糸井 |
順番的には、どうだったんです? |
川相 |
そうですね。
まず、あのときは、原さんのもとで
コーチをやるという約束で引退したわけです。 |
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糸井 |
うん。 |
川相 |
そしたら、原さんがその2週間後に
辞任というかたちになって。 |
糸井 |
そうだった。 |
川相 |
ぼくは正直、ちゅうぶらりんの状態で
数日間を過ごしたんですけど、
そのあいだ、誰からも連絡がなかったんですね。 |
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糸井 |
あーー。 |
川相 |
で、やっぱり、
なんのために引退したんだろう?
って思ったんですよね。
もう、引退したことが
すごくもったいなく思えて。 |
糸井 |
コーチを務めるという約束のために
引退は決意したものの、
もっとやりたいという気持ちは
当然、ありましたよね。 |
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川相 |
ええ、ほんとは
あと1年でもいいからやりたかったんです。
もう1年やっていれば、ちょうど40歳を
ジャイアンツで迎えられるという
区切りの年だったんですね。
40歳までやりたいという気持ちが
すごく強かったものですから。
でも、原さんから、今年で引退して
来年からコーチをやってくれと頼まれたんで、
かなり悩みましたけど、
決断して、引退したんですね。 |
糸井 |
‥‥いま聞くと、息をのむような話ですね。
人生が、まさに嵐のなかにあるという。 |
川相 |
ほんとうに。 |
糸井 |
コーチをやることについては、
あのときの川相さんだったら、
それなりに準備があったんですか。 |
川相 |
現役引退から原さんの辞任までのあいだ、
チームから離れていた時期があったので、
そのときに神宮球場に行って
ヤクルト広島戦を観たりしてましたよ。 |
糸井 |
一観客として(笑)? |
川相 |
はい、チケット買って、
スタンドで観てたんです。 |
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糸井 |
それ、なぜ行ったんですか?
野球が観たかったんですか? |
川相 |
ファンの目線として
野球を観てみたかったというのがひとつ。
あとは、コーチの人たちが
現場でどういう動きをしてるのかっていうのを
スタンドから観てみたかったんです。
たとえばファーストコーチャーや
サードコーチャーが、上から見て、
実際、どういう動きをしてるのかな、
っていうのが見たかったんですね。
その、「3塁コーチャーを頼む」
って言われてたもんで‥‥。
ドームの日ハム戦とかも観に行きましたよ。
3試合くらい観たかな、チケット買って(笑)。 |
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糸井 |
おもしろーい(笑)。
新鮮だったでしょうねえ。 |
川相 |
新鮮でしたね。
やっぱり、スタンドとグラウンドでは
見え方がぜんぜん違いますから。
あ、ファンの方は
こういう感じで観てるんだ、とか。 |
糸井 |
ぼくはよく例に出すんですけど、
「野球場の観客」のありかたって、
いろんなことを考えるときに
ものすごく参考になるんですよ。
大勢が野球場に来ているとしても、
目をそらさずちゃんと
野球を観ている人はそんなにいない。
だいたい、弁当食ったり、
となりの人としゃべったり。
「野球みたいなもの」を楽しんでるだけで、
純粋に野球だけを観てるわけじゃない。
でも、そういうことも含めて
ぜんぶが「野球を観ている」
っていうことなんだよって。 |
川相 |
そう思いました。
ですから、スタンドでファンの人を見るのも
すごくおもしろかったです。 |
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糸井 |
神宮のお客さんは、
比較的、野球を観てるほうですよね。
いまはどうだかわからないけど、
昔は、外野席に会社帰りの
サラリーマンとかがひとりでいたりして。
上着を脱いで、会社のカバンをこう、
座席の狭いところに置いてね。 |
川相 |
神宮の1塁側に、ぼくが打席に入ったら
いつも「バントしかできねぇのか!」って
ヤジってる応援団のおじさんがいるんですよ。
その、たまたま観に行ったときに、
そのおじさん、ぼくに気づいて、
まぁ、引退したっていうこともあって、
サイン求めに来ましたよ(笑)。 |
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糸井 |
(笑) |
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川相 |
もちろんぼくも
ちゃんとサインしましたけど。 |
糸井 |
いいなぁ(笑)。
そんなふうにして、
コーチになる心づもりをしていたわけですね。 |
川相 |
そうですね。
徐々に準備をはじめていたら、
球団がガチャガチャしはじめて、
そういうニュースが新聞に出たんです。
そのときは、まぁ、まさか原さんが
辞めるとは思ってなかったんですが‥‥。 |
糸井 |
そのへんの事情は
きっと赤坂さんのほうが詳しいですね。 |
赤坂 |
ええ、まあ(笑)。
けっきょく、当時の球団代表が
原さんの采配にいろいろと
注文をつけたらしくて、
感情的なもつれが、もう、
引き返せないところまでいってしまったんです。
それで、辞めます、と。
そのときに原さんは球団代表の頭ごしに
渡邉オーナー(現球団会長)のところに行って
辞表を提出したんですね。
だからあれは「辞任」なんですよね。
「解任」じゃなくて。 |
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糸井 |
時代劇ですね、けっこうね。 |
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赤坂 |
そうそうそう。
で、原さんが、オレは辞めるぞ、
ということになったもんだから、
じゃあ、オレたちも辞めますって、
吉村禎章以下、みんな辞めることになった。
緒方耕一とか村田真一とか斎藤雅樹とか。 |
イラスト:「こういうやつが、いたんだよ。」より |
糸井 |
そうだった。 |
赤坂 |
だけど、原さんらしいのはね、
しばらく経ってから
「あんときはオレが辞めちゃったせいで
みんなまで辞めることになって
すまなかった」って謝ったんですって。
それを聞いたときの気持ちを
吉村に訊いてみたら、
「謝ってほしくなかった。
監督が辞めるときは自分も辞めるのが
当然だという気持ちだったから」って。 |
糸井 |
でも、そこで謝っちゃうのが、
原さんっていう個性だろうね。 |
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赤坂 |
そうそうそう。 |
糸井 |
大きくいえば、明るい。
ちょっとマヌケなくらい、まっすぐで。 |
赤坂 |
そうですね。
まあ、そういうことを含んでの
「チーム原」なんでしょうね。 |
糸井 |
個性だよねぇ、それはね。
ところが、川相さんは、
来期のコーチの候補だから、
そこの一座じゃないわけですよね。 |
川相 |
そういうことです。 |
糸井 |
ちゅうぶらりんですね、たしかに(笑)。 |
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川相 |
そうなんです。
選手としては、まだできると思っていたのに、
わざわざ決断して辞めて、
来期、原さんのもとでコーチとして、
と思ってたのに、そうなると、
「えー? 俺はどうしたらいいの!?」
っていうような感じだったんですね。 |
糸井 |
そのへんのことも、
元野球記者の人がきっと覚えてますね? |
赤坂 |
よーく覚えてます(笑)。
あのときは、けっきょく──。
(続きます) |
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