花/ひまわり 採取地/南相馬市鹿島区南柚木 器/縄文土器(深鉢) 小高区浦尻貝塚 縄文時代中期 大木9式
- ──
- 福島でのお仕事は、
ふだんの片桐さんの「いけばな」とは
何かが、違いましたか?
- 片桐
- たとえば、花も違えば場所も違ったし、
場所の持つ意味合いも、違いました。
学んだこともたくさんありましたが、
やっていること自体は、
ふだんとそんなに変わらなかったです。
- ──
- あ、そうですか。
- 片桐
- もちろん、福島の沿岸部で、
そこに咲いている花を生けるってことが、
自分の「いけばな」を、
おそらく「いつもと違う」というふうに
見せるだろうなとは思いました。
花を生けるという行為自体も、
当然、「場所」の影響を受けますから、
心持ちとしても
ふだんと違うといえば、違いましたし。
- ──
- ええ。
- 片桐
- でも、僕がやっている作業そのものは、
ずっとやってきたことと、
そんなに大きく違うかって言われたら、
そうでもなかったですね。
花/雛罌粟 マーガレット 他 撮影地/南相馬市鹿島区右田浜
- ──
- 一連の福島でのお仕事は、
一見して「いけばな」のイメージとは
かなり雰囲気が違っているので、
どんな感覚だったのかなと思いまして。
- 片桐
- 地元の大阪にいても
そのへんに咲いている野の花を摘んで
生けることはあるんです。
そういう意味で、
行為自体に大した違いはないんですけど
花も、いろんなことを考えながら
生けていきますから‥‥
そうですね、違うというより、
新しい感覚があったことは、たしかです。
- ──
- 今回、福島の南相馬に移住して、
花を生けることになったのはなぜですか?
- 片桐
- きっかけは、ミズアオイという植物です。
震災前は準絶滅危惧種だったんですけど、
津波によって
沿岸部が「潟」に戻ったことで、
もういちど芽をふいて、広がったんです。
- ──
- 絶滅寸前だったものが、震災を機に。
- 片桐
- で、こちらにそういう植物があるんだけど、
生けてみる気はないかと、
福島県立博物館が主体でやっていた
アート・プロジェクトから、誘われまして。
- ──
- 今回のオファーを引き受けるにあたっては、
はじめ、どんな気持ちでしたか?
- 片桐
- もう、ぜんぜん悩まず、
ほとんど即答で「行きたいです!」って。
たしか、声をかけていただいたのが
2013年の5月か6月くらいで、
現地へ行ったのが‥‥その年の9月かな。
- ──
- 福島へは、それまでは?
- 片桐
- ご縁は、ありませんでした。
でも、ずっと気にかかっていたんです。
今、どうなっているのかなって。
自分のできることで、
その場所の助けになることがあったら、
やりたいと思っていましたから。
- ──
- そこへ、お花のご依頼が来た。
- 片桐
- 自分のやっている仕事で、
来てくれないかと言っていただけたので、
応えたいと思いました。
で‥‥そんなふうに思ったのも、
震災当時、
自分のキャリアの中で最大の展覧会を、
準備していたんです、2年がかりで。
- ──
- ええ。2年がかりとは、すごい。
- 片桐
- 震災の2週間後に、開始の予定でした。
でも、その当時は
いろんな場で自粛のムードがありまして、
賑やかしいことは止めておこうと、
どんどん、
展覧会のキャンセルが続いていたんです。
- ──
- そういう時期がありましたよね。
- 片桐
- 僕の場合は、ずいぶん前から
展示に使う植物も手配していたりとか、
ずっと準備してきたので、
やめるわけには、いかなかったんです。
- ──
- 展示内容は、どのような?
- 片桐
- 3万本の桜の枝でつくる、
すごく大きなインスタレーションでした。
- ──
- 3万本!
そんなに、どうやって集めるんですか?
- 片桐
- 植物の卸問屋の「花宇」の前の社長に
1年越しのやりとりで
用意していただいていたんです。
- ──
- 花宇の前の社長‥‥というと
プラントハンター西畠清順さんのお父様?
- 片桐
- そう、それだけの時間をかけてますから、
金額も、けっこうな感じになってまして。
- ──
- それじゃキャンセルできないですよね。
ちなみに、展示した作品のことを、
もう少し詳しく教えていただけますか?
- 片桐
- インスタレーションの高さは、
だいたい8メートルくらいになりました。
最初は、一分咲、二分咲くらいの状態で
桜を持ってきてもらって、
そこから4日くらいかけて生けたんです。
- ──
- 8メートルのものを、4日かけて。
- 片桐
- すると、展覧会のはじまるタイミングで
三分咲き、
早い桜で五分咲くらいになっていて、
なんとなく、
全体に「フワーッと白い」、というかな。
会期は1週間だったんですが、
ちょうど中日くらいで満開を迎えたので、
その時点では
「真っ白い桜の滝」みたいになりました。
- ──
- すごそう‥‥。
- 片桐
- そこから、散る花びらは散っていったし、
咲いてくる花は、咲いてきました。
一方で「新芽」も出てきますから、
最終的には、
半分くらいがグリーンに変わった状態で、
会期の終了を迎えたんです。
- ──
- 見たかったです、その展示。
- 片桐
- あれくらいのサイズになると
毎日の水やりが、けっこう大変でした。
朝、早くに会場入りして足場を組んで、
上から順に水をやるんですが、
だいたい、3時間くらいかかったので。
- ──
- 3時間!
