研究レポート23
あらためて「ファインマンさん」の魅力。
ほぼにちわ、カソウケンの研究員Aです。
以前、父の日にあわせて
ファインマンのお父さんの「超英才教育」のことを
レポートしました。
ファインマンとはノーベル物理学賞を受賞した
アメリカの物理学者。
「ファインマン物理学」という教科書でもおなじみですが
何より『ご冗談でしょう、ファインマンさん』
などのエッセイのシリーズで
その魅力あるキャラクターが知られています。
そう、とーっても魅力的なんです。
何度も聞いている人には
「しつこいなー、うっとうしいなー」
と思われていそうですが、それでも言わせて~。
惚れますよ、もう。
前回そのファインマン父子のレポートをしたときに
「実は私もファインマンが好き」
という声がいくつも寄せられました!
「ファインマンの魅力を世に伝えよう会(仮)」
会員1号の研究員Aとしては
世に同志が多いことを知り
心強く思ったわけなのです。
そんなみなさまに朗報です~。
『ファインマンさん 最後の授業』という本が
最近発売となりました。
これは、元物理学者であり
現・ハリウッドの脚本家であるL.ムロディナウが
晩年のファインマンとの交流を描いたものです。
この著者のムロディナウ氏。
もともとは化学が好きだったのに
ファインマンの教科書がきっかけで
物理に目覚め、物理学者となります。
そんな彼がファインマンの職場であった
カリフォルニア工科大学に研究員として赴任します。
そして、晩年のファインマンと
「科学」「人生」について語り合っただなんて
羨ましすぎです。嫉妬~。
研究員Aも
「化学が好きだったのに
ファインマンがきっかけで物理に目覚めた」
ところはこのムロディナウ氏と一緒なんです。
大学時代にファインマンの著作と出会い
「彼の魅力を世に広めねば!」と決意して
周りの人に彼がいかに素晴らしいかを語りまくりました。
でも、周囲の反応はというと~。
ある人には冷めた目で
「ふ~ん、そんなに好きなんだ」
ある人には温かい目で
「良い本読んで、良かったねえ」
。。。
伝わったのは「ファインマンの魅力」ではなく
「研究員Aの熱意」だけだったのでした。やれやれ。
伝道師としての資格なし、です。
そんな研究員Aと違い、
この『ファインマンさん 最後の授業』の
著者であるムロディナウ氏は
物理学でひとかどの業績を上げ、
しかも現在ハリウッドで活躍する脚本家!
ファインマンの魅力を語るのに
こんな最適な人はいません。
『ご冗談でしょう』のシリーズは
ファインマン本人による
「ボクってこんなこともしたんだよ! すごいでしょ?」
的な子どもっぽい武勇伝の色合いが強いです。
(そこがまたカワイイんですけどね)
こちらの『最後の授業』はかなり印象が違います。
青年である著者から見た
ガンで闘病中のファインマン。
子どものような自由闊達なキャラクターはそのままですが
当然ながら彼は年老いています。
そして、彼もまた我々と同じく
人生について「悩む」人間でした。
また『最後の授業』で面白いのは
物理学の巨匠であるマレー・ゲル=マンと
ファインマンの「対比」かもしれません。
マレー・ゲル=マン(マレイ・ゲルマン)は
ファインマンと同じく
カリフォルニア工科大学(カルテク)の教授。
原子は電子・陽子・中性子からできているのですが
陽子・中性子を構成する
さらに小さい基本粒子「クォーク」がある!
と提唱し、その業績でノーベル物理学賞を受賞した人物。
また、複雑系の研究で知られる
サンタフェ研究所の創立者です。
一人の人物から
「クォーク」のような小さい小さい世界と
「複雑系」という入り組んだ世界が
生まれるというすごさ。
なんと言っても彼は
15歳で大学入学
22歳で博士号取得
27歳でカルテクの教授に!
