ほぼ日刊イトイ新聞がはじまって18年目になりますが、
はっきりと、これは、新しい試みです。
できるのかな、という疑問や不安よりも、
ここから広がる新しいことへの
期待や希望のほうが明らかに大きいので、
少し背筋を伸ばして、宣言します。
「ほぼ日の塾」を、はじめます。
どうしてはじめることになったのか、
少し、詳しく、説明しますね。
数年前から、よく質問されるようになりました。
「ほぼ日」は、どんなふうにつくっているのですか?
「ほぼ日」には、どんな決まりがあるのですか?
「ほぼ日」みたいにやるには、どうすれば?
当初は、どちらかというと、
「風変わりな組織」というような
扱いをされていたのですが、
ここ何年かは、どうやら、
まっすぐな、本気の取材が増えてきました。
雑誌やネットで特集されることもありましたし、
あちこちのメディアで、
自分たちの同僚が「ほぼ日」の仕事を語るのを見ても、
驚かなくなってきました。
あるいは、
ほぼ日刊イトイ新聞に新しく入ってくる仲間たちが、
「ほぼ日」のやり方をとてもおもしろがり、
つぎつぎにいろんな質問を重ねる、
ということもしばしばあります。
目をきらきらさせながら、
ときどきびっくりしながら、
彼らは「ほぼ日」のやり方を
ぐいぐいと吸収していきます。
身内のことになってしまいますが、
教えるほうも、教わるほうも、
とてもたのしそうです。
ほぼ日刊イトイ新聞が、何年もかけて、
とくに特別だとも思わず、自然に
(あるいはそれ以外方法がなくて)
培ってきたやり方は、
どうやら、いつの間にか、人々の興味をひく、
おもしろいものになっているようです。
それを、短期的な「塾」というかたちで、
伝えてみたいと思いました。
押しつけるつもりはありませんが、
知りたい、と思う人がいたら、伝えてみたい。
「伝える」ということは、
「ことばにする」ということでもあります。
自分たちのやり方を、あらためて、
「伝える」ために、きちんと「わかる」必要がある。
曖昧に共有していることや、
なんとなくみんなが守っている約束や、
自分たちが一斉に拍手を送るもの、
できるだけ踏み入らないようにしている場所、
そういったものを、きちんと「わかる」こと。
それは、知りたい人に「伝える」だけでなく、
「いまの自分たち」をきちんと確認し、
「未来の自分たち」へ、
それを「伝える」ことでもある。
そして、自分たちを確認し、伝えながら、
それを受け取ってくださる人たちと、
たとえ短期間の「塾」だとしても、
通常ではあり得ないくらいの深さで
「わかり合える」のではないか。
互いにわかり合ったら、
「塾」での関係を超えて、
いつか、一緒に仕事ができるかもしれない。
そんなふうにも、思っています。
信頼できる仲間かもしれないし、
助けてくれる専門家かもしれない。
あるいは、「塾」というかたちのまま、
ちょっとした仕事だってできるかもしれない。
そこまで、ぼくらは、本気で考えています。
なんだか、これまでにない、
おもしろくて新鮮な出会いが
待っているような気がしています。
ですから、「できるのかな?」という
不安や疑問は一旦保留して、
これからはじまるたのしい広がりのほうへ、
向かっていくことにしました。
「ほぼ日の塾」のページはこちら。