萩本 |
ぼくは、
「2年半の修業時代の頃のぼくを見た」
というお客さんに会いたいんです。
一度も、会ったことがないんです。
ふつうだったら、
「浅草で、欽ちゃん、出てたね」
そう言う人がいそうなもんだけど、
どれだけ存在感のない子だったんだろう?
有名になってから、
ひとりもそういう人に会っていないんです。 |
糸井 |
ほんとですか? |
萩本 |
ええ。
どれだけ、修業が身についてない
コメディアンかが、わかりますよね。
コント55号を
演芸場で見たというかたはいますけど、
ひとりでやっていた、
ぼくの浅草時代の修業を見た人は、いない。 |
糸井 |
何歳ぐらいだったんですか? |
萩本 |
18、19、20、21ぐらいまで。 |
糸井 |
そのぐらいの歳で
目立たない子っていったら、
徹底的に目立たないですよね。 |
萩本 |
目立たない。
だから、
「見かけた人、
いずれ出てくるかな」
と思ったけど、とうとう出てこない。 |
糸井 |
修業した場所は、
ストリップ劇場ですよね?
どういうことが
修業と言えるものなんですか? |
萩本 |
日舞らしきものを踊る?
ダンスが踊れる?
そういうことだけで、
2年半、かかりましたから。 |
糸井 |
日舞らしきもの、
をやってらしたんですか。 |
萩本 |
日舞らしきもの、が踊れそう……。
踊ってるように見える。
そのぐらいまでは、
たどりついてるつもりですけど。 |
土屋 |
大将は、番組やるときに、
「踊りが基本だよ」
とおっしゃっていたことがあるんです。
「ジャニーズの子たちがいいのは、
踊りをやってきてるからなんだよ。
それはいわゆる『間』っていうのが
踊りの中にはあるから」
それを聞いたときには、
なるほど、と感じました。 |
萩本 |
いま、基礎からやっているのは、
ジャニーさんところしかないですからね。
踊りをすると、
芸としての「間」をおぼえます。
しゃべりで「間」をおぼえても、
それは、芸にはならないんです。 |
糸井 |
ご自分では、
完成するまで踊りはやらなかったけれど、
テレビの欽ちゃんには、生きたんですね。
日舞であろうが、
他の踊りであろうが、いいんですか? |
萩本 |
言ってみれば、
洋舞は、8時までの番組で、
日舞は、9時台以降の番組のような。
その「間」が、違うんですね。 |
糸井 |
いま、お話をされているのは、
「間をたのしんでくれ」
というのではないとは思うんですが、
それでも、やっぱり、聞いていて
「あ、こういうことか……」
と納得するというか、妙にたのしいんです。 |
萩本 |
日舞の「間」は、おとなに心地よい、
というのがありますね。 |
糸井 |
つまり、萩本さんの2年半の修業は、
身についたんだか、
身についてないんだかはわからないけど、
何かに、残ってしまったんでしょうね。
つまり、体が記憶してしまったというか。
踊りとしては
上手にならなかったかもしれないけど、
記憶しちゃった材料が、
いつのまにか、テレビとフィットした……
じゃ、ということは、
萩本さんの55号で
おやりになっていた
コントみたいなものは、
あれは、意味を笑うんじゃなくて、
間を笑ってたんですか? |
萩本 |
そうですね。
ぼくの、踊りとしては、
煮えきらない間が、
テレビという新しい間に、
変化したんだと思う。
それから、
日舞としての
すぐれた「間」を持っている、
坂上二郎さんがいた。
そこに、日舞の踊れるボケがいた、
というのは、
ツッコミとしては、もうかったんです。 |
糸井 |
なるほどなぁ。
つまり、二郎さんの間は、
ちゃんとこう、
拍子が正しいわけですね?
で、正しくない拍子の
欽ちゃんが、それを壊しちゃう。 |
萩本 |
間の悪いぼくと、
日舞の間の二郎さんがいるから、
若い人も年寄りも、
どちらが見てても、
納得がいくところに
入ったんだと思うんですよね。 |
糸井 |
きっと、時代は、
きれいにリズムを刻む「間」の
時代では、なくなってたんでしょうね。
二郎さんが、きれいに刻んでるものが、
かったるく見えるんでしょう。
だから、お客さんたちは、
萩本さんが壊したほうの気分で
見ていたんだと思います。
二郎さんのきれいなリズムって、
学校で学ぶようなものなんですよね。
ぼくは、どちらかと言うと、
もともとは、優等生の子だったから、
「せっかく二郎さんが
きれいにリズムを刻んでるところ」
を、萩本さんが、もうヘタしたら
けっとばしたりしているのを見て、
「あんなことをして!」
って、ちょっとドキドキしていたんです。
でも、意地悪をしてる萩本さんのほうに
肩入れしてる自分が、頭をもたげてくる。
それが、高校生か中学生ぐらいの頃ですね。
いやぁ、なんか、ありありと思い出します。 |
萩本 |
糸井さんは、その頃の子かぁ。 |
糸井 |
はい。
萩本さんは、
こういうことを人はおもしろがる、
ということを、どうわかったんですか? |
萩本 |
わからないままやってきたけど、
「お客さんがどう思ってるか」
というのだけは、考えていました。
55号の頃は、コントが終わって、
「あぁ、今日もダメだったな……」
とぼくがポツッと言うと、二郎さんが、
「おかしかったねぇ。
今日は、おかしかった」
「いや、おかしくねぇよ」
「いや、OKじゃないの?」
いつも、言葉は同じでしたね。
ぼくは、ダメだと思ってました。
二郎さんは、いいと思っていた。
どっちが正しいかがわかんない。
結論を出す人は、ひとりもいないもんですから。
そのまま、ずーっと、です。 |
糸井 |
二郎さんは、歌がじょうずですよね。
あのかたは、歌が
「ちゃんとできた」ということが、たぶん、
ものすごくお好きな人なんだ、と思います。 |
萩本 |
ええ。
歌う時だけは人間が違っていて、
笑いを、ぜんぶ捨てるんですよ。
歌だけは、ちゃんとやるんです。
病気したときも、
「まだ、治ってねぇんだ。
歌が歌えないんだ!」
と言ったんです。
やっぱり、ほんとに
歌が好きなんだと思いました。
歌えてはじめて治ったってなるんだ……。
「この人、やっぱり歌手だな」と思った。
「治ってないんだ。
笑いが、どうしても決まんないんだ」
と言ったらコメディアンだと思うけど。 |
糸井 |
ということは、
萩本さんが修業時代が生きてない
不本意な人生を送っていると同時に、
二郎さんも、
不本意な人生を送ってきたんだ……。 |
萩本 |
そうです。
大ざっぱに言うと、
アルバイトで、メシを食っちゃったの。
テレビって、もしかしたら、
「本職をやってください」
と、誰も頼みにこないものかもしれない。
テレビには、
「本職、いらないよ」
と言われてるような気がしますね。 |
糸井 |
たしかに、
本職が、得々として
テレビで何かをやっているところは、
見ていて、つらいんですよね? |
萩本 |
つらいんです。 |
糸井 |
たとえば、
落語はテレビに向かない。
芸として、
できあがっちゃってるんですよね。
隙間がない。
生で見てるときには、隙間だらけで、
みんなが入ってけるように演じてるのに、
テレビだとダメなんですよね。 |
萩本 |
それが、「テレビ」なんです。
テレビ界と芸能界を
混同して話すとわかりにくくなるんです。
テレビは、つまらないのか?
テレビはおもしろいんだと思いますよ。
みんなが「つまらない」と言うのは、
芸としてつまらないと言っているだけで、
ぼくは、テレビそのものは、
おもしろいと思う。 |
糸井 |
テレビって、つまり、
無責任に、おもしろいものだけを
かけつづけられるわけですから、
つまらなくなりようがないんですよね。
「その瞬間に、おもしろいもの」
のモニターだけをしていれば、
永遠に、テレビはおもしろいんです。
おたのしみが
他にもたくさんある時代だから、
視聴率でいったらあぶないですけど、
「テレビがつまんなくなる」
ということは、ないんだと思っています。
芸がつまんなかったら、
つまらない芸を、どうおもしろく映すか、
ということですよね。 |
萩本 |
ええ。
おもしろく「しちゃう」んですよ。 |
糸井 |
きっと、あらゆる人生って、
ほんとは不本意なんじゃないでしょうか? |
萩本 |
ええ。 |
|
(明日に、つづきます) |