- 片桐
- 夜の7時に閉場したあとも、
同じように、また3時間かけて、水やりで。
- ──
- 水やり1日6時間‥‥。
- 片桐
- ともあれ、震災のずっと前から準備していた
インスタレーションだから、開催したんです。
でも、もともと
そういうつもりではじめたわけじゃないのに、
1万本2万本と桜を生けていくうち、
亡くなった人の数だけ生けているような‥‥
そういう気持ちに、
どうしても、なっていったんです。
- ──
- 目にする報道も、震災一色の時期だから。
- 片桐
- そのこととまったく関係なしに、
何かをつくれる心境じゃなかったというか。
- ──
- 何かをつくっている人の多くが、
当時、同じことをおっしゃっていました。
- 片桐
- 展覧会を取材してくださるメディアの側も、
そういう切り口が多くて。
関西から被災地へ送るエール‥‥みたいな、
今回のこの作品を
どんなふうに世間に伝えたいか、みたいな、
そういう震災の枠組みで、ガッチリと。
- ──
- ええ。
- 片桐
- そのときに、僕は、こう答えていたんです。
たぶん今、被災地では、まだ春も少し先で、
多くの方が寒い思いをされている。
津波で、家や大切な人を亡くしてしまって、
なんというか、
自然を憎むしかない方も多いと思いますが、
でもやはり、震災も自然ならば、
こうして桜の花が満開に咲いている姿も、
自然なんだということを、
あらためて思い出してもらえたら‥‥って。
- ──
- なるほど。
- 片桐
- その思いは、
今も基本的には変わっていないんですけど、
「話の内容が不謹慎だ」とか、
「震災の影響のない関西にいる人間が
被災地のことについて発言すること自体、
不謹慎だ」とか、
そういうご意見をいただいたんです。
- ──
- んー‥‥そうなんですか。
- 片桐
- 何か、すこし割り切れない気持ちになって。
- ──
- そうですよね、それは。
- 片桐
- まあ、そんなこともあったんですが、
展覧会には、高い評価をいただきました。
桜の展示は、ちょうど「10年目」で、
前々から
10年の区切りでやめるつもりでしたが、
評価をいただいたことで、
震災の翌年、桜をモチーフにした
チャリティイベントをやりませんか、と
声がかかったんです。
- ──
- つまり、2012年の春に。
- 片桐
- はい、場所は銀座の大きな宝飾店で、
あるジュエリーの売り上げを
すべて寄付するという趣旨だったんですが、
モニュメントとして、桜の作品を、
1カ月間、展示してほしいと頼まれました。
前年で終わりにしたつもりだったんですが、
もし、少しでも
何かの役に立つことがあるならと思って
協力させていただきました。
売上も数百万円はあったということでした。
- ──
- すごい額です。
- 片桐
- そのとき、何か違うなあと思ったんです。
- ──
- え?
- 片桐
- いや、東京の銀座という
華やかな場所でお金を集めて‥‥つまり、
震災から1年、
まだまだご遺体が出てくるような時期に、
震災の気配の消えた都会で、
お金だけ集めて被災地に持っていくことが、
なにか‥‥白々しく感じてしまって。
- ──
- 集まったお金はお金として、
現地の役に立ったんじゃないんですか?
- 片桐
- たぶん、お金というより気持ちの問題です。
結局、被災地を支援するとか、
被災地に思いを寄せるとかって言ったって、
俺は、いいとこ、こんなもんかと。
震災のことが
全然、身近じゃなかったことに気がついて、
自己嫌悪に陥ってしまったんです。
- ──
- そうなんですか。
- 片桐
- いちばん大きかったのは、
まず、自分が、その土地を知らないこと。
知らないのに、表面的に、
東北の人たちに何かをするってこと‥‥。
すべてお題とパッケージが決まっていて、
自分はそのお題とパッケージを
完成させるために、何かを作ったような。
- ──
- 被災地のため、と言いながらも‥‥と?
- 片桐
- やはり、自分のやれることで、
自分がやりたいと思うことでなければ、
何を作るにも、
思いを込め切れないと思ったんです。
で、「こんなんじゃ、ダメだな」って。
- ──
- なるほど。
- 片桐
- そこから1年間、被災地の仕事もふくめて
大きな仕事はお断りをして‥‥
もういちど
自分の花を生けることに、集中したんです。
大阪からまったく動かずに、
日々、花を生けて、教えているだけの毎日。
- ──
- そんな生活を、1年間。
- 片桐
- はい、2012年の春から1年間、
ずっと、そのような毎日が、続きました。
で、2013年の春を過ぎたあたりで、
今回の福島のお話を、いただいたんです。
花/薔薇 コスモス ひまわり 芙蓉 他 撮影地/浪江町請戸
<つづきます>