萩本 |
NHKで仕事をしていると、
働いている若い人が、
みんなすばらしく見えるんです。
だけど、お金を払っている人が、
ダメにしちゃっているんじゃないかなぁ。
NHKに抗議の電話をかけなかったり、
「あの番組、たのしいですよ」
と一声かけるだけで、
とてつもない番組が、
いっぱい出てくる気がするんです。 |
糸井 |
NHKは、
いつも損をしているなぁと思っています。
作り手には、一生懸命さもあるし、
みんな、いい感じでイナカモンなんですよ。
民放は、スポンサーが、
人から小銭を集めたものを
まとめて代理店に渡して払うから、
直に視聴者から文句言われないんですよね。
だけど、NHKは直に、
「オレは払ってるんだ!」と言われてしまう。 |
萩本 |
そう。
だからこそ、NHKには、
抗議の電話はしないで、
「われわれは、たのしく見てますよ」
というのだけを、伝えてあげると、
イキイキするだろうなぁと思うんです。
「どうしてこんなに
すぐれものがいるんだ?」
というぐらい、いい人がいるんだから、
きっと、何かをしたいはずなんです。 |
糸井 |
いちばん大きな違いは、
台本を自分で書くんですよね、
NHKのディレクターは。
そこが、きっと大きいんですよ。
最後に自分で書きにくいようなことを、
言い散らかすわけにいかないですから。
「ここは風呂敷をひろげておいて、
あとで、自分で書けばいいんだ」
と思っている場合もあるだろうし、
「あんまりむちゃくちゃ言うと、
あとで書くのは、俺だからなぁ」とも思う。
企画書と台本を、自分で書くんですよね。
あれがね、不自由ではあるけれども、
人を育てている面は、あると思うんです。 |
萩本 |
ええ。
だからこそ、かわいそうなのは、
お客さんの意見を聞きすぎるところです。
4番バッターは、素人に、
「最近、ぼくの調子は、おかしいですか?」
とは、聞かないですよね。
だけど、テレビの仕事だけは、すごくよく聞く。
それでは、すぐれものは、出てこないですよね。
政治家や、八百屋さんにだって、
電話は、あそこまで殺到しないですからね。 |
糸井 |
そうですね。 |
萩本 |
どういうわけだか、
芸能界には、電話はかからないんです。
舞台やったからって、
電話が殺到するとか、
「あれやめてほしい」とは、言われない。 |
土屋 |
テレビ局と、
テレビ見てくれる人の関係は、
「文句があるときに電話をかける」
というものですよね。
「よかったよ」とは、
電話をしないかたちになっていると思います。 |
萩本 |
そうですよね。
だけど、たのしいことって、
うきうきしたところからしか、
出てこないですもの。
「こないだ、笑ったよ」
「こないだおもしろい特集を見たよ」
こういうつながりが、
テレビでは、ないんですよね。
で「よくない」っていうのだけ伝える……。 |
土屋 |
「そういう人しか、電話をしない」
という先入観が、ありますよね。 |
糸井 |
ただ、
「よかったよ、
というご意見を募集します」
とも、テレビは言っていないですよ?
ご意見、ご要望は、と、
お役所みたいな言いかたをするので、
批判だけが、
送られることになるんだろうなぁ。
もしくは、電話が、救急車扱いになる。 |
萩本 |
「たのしいと思ったご意見は、
お電話ください、
おハガキください」
と、きちんと言うべきですよね。
なぜなら、その手紙は、
テレビ局だけに止まらないで、
その番組を作った連中みんなに届くから。
すると、そこに、活力が出てくるんです。
倍、おもしろくなるんです。
人や笑いって、
「たのしいことをやってますね」
という、その1枚で、がんばれるんですよ。
2枚あったら、2倍、がんばれるの。
プロデューサーが、タレントさんに、
「こんな手紙来てますよー!」って、さ。 |
土屋 |
カメラマンだろうが、ADだろうが、
そのハガキ1枚で、がんばれるんです。 |
糸井 |
きっと、テレビだけじゃないですね。
「おいしかった」
「役に立ったよ」
「ありがとう」
それで、みんな、元気になりますから。 |
萩本 |
ぼくは、ラジオをやっていても、
ハガキを書いていたやつを、
作家にしているわけですよ。
だって、手紙が、うれしいんだもん。
うれしいから、仕事でもおまえを使うからな、と。
それで、作家になっているんですよね。
何かを発信するとしたら、
そのほうが、ずっと得だと思うんです。
だって、ラジオを聞いていただけで、
作家になっちゃったんだから。
「あなたの映画見て、感動しました」
と、10枚も手紙を書いた
慶応の大学生がいました。
オレの映画で、10枚も書いたの?
うれしくて、そいつに電話して、
「来いおまえ」と言いました。
「おまえ、いちばん、しあわせなことは何?」
「10時になったら帰れるアパートが欲しい」
いいから俺の家に来い、と、
ずっと、俺の家から、学校行ってましたよ。 |
糸井 |
すごい。
今は、どうしてるんですか? |
萩本 |
「ここで世話になったから、監督になる。
フランスへ留学したい。
ついては、旅費を貸していただきたい」
と。それを聞いたときに、ぼくは、
「それじゃ、おまえは、ぜったいになれない。
俺を利用したって、監督になんかならない。
なるなら、自分でなれ」
と言いました。
それで、そいつは、アルバイトして、
船でモスクワに行って、
モスクワから列車でフランスに行って……
1か月ぐらい、かかったんじゃないかなぁ。
それで、帰ってこないんですよね。
10年ぐらいしたら、帰ってきましてね。
「ぼく、監督になるって
フランス行ったんですけど、たまたま、
監督になるためにアルバイトをした
アルバイト先が美術商で、そこの社長から、
俺のあとを引き継がないかと言われました。
監督になるという気持ちは、
変えちゃいけないものでしょうか?」
「おまえ、絶対、美術商いったほうがいい」
結局、美術商になって、
あるときに週刊誌を見たら、
世界をまたにかける若い美術商というので、
ポーズをして写真に出ていました。 |
糸井 |
へぇー。 |
萩本 |
知らないどうしの人間が
つながるというのは、やっぱり、
怒ったところで「つながり」はないんです。
怒ったとしても、運なんて来ないよね。
テレビ局に「バカ!」と言っても、運は来ない。
それよりも「すごいね」と感動したら、
ディレクターが、
「一度見に来ませんか?
よろしかったら、出演者のサインもあります」
と、つい言いたくなっちゃうよね。
人が、人のために骨を折りたくなる瞬間って、
そういうつながりから、なんですから。
だから、つまらないところで、文句を言って、
人間のつきあいが途絶えてるなら、
ぼくは、それはさびしいと思うなぁ。 |
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(明日に、つづきます) |