賀
「ほぼ日」を始められたころに、働くことが流行っていると書かれていましたよね。あの時期と今とでは、仕事に対する感覚は違うのでしょうか?
糸井
あの時期も我慢していたと思います。釣りを一生懸命やる経験と、働くことが流行っているという経験が同じで。前日に友達の分まで釣りのセットをセッティングして、糸を巻き直して、用意して、車を運転して、迎えに行って、じゃあ行こうってやるのは苦労ですよね。でも、それをやりたくて、楽しくてやっているわけだから、いいんです。
それと同じで、「ほぼ日」を始めた時、「ほぼ日」という名前もないころからこういうことはおもしろいぞと思っていたので。釣りをするぐらいおもしろかったんです。最終電車に間に合うように送って、そこから帰ってまた仕事をするようなことが楽しかったんです。
その時の気持ちは、ちょっと形を変えていますけれども、実は似ています。1つずつの仕事は苦しい。
古賀
本当は僕も本を書くのはつらいです。
糸井
つらいですよね。
古賀
つらいです、本当につらいです。
糸井
あえて言えば、仕事嫌いなのに、いろいろと手を出して、人から見たらよく頑張っているなっていうぐらいはやっているって、なんでしょうね(笑)
古賀
自分でも本当にわからないです。例えば、三連休とかあっても、1日半くらいで仕事のことを考えています。それはワーカーホリックかというと、ちょっと違うんです。
子どもの頃にドラクエとかにはまっていたのとあまり変わらない。ドラクエも、おもしろさと辛さとが両方あるじゃないですか。1個ずつのことはスライムと戦うようなものだけれども、それをしないと竜王に会えないのと感覚が近い。
ゲームはクリアしないと気持ちが悪い。クリアして大きな喜びがあるわけでもないけれども、クリアに向かって動くというのが、目の前に何か課題があったら解かずにはいられないみたいな感じに近いのかな。
糸井
それは、今、小さい組織をつくってから思ったことですか?
古賀
そうです。前から同じですけれども、以前はもっと露骨な出世欲みたいなものがあったんです。
今、それがあるかというと、そこで競争して消耗するのはもったいないなという気持ちがある。結局その中しか見ていないわけなので。外に目を向けた時のおもしろさを、今ようやく知りつつある感じです。
糸井
その意味でも、組織をつくってよかったですね。
古賀
そうですね。本当に。
糸井
たぶんぼくも同じようなことだと思うんです。やっぱり喜んだ話が聞こえてくるのが大きいですよね。
お相撲さんに「触らせてください」って触らせてもらっても何になるわけではない。でも触らせてくださいという人がいて、触って喜んでいる人がいることに似ている気がして。

ぼくは、主役は自分じゃないけれども、自分が苗を植えたみたいな仕事が増えています。そうすると、その実ったお米や果物を食べて喜ぶ人がいるという、その循環そのものをつくるようになって、おもしろさが、飽きないおもしろさになったんです。

古賀
それは最初から、その喜びを得ようとしてやったことではないですよね。
糸井
大元はね。
解決してほしい問題があるからやるというかたちは採っているけれども、でも問題がなくてもやりたいんじゃないかな。
ぼくが年老いた時計職人で、近所の中学生が「時計が壊れちゃった」って言った時、「おじさんはね、昔は時計職人だったんだ。貸してごらん」って修理するような、そんなことのような気がする。「どうだ」って一回だけ言ってみたい。それで十分だから、お礼はいらない。
その1回どうだって言わせて感は、年を取っても残るね。
古賀
ライターだと、編集者をびっくりさせたいというのがあるんですよね。期待していなかったはずの原稿を120点の内容で返して編集者をびっくりさせた時の喜びがありますね。
糸井
あとは、昔からよく言っているけれども、ぼくのお通夜の席でみんなが楽しく集まって、それにかこつけて遊んでほしい。最後まで誰かの触媒でありたい。その未来に向かって今日を生きるのはなかなかいいものですよ。
古賀さんもぼくの年齢になる間におもしろいことがいっぱいありますよ。
古賀
楽しみです。
糸井
楽しみだと思います。そう楽しみにされるようなおじさんでいたいですよね。

(おわります)