第2回 原監督、辞任。
糸井 順番的には、どうだったんです?
川相 そうですね。
まず、あのときは、原さんのもとで
コーチをやるという約束で引退したわけです。
糸井 うん。
川相 そしたら、原さんがその2週間後に
辞任というかたちになって。
糸井 そうだった。
川相 ぼくは正直、ちゅうぶらりんの状態で
数日間を過ごしたんですけど、
そのあいだ、誰からも連絡がなかったんですね。
糸井 あーー。
川相 で、やっぱり、
なんのために引退したんだろう?
って思ったんですよね。
もう、引退したことが
すごくもったいなく思えて。
糸井 コーチを務めるという約束のために
引退は決意したものの、
もっとやりたいという気持ちは
当然、ありましたよね。
川相 ええ、ほんとは
あと1年でもいいからやりたかったんです。
もう1年やっていれば、ちょうど40歳を
ジャイアンツで迎えられるという
区切りの年だったんですね。
40歳までやりたいという気持ちが
すごく強かったものですから。
でも、原さんから、今年で引退して
来年からコーチをやってくれと頼まれたんで、
かなり悩みましたけど、
決断して、引退したんですね。
糸井 ‥‥いま聞くと、息をのむような話ですね。
人生が、まさに嵐のなかにあるという。
川相 ほんとうに。
糸井 コーチをやることについては、
あのときの川相さんだったら、
それなりに準備があったんですか。
川相 現役引退から原さんの辞任までのあいだ、
チームから離れていた時期があったので、
そのときに神宮球場に行って
ヤクルト広島戦を観たりしてましたよ。
糸井 一観客として(笑)?
川相 はい、チケット買って、
スタンドで観てたんです。
糸井 それ、なぜ行ったんですか?
野球が観たかったんですか?
川相 ファンの目線として
野球を観てみたかったというのがひとつ。
あとは、コーチの人たちが
現場でどういう動きをしてるのかっていうのを
スタンドから観てみたかったんです。
たとえばファーストコーチャーや
サードコーチャーが、上から見て、
実際、どういう動きをしてるのかな、
っていうのが見たかったんですね。
その、「3塁コーチャーを頼む」
って言われてたもんで‥‥。
ドームの日ハム戦とかも観に行きましたよ。
3試合くらい観たかな、チケット買って(笑)。
糸井 おもしろーい(笑)。
新鮮だったでしょうねえ。
川相 新鮮でしたね。
やっぱり、スタンドとグラウンドでは
見え方がぜんぜん違いますから。
あ、ファンの方は
こういう感じで観てるんだ、とか。
糸井 ぼくはよく例に出すんですけど、
「野球場の観客」のありかたって、
いろんなことを考えるときに
ものすごく参考になるんですよ。
大勢が野球場に来ているとしても、
目をそらさずちゃんと
野球を観ている人はそんなにいない。
だいたい、弁当食ったり、
となりの人としゃべったり。
「野球みたいなもの」を楽しんでるだけで、
純粋に野球だけを観てるわけじゃない。
でも、そういうことも含めて
ぜんぶが「野球を観ている」
っていうことなんだよって。
川相 そう思いました。
ですから、スタンドでファンの人を見るのも
すごくおもしろかったです。
糸井 神宮のお客さんは、
比較的、野球を観てるほうですよね。
いまはどうだかわからないけど、
昔は、外野席に会社帰りの
サラリーマンとかがひとりでいたりして。
上着を脱いで、会社のカバンをこう、
座席の狭いところに置いてね。
川相 神宮の1塁側に、ぼくが打席に入ったら
いつも「バントしかできねぇのか!」って
ヤジってる応援団のおじさんがいるんですよ。
その、たまたま観に行ったときに、
そのおじさん、ぼくに気づいて、
まぁ、引退したっていうこともあって、
サイン求めに来ましたよ(笑)。
糸井 (笑)
川相 もちろんぼくも
ちゃんとサインしましたけど。
糸井 いいなぁ(笑)。
そんなふうにして、
コーチになる心づもりをしていたわけですね。
川相 そうですね。
徐々に準備をはじめていたら、
球団がガチャガチャしはじめて、
そういうニュースが新聞に出たんです。
そのときは、まぁ、まさか原さんが
辞めるとは思ってなかったんですが‥‥。
糸井 そのへんの事情は
きっと赤坂さんのほうが詳しいですね。
赤坂 ええ、まあ(笑)。
けっきょく、当時の球団代表が
原さんの采配にいろいろと
注文をつけたらしくて、
感情的なもつれが、もう、
引き返せないところまでいってしまったんです。
それで、辞めます、と。
そのときに原さんは球団代表の頭ごしに
渡邉オーナー(現球団会長)のところに行って
辞表を提出したんですね。
だからあれは「辞任」なんですよね。
「解任」じゃなくて。
糸井 時代劇ですね、けっこうね。
赤坂 そうそうそう。
で、原さんが、オレは辞めるぞ、
ということになったもんだから、
じゃあ、オレたちも辞めますって、
吉村禎章以下、みんな辞めることになった。
緒方耕一とか村田真一とか斎藤雅樹とか。

イラスト:「こういうやつが、いたんだよ。」より
糸井 そうだった。
赤坂 だけど、原さんらしいのはね、
しばらく経ってから
「あんときはオレが辞めちゃったせいで
 みんなまで辞めることになって
 すまなかった」って謝ったんですって。
それを聞いたときの気持ちを
吉村に訊いてみたら、
「謝ってほしくなかった。
 監督が辞めるときは自分も辞めるのが
 当然だという気持ちだったから」って。 
糸井 でも、そこで謝っちゃうのが、
原さんっていう個性だろうね。
赤坂 そうそうそう。
糸井 大きくいえば、明るい。
ちょっとマヌケなくらい、まっすぐで。
赤坂 そうですね。
まあ、そういうことを含んでの
「チーム原」なんでしょうね。
糸井 個性だよねぇ、それはね。
ところが、川相さんは、
来期のコーチの候補だから、
そこの一座じゃないわけですよね。
川相 そういうことです。
糸井 ちゅうぶらりんですね、たしかに(笑)。
川相 そうなんです。
選手としては、まだできると思っていたのに、
わざわざ決断して辞めて、
来期、原さんのもとでコーチとして、
と思ってたのに、そうなると、
「えー? 俺はどうしたらいいの!?」
っていうような感じだったんですね。
糸井 そのへんのことも、
元野球記者の人がきっと覚えてますね?
赤坂 よーく覚えてます(笑)。
あのときは、けっきょく──。


(続きます)
2010-12-02-THU
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