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永田 |
発言の一人歩きということでいうと、
たとえば、アテネの男子体操団体で
「『栄光への架け橋だ!』と絶叫」
みたいなことが新聞には書いてありますよね。
でも、実際にあれを聞いてた人は
わかると思うんですけど、
刈屋さんは、絶叫はしてないですよね。 |
刈屋 |
そうですね。
少し詳しく言うと、ぼくとしては、
絶叫したのは、その少し前のところだけですね。
「栄光への架け橋だ」と言って
着地する4つくらい前の技に、
「コールマン」というのがあるんです。
あそこで冨田選手が鉄棒をつかむ直前に
「これさえ取れば!」と言ってるんですが、
あそこは絶叫しているんです。 |
永田 |
ああ、最後の「離れ技」
(※両手を鉄棒から離す技の俗称。
難度が高く、決まれば高得点だが、
落下というリスクをともなう)
のところですね。 |
刈屋 |
そうです。
「栄光への架け橋」に降りる前のところ。
あれは「これさえ取れば金だ!」
というつもりで叫んでいるんです。
あのときが、ぼくのなかでは興奮の頂点でした。 |
永田 |
あとは鉄棒を無事につかみさえすれば
金メダルだ! と。 |
刈屋 |
はい。それが、
「これさえ取れば!」なんです。
で、「取った!」「勝った!」。 |
永田 |
ということは、
あとはもう、エンディング。 |
刈屋 |
エンディングです。
あとはもう「勝った」という実況です。
「みなさん、勝ちましたよ」と。
「これはもう、まさに
日本の体操が栄光を取り戻して
その栄光が始まる曲線ですよ」
という、そういうつもりですね。 |
永田 |
あああ、そうですね、うん。
ちょっと、いま、
いまそれを聞いただけで
あの瞬間を思い出して
かなりゾクゾクッとするものが
あるんですけど(笑)。 |
刈屋 |
(笑) |
永田 |
お話を聞いていると、
どんどん思い出してくるんですけど、
最後にコールマンという「離れ技」があって
それで落下さえしなければ、
もう勝ちなんだということを、
刈屋さんは、もうずっと、
競技と競技のあいだに
視聴者に丁寧に伝えてくださっていたんですよね。
だからこそ、ぼくのようなにわかファンでも
「つかめ!」と思いながら観ていたわけで。 |
刈屋 |
そうですね。 |
永田 |
だから、
「伸身の新月面が描く放物線は
栄光への架け橋だ!」というのは、
あそこだけをビデオで観れば
叫んでいるように聞こえるかもしれないけど、
あれは、興奮で絶叫したというよりは
もう、エンディングをなぞっていくなかで
出てきた生のフレーズだと。 |
刈屋 |
はい。だから、もしあれが、
「着地が決まるかどうかで
金になるか銅になるかが変わる」
っていう勝負だった場合には
たぶんあれは言ってないんですよね。 |
永田 |
あーー、「言えない」んですね。 |
刈屋 |
そうです。もうそれこそ
「着地はどうかー!」「立ったー!」
っていうところで
絶叫してたと思うんですけど、
あの時点で、ぼくはもう、
「勝負はついた」と。 |
永田 |
そうですね。
だから、最後のあの実況は、
完成した作品に額縁を
あしらったようなものなんですね。
もう、絵は描き終わってる。 |
刈屋 |
はい。最後に、
「これは作品としてできましたよ、
みなさん」っていう
そういうつもりだったんですね。 |
永田 |
だからこそ、着地とぴったり合うわけで。
「合うってことは
事前に考えてたんじゃないか」
って言う人がいるけれども
合って当然なんですね。
合うようにしゃべってるわけですね。
エンディングに向かって。 |
刈屋 |
ぼくはもう、何十回も、何百回も
彼の着地は見てますので、数えてなくても、
だいたいのタイミングとして
こういう流れで、こう飛んで、
こう降りてくるというのは
感覚的に覚えてしまっているんです。
ですから、言葉も自然にそこに合う。 |
永田 |
うーーーん、なるほど! |
刈屋 |
ですから、あの実況に対して、
「着地が決まれば金メダル」なのに
実況でイチかバチか
「栄光への架け橋」と先に言って
たまたま立ったから
実況が成立したと思っている方も
いらっしゃるようなんですけど、
そうではないわけです。
あるいはもう、競技が始まるまえから
言うことを決めていて、
それを着地のタイミングで
言っただけなんじゃないかと
言われたこともありますけど、
じつはそうじゃないんです。 |
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永田 |
そうですね。
少なくともコールマンを
つかんでからじゃないと言えない。
早くてもそこでしか決められないことですね。 |
刈屋 |
そうなんです。 |