という輝かしい~経歴の持ち主です。
マレーの「ド天才ぶり」はその著書
『クォークとジャガー』で
存分に発揮されている(らしい)。
教養人として有名なマレー。
その著書は物理学~生物学~心理学~経済学~言語学
~歴史~コンピュータの話題と多岐にわたります。
実はですね、この研究員A。
上で「発揮されている(らしい)」と書いたのは
ちゃんと理由がありまして。。。
この『クォークとジャガー』を買ったのは大学生の時。
何度も読もうと挑戦したのですが
あまりにも難解で未だ読了できず。
何度読もうとチャレンジしても
いつのまにか目がふらふら~と浮遊してしまい
毎度毎度「沈没」しているというありさま。
はー情けない。ナイトキャップですわ、これじゃあ。
『最後の授業』でもこのマレーが登場するのですが
あまり良い描かれ方をされておりません。
ノーベル賞受賞後
きわめて影響力を持つ科学者となったにもかかわらず
「マレーはどこか劣等感を抱いているようで、
いつも自分がいかに賢いかを
ひけらかそうとしている感じ」
という記述があったり。
ふむふむ。
研究員Aが『クォークとジャガー』を読んでいると
「アナタが賢くて物知りなのはわかりましたから~!」と
悲鳴を上げてしまいたくなるんですよね。
ちょっと「なるほどなあ」と思ってしまいました。
まー単に、その難解さを理解できる能力のないものの
ひがみなんですけどね。
一方ファインマンは一貫して虚飾や権威にとらわれず、
「正しいことは正しい」
「間違っていることは間違っている」
と言ってのける人物。
さらに
「僕は物理学のことしかわからないから教養なんてない」
と堂々としています。
とはいえ、自分の興味を持ったものに関しては
(絵画やドラムなど)
しくこいくらいの好奇心で「セミプロ級」まで
到達してしまう人ではあるのですけどね。
物理学に対する姿勢も対照的だった二人。
「論理的な正しさに従う」
というアプローチをするマレー。
「自らの本能や直感に従う」
というアプローチをするファインマン。
ファインマンにとっては
例えば「時間が過去~現在~未来に進む」といった類の
「原則であるはず」のルールさえもおかまいなし!
自分の「おんもしろい」と思う直感に従って
自然界にアプローチするのです。
そして、彼らの科学に対するアプローチ法が
おもしろいくらい実生活にも反映されていました。
秩序とルールを重んじるマレーにしてみれば
ファインマンのような人物を
けむた~く思っていたようです。
ファインマンは死の間際まで
「大きな子ども」であり続けた人物でした。
権威を保とうとするマレーに対して
「王様は裸だ!」と言ってしまうファインマンです。
そりゃ、受け入れがたいですよね。
だからといって
権威主義で、人よりも優位に立ちたがる
マレーのような人物を
「いるいる、こーいう人!やーね」と
簡単に片づけることはできません。
人間誰しもマレーのような面は持ち合わせています。
そして、それは年を取って「子ども」でなくなるにつれて
その度合いを増していきます。
「自分が良いと思うもの」ではなく
「世間一般が良いと思うもの」を選択し
「ほんとうにしたいこと」ではなく
「世間的な評価の高いもの」を選択する。
研究員Aなんかもそうですが
できれば自分が賢いと思われたいし
虚勢を張りたくもなる。
そんな面は多かれ少なかれ
誰でも持ち合わせているんじゃないかなあ? と
思うのです。
それに、オトナ社会で生きていくためには
マレーのような感覚は必要でもあったりします。
だからこそ、われわれは
死ぬまで純粋な子どものままでいることができた
ファインマンのような人物に憧れてしまう。
この本を通してファインマンに触れていると
「わたしが本当に望んでいるものはなんだろう?」
と内なる声に問いかけるきっかけになります。
うーむ、相も変わらず
「ファインマンの伝道師」としての資格がない
研究員Aのようです。
皆さんに彼の魅力が伝わったかどうか自信ナシです。
というわけで、正統な資格を持つムロディナウ氏の書く
『ファインマンさん 最後の授業』を
ぜひご一読下さい~。
著者のムロディナウ氏のように
「進路に迷っている若者」だけでなく
研究員Aのような主婦・会社員・学生。。。
いろいろな立場にある人に
おすすめしたいなあと思います。
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参考文献
『ファインマンさん 最後の授業』L.ムロディナウ著
『クォークとジャガー』マレイ・ゲルマン著
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(上下)R.P.ファインマン著
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