糸井 |
政治の基本は、パンとサーカスだ、
という言いかたをされるように、
ごはんをちゃんと食べられるようになったあと、
大衆が、次に求めたのは、
闘技場の殺しあいだったわけです。
人間と人間が命をかけているところで
「殺せ!」
「とどめを刺せ!」
と叫ぶのが、大衆の本質なんですよね。
自分のかわりに、
そういうものを見たいんだろうけど、
人のことだと思うから、
「殺せ!」と言えてしまう……
芸人さんの背負っている宿命って、
闘技場で、満員の観客が、うれしそうな顔で
「殺せ! 死ね!」
と叫んでいる姿だと思うんです。
そこからはじまったのが
「見せもの」なのだから、芸能って、
そこから逃げられないと思うんです。
……イヤな話ですけど、
まるで、闘技場における格闘家のように、
トップランナーを走り続けている人って、
ときどき、いますよね。
その時期の
1週間のレギュラー番組の視聴率を
合わせたら100%を超えたという、
「視聴率100%男」
としての萩本さんの長い走りもそうですし、
今なら、さんまさんも、そうだと思います。
人が見たら、
「死んじゃうよ」というような
はたらきかたをしている、一群の人たち。
たぶん、見ている人は、
「欽ちゃん、だいじょうぶ?」
「さんまさん、倒れないか?」
と、無意識に感じているんだと思います。
それなのに、
つまらなくなったときには、
みんな平気で、
「最近、違うよなぁ?」
と言うんですよね。
「誰か、あたらしいやつ、出てこないかなぁ」
「今は、あいつがいいね」
そういう噂話の犠牲になるぶんだけ、
勝ったときの勝ちなのりの歓声が
「ウワー!!!」
と、ものすごく大きく聞こえると言いますか。
きっと、
「勝ちなのりを1回聞いただけで一生分だ」
みたいな世界が、
循環してるんだと思うんです。
根っこは、えらい残酷な世界なんだというか……。
だから、芸人さんたちは、
きっと、それぞれ、
「ほんとにお客さんのおかげだ」
という思いを持ちながらも、
「客を全員、殴りたおしてやりたい」
という、ものすごい憎しみだって、
抱いているんだろうと、ぼくは想像するんです。
スポーツ選手もそうですけど、
生存競争の残酷さみたいなものの中で
バランスを取っている商売って、
「こわいことをしているなぁ」
と、いつも思います。 |
萩本 |
ですから……
みんな、だいたい、大変だよね。 |
糸井 |
萩本さんは、
それをさんざん、やってるわけですよね? |
萩本 |
やってるときって、
気がつかないですもん。
よく、
「いつ寝ているんですか?」
「息抜きは、なんですか?」
と聞かれたんですけど、
マラソンをしている最中の人が、
35キロ地点で一服してから
行ったりしないもんね。
「あ、ゴールまでもうすこしだ」
そういうことしか、思わない。
ぼくの場合、そのときは、
ゴール目指して走ってたから。 |
糸井 |
ゴールっていうのは、何のことですか? |
萩本 |
そのつどの目標です。
番組によっては、それがマラソンであり、
一万メートルであり、短距離であり……。
ゴールを設定して、それを目指しました。
そのときは、
それに向かって走っているだけですから、
別につらいとも思わないんです。
ただ、つらいのは、
走っている最中にマイクをむけられること。
インタビューをされても、
「いま、走っている最中だから」
としか、言いようがない。 |
糸井 |
当時、取材も
たくさんお受けになったんですか? |
萩本 |
週に1度は、取材の日っていうんで。 |
糸井 |
つっ走りながらのよろこびも
たくさんあったとは思うのですが、
途中で受けた傷は、なかったですか? |
萩本 |
ないですね。
テレビがおもしろく、
朝起きるのが嫌じゃなく、
寝なきゃいけないのがつらい。
うまくいってるときって、
つらくないです。 |
糸井 |
ただ、もう1回、
同じことやれって言ったら、できますか? |
萩本 |
不可能ですよね。 |
糸井 |
ああ、愚問ですね、それは。
とんでもないものだったんですよね、きっと。 |
萩本 |
だから、今も
「数字を取れ」と言われたら、
急いで逃げますよ。
どうして取ったかっていう理由が
わかっているなら、すぐにできますよね。
でも、どうして取れたのか、
はっきりしたことはわからないんです。
評論家がいて、どうして取ったのかを、
みんなで評論してくれただけですから。 |
土屋 |
でも、大将は、自分で
どうやって視聴率を取ったのかを、
あの時期にも、ご自分で、
おっしゃっていたじゃないですか。
「今考えると、そうじゃないかな?」
というのは、あるんじゃないでしょうか。 |
萩本 |
きっと、今聞いたら、
「そんなことで、数字取るの?」
と、ぼくは言いますよね。
当時は、
むちゃくちゃに口がしゃべってたんで、
脳から発したものではないというか……。
言ってみれば、ぼくは、
口から出まかせの感はあると思います。
自分を納得させるためだとか、
そう言えばみんなが納得しそうだとか、
その空気があって発した言葉であって。 |
糸井 |
「少なくとも、
他の人はこうやってるけど、
ぼくはこうやっているよ」
ということなら、客観的に言えますから。
それは、たくさんあったんでしょうね。 |
萩本 |
それが確かだと思って
やっていたわけではないです。
「そうじゃないかな?」
と思って方針を言うことが最初ですよね。
で、やってみるっていう……。
それは、必ず、100%ぐらい失敗しますね。
そこで言ってることは、すべてまちがいです。 |
糸井 |
すごい。 |
萩本 |
ええ。
ただ、そのまちがいを言ったことを、
チャップリンと同じです、
言ってしまったことを、
失敗に終わらせないためには、
どうすればいいのか、と……。
ここを、辛抱するというか、
ここを、ふんばる。
言ったことが正しい、
というところへ持っていくという。 |
糸井 |
それは、優等生にはできないですね。 |
萩本 |
ええ。
だって、心の中じゃ、
「言わなきゃよかった」
といつも思っていたから……。
でも、その帳尻を合わせにいくんですよね。
「100メートルを、
ぼくは10秒で走れるよ。
こういう努力の方法は、あると思う」
「じゃ、あんた、走ってみて!」
「え?」
走ったら、12秒なの。
「これは、どうして
12秒になっちゃうかというとですね……」
そこから、はじまるんです。
「この2秒の理由は……足が短いからです。
足を長くする方法があって、それは……」
そうやって、いろいろしゃべって、
かたちにしていくんです。
ぼくのしたことは、
うまく帳尻を合わせたことなんだから、
「数字の取りかたは?」
と言われると、説明はできないんです。
言ってみれば、行き当たりばったりです。
思いっきり、バターン!とぶつかってね、
「いて!」とだけは、言わないままやる。 |
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(次回に、つづきます) |