糸井 |
萩本さん、
これだけ野球監督として
毎日タフな生活をつづけてきて、
実際に、倒れそうになったりは
しなかったんですか? |
萩本 |
今までは、ない。
逆にどんどん元気になるね。 |
糸井 |
前よりも
元気になっているのは
わかるんですけど。 |
萩本 |
そういうもんだよね。
だいたい、舞台をやっていても、
初日から5日目か10日目ぐらいまでは
まだまだ、体が、重いものなんですよ。
だけど、だんだん、
脂身がなくなっていく……。
体が軽くなって、
やっといい体調になったころぐらいに
「え、もう楽日なの?」
そういうものですから。 |
糸井 |
体重は、減った気がしますもんね。 |
萩本 |
確実に10キロは減りました。
前にはいていたズボンは、
げんこつがふたつぐらい、はいる。
結局、
最初のころは、
野球の世界の言葉の使いかたに
「もう、いいかげん、
チョンマゲは、取ってくださいね」
と思うときがありました。
「なんで、それをしたらいけないの?」
「うーんと……公式戦だから。
今まで、ズッといけなかったから」
言葉が、守りに入っちゃっていて。 |
糸井 |
もともとは、
江戸時代から
ずっとつづいている
伝統のスポーツでもないのに、ですよね。 |
萩本 |
うん。
だから、
ユニフォームを着ていない人も
言葉で伝えることが、
野球を変えるんじゃないかと思ったんです。
「内部に入っている人」だけでは変わらない。
お客さんは、
「変わってくれ!」と言いつづけているんです。
だから、変わるんじゃないかなぁ。
お客さんは、もうすこし、
イヤなことには、怒ったほうがいいと思う。 |
糸井 |
ボクシングを見る人は
世界的に少なくなってきていて、
ヘビー級しか
商売にならないようなところまで
来かけていますよね。
そのいっぽうで、
まがいもの扱いされていた
K-1やPRIDEにお客さんが集まっている……。
あのぐらいの変化が要るのかもしれませんね。
ボクシングは、
約束ごとや決まりを守ってきたとは言っても、
実は、それでも、それなりに
「あれ、こんなに階級がたくさんあったっけ?」
というようなしかけは、あったわけです。
チャンピオン戦をたくさん組めるように
階級を増やしたけど……
そうやって建前を守りながら
お客さんを増やそうとしても、ムリだった。
格闘技は、プロレスでなければ、
毎日のようには、興業ができなかった。
だから、
「毎日できなくても
商売になるやりかた」を考える必要があった。
野球は、毎日のようにやれてしまうから、
「考えない」という弱点があったかもしれない。
野球は、
選手が止まっている時間も長いし、
息の切れない遊びだと思うんです。
そこを、完全に
アスリートなスポーツにしてしまうのか、
それとも、もしくは、
将棋の手を考えるようにゲーム性を高めるのか、
それから、別の娯楽性を発展させるのか……
野球のおもしろさを担う軸の
どれが、自分のチームなのかを
もういちど、作りなおす必要が
あるんじゃないか、
と思うんです。
野球だけじゃないおもしろさがあってもいいし。 |
萩本 |
糸井さんのような人たちが、
好きなことを言って
野球を変えるのがいいなぁ、と思うんです。
「こいつ、
選手にはダメだけど、
しゃべりはウマイぞ」
そういうヤツが
テレビに出るようになって
人気だけある、というのもいいですよね。
それで、ピンチヒッターで
1球だけ投げたり。 |
糸井 |
萩本さんの方針は、
「人に、とりえあり」ですね。 |
萩本 |
そう。
欠けてる人どうしをつなげるの。
打つのスゴイなら、打つのだけ練習しなさい。
守るのが好きなら、守りだけを練習しなさい。
そうすると、
おたがいに「かばう」ってのが出てくるんだ。
とりえが伸びて、ダメなところは助けてもらう。
そうすると、友情が、出てくるじゃない。
コンビを組んだらいい。
「ぼく、すごい打つんですけど、
守れないんです。
だから、コイツを連れてきました。
コイツ、守りますよー」
すぐれたヤツは、
もうひとり、誰かを連れてってあげないと。
10人のなかで、
すぐれたヤツがひとりいたら、そいつが、
9人を面倒見てあげればいいんじゃないの?
ついつい、日本の組織って、どこでも
全員をすぐれさせようとしちゃうけど……
全員がすぐれると、ケンカになりますよ。
すぐれたヤツどうしの組みあわせは、
ぶつかっても、妥協しないですから。 |
糸井 |
すぐれているというのは、
保護動物みたいなものですからね。
落語でも、名人と呼ばれた人は、
たとえば文楽さんが生きている時には、
「文楽さんも緊張感があって、
客席にも、緊張感がありました」
とか言われるし、
そのとおりだったんだろうけど、
そのすぐれた状態は、ふつうの
いわゆる「落語」とはちがうものですよね。
そういうような保護された伝統芸能は、
落語でなくても、
たとえば国立劇場のなかで
国から保護されてつづいていたりするけど……
保護されているものは、もう
現代と「ズレ」があるんだと思うんです。
だから、勘三郎さんは
そういうところをわかった上で、
かせげる歌舞伎を、やろうとしている。
テレビにも出るし、子供も、
役者ができるように育てているし、
ああいうところに、
次の生きかたがあるんだと思います。
すぐれているからって、
「触ったら怒るから、注意しろよ!」
では、化けもの扱い、ですからね。
すぐれていないヤツが
みんなたのしいという世の中が、
いいんじゃないかなぁ。 |
萩本 |
そういうことですよね。
すぐれていないヤツが、
悔しいとか、なんとかしようとか、
もがいていることが、
大きな事件になっていくわけで……
すぐれていなくてもいいの。
なぜかっていうと、
すぐれていないヤツは、
すぐれたヤツが、助けてくれるから。
この「助けてくれる」が、今、ないよね。
「おまえも、すぐれたヤツになれ」
これは、つらいですもん。
だから、アマチュアがいいと思うんです。
三拍子そろっていないし、
すぐれていないんだから。
(次回に、つづきます) |