(6月20日)
●小学1年生の頃、
なぜだか無性に新聞配達に憧れて
いてもたってもいられなくて、
家にあった古新聞をキレイにたたんで小脇にかかえ、
隣の家の新聞受けに入れました・・・。
(shu)
●小学生の頃の私は、なぜか「味の素」にハマって、
母が買い物で留守にするたび、
カーテンに隠れては味の素を必死になめていました。
ひどいときは、一回に一本。
今思えば、まったく気持ちの悪いことなんですが、
当時は味の素をなめるのが一番の幸せでした。
(メイ)
●小学校の通学路の脇の建物が壊された時、廃材を使って
私ひとりで小屋みたいなものを作ったことがありました。
小屋といっても、
しゃがんでひとり入れるくらいのものでしたが。
一応完成し、脇のたんぼから落穂をひろって
その小屋の中のテーブル代わりの石の上に置くと、
「まるで昔の原人がすんでいたみたい」
とひとり満足して帰りました。
次の日、クラスでは空き地に突如出現した
「こじきのいえ」の話題で、
おおいに盛り上がっていました。
「こじきのいえ」のなかには
コメ(落穂だけど)まであって…。あれは
「大昔のひとのすみか(をイメージしたもの)」
であって、「こじきのいえ」なんかじゃないのに…。
私は「自分がつくった」とも言い出せず、
クラスメイトの勝手な解釈を
ただじっと聞いていたのでした。
(mokky)
●小学5年生の頃、幼なじみと
「コケ農場」を作っていました。
農場と言っても20センチ四方の小さなもの。
フサフサした気持ちのいいコケを見つけると、
「いいね〜、この肌触りがたまらん!!」
と言っては持ち帰って農場へ植えていました。
渋い趣味の子どもだったなぁと懐かしく思います。
(ネム)
●小学生の頃、下校時に
「ウンコおしっこ」の2語に伴奏をつけ、
大声で歌いながら帰ってました。
友達の伴奏にのせて大声で歌うのは気持ち良かったなあ。
(とと)
●子供の頃、本当に仲良くなったという証として
お尻の見せあいっこをしていました。
(知り合い)
●小学校低学年の頃、五味太郎さんの
「みんなうんち」という絵本を読んでいました。
ラクダのページでは、
「ひとこぶラクダはひとこぶうんち、
ふたこぶラクダはふたこぶうんち」
衝撃をうけた私は、本を放りだして
家族全員(6人家族)に報告してまわりました・・・。
(たま)
●幼稚園の頃、
「骨折」と「鼻血」にものすごく憧れた時期があり、
ハンカチをつなげて
腕にぐるぐる巻いてギブスのつもりで
さらに、赤いマジックで鼻血を描いては
「よし!」と大満足で外へ遊びに行っていた・・・。
(まい)
●子供の頃、家でトイレに入っている時、
「今世界でトイレに入ってる人
何人くらいいるんだろう?
同じことしてるってすごいよなぁ…」
と一人でしみじみ感動していました。
(むんく)
●子どものころ、懸賞の応募に必死でした。
「…の場合は無効(むこう)です」の意味がわからず、
むこうって、一体どっちなんだろうと、
本気できょろきょろしたのを思い出します。
(沙羅)
●小学生の時、どうしても食べられないものがありました。
それは、ラーメンに乗っている「シナチク」です。
なぜか当時の自分は、
「シナチクは使い古しの割り箸をふやかして作ったもの」
と、信じ切っていたようなのです・・・。
(hiro)
●私は小学生のころ、
「電車の中でハンドバッグを膝にのせて座り、
何かを手帳に書いているおねえさん」
に、あこがれていました。
それを実行に移すため、家の中で
全身鏡の前に椅子を持ってきて正面を向いて座り、
母のハンドバッグをかりて膝に置き、
電車に乗っている態で、からだをぐらぐら揺らし、
なにかをハッと思いついたような顔をして
バッグにしのばせておいたメモとペンを取り出し、
その日の予定などを書いて楽しんでいました。
「7じからごはん」とか・・・。
(あかり)
●小学校低学年くらいまで、
いろんな妄想に、とりつかれてました。
あるとき、私ってホントは
ショッカー(仮面ライダーの悪役軍団)の一味かも、
と思った時期があり、ふたつ年上の兄に
いつものようにイジメられたおり、
「なんでそんなことすんの?
もしかして私がショッカーやから?」
と真顔で問い詰めました。
その言葉にすっかり固まってしまい、
黙ってその場を立ち去っていった兄の後姿を見て、
「お兄ちゃんが何も言い返さへんってことは、
やっぱり私、ホンマにショッカーやったんやわ…」
と確信を新たにしたアホな私でした。
(T)
●子供の頃は意味不明でした。
疲れたら後ろ向きに歩くとか、
布団の上を左右にごろごろしてると
目が回って眠りやすいとか、
わけわかんない理屈で行動してました。
そんなある日、上を向いてランドセルに頭を乗せて歩くと
なんかラクなことを発見し、調子に乗って
走りまわってるとドブに転落。
見事に擦り傷を負いました。
しかも一番の友達が、翌日クラスの文集にそれを発表。
「ぼくは将来この町の町長になってこのドブをうめる」
と熱く語ったことまで公表されてしまいました。
(kami)
●札束に憧れていた小学6年生の私が、あるとき、
「人生ゲーム」のおもちゃの金を学校に持っていくと、
たちまち大ブームに。
いつの日からか、それが我がクラスの通貨になって
自分が作ったリリアンやら、牛乳の蓋でつくった
メンコなんかの取引に使われるようになった。
しかし、みんなが自分の人生ゲームの金を持ち出しはじめ
超インフレになって経済が破綻した頃、ブームも去った。
(mi)
●これは小学校3年のころだったと思います。
家族がみんな出かけていて、
家に一人で留守番をしていました。
時刻は午後7時ころ。
居間のテレビでファミコンをしていたところ、
台所の方から物音が聞こえてきたので、怖くなって、
「誰だ!?そこにいるのはわかってるんだ!」
と叫び、座っていた折り畳みのパイプ椅子を
持ち上げて、台所の方へ行きました。
びくびくしながら台所の電気をつけると、
炊飯ジャーがふつふつといっていたのです。
緊張していた僕はそのことで、
どっと疲れてしまいました。
それで家族に話したら大笑いされました。
(むーみん)
●小さい頃、毎晩夕食時、
食材に使うため台所の裏庭にあった家庭菜園に
母親がネギなどを積みに行き、1〜2分後に戻ってくると
なぜかその数分の間に母が
偽物にすり替わった気がしはじめ、
母が本物か確認するため、
「お母さんしか知らない質問をしてみて
正しく答えられたら本物のお母さんなんだ」
と思い込み、激しい口調で、
「お母さん!私の大好物は何でしょうかっ!」
と毎回聞いていました。
もちろん、母はごくふつうに
「納豆でしょ〜」(私は納豆が大好物だったので)
と答え、食事の支度を続けていました。
しかし私は
「ふ〜ん、今日は本物かぁ、でも油断しないからねっ」
と心の中で言いながら、毎晩のように
その質問(しかも毎回同じ質問)を浴びせていました。
しかも、険しい表情と強い口調で。
その時の私はいつも
「お母さん安心してね、
お母さんが偽物が誰かの策略で
偽物にすり替えられちゃっても、私だけは絶対気づいて
本物のお母さんを捜しに行ってあげるからね!」
という気持ちでいっぱいでした。
(リトル)
●砂場のエピソードって結構あるんですね。
私も自分の
小学5年生の頃のこと、思い出しちゃいました。
一時期、「校庭にある砂場を素手で掘って水を出す」が、
マイブームになったときがありました。
肩の長さまで掘ると
水が湧いてくるというのを発見してから、
どうやらその水が出るのが、おもしかったらしく、
まず朝登校して始業前に一度掘り、
お昼休みに一度掘り、放課後に一度堀りと、
授業以外の一日の大半を穴掘りに捧げ、
泥くさい男のロマンを感じる時期が、ありました。
(おのー)
●子どもの頃、
「今」のあとは「昔」が来ると思っていました。
今あるものはどんどん古くなっていくのだから、
当然、昔になると・・・
お向かいの家が古い家だったので
「ああ、あの家には、もう昔が来ている」
と思い、私が大きくなる頃は、
昔になるんだなあと思いこんでいたのです。
小学一年生という雑誌で「ドラえもん」に出会い、
「未来」というものを知った時には心底驚いたものです。
最初は意味が全然わからず
何度も読み返したのを覚えてます。
(なみ)
●小学生のころ、2つ上の姉とけんかをしたあと、
「もう私は〜はしません」と
『証文』を書くのがきまりでした。
たとえば姉のおやつを横取りして
けんかした後、姉が勝つと、
「もうお姉ちゃんのおやつはとりません」
と書くというもの。
しかも最後に名前と指紋までつけて。
私も姉も高校生になってそんなことも忘れていたころ、
姉が一度部屋の大掃除をしたときに、
当時の証文が出てきました。それには、
「私はこれからゼッタイに
おねえちゃんのブルマをはきません」
と書かれていました。もちろん私が書いたものです。
ふたりで大爆笑しました。ブルマって・・・。
でも当時は、2つ上の姉がとても大人に見えて、
なんでもかんでも姉が持ってるものがほしかったんです。
(匿名希望)
●子どものとき、ヒマだと
「田植えごっこ」をしてました。
庭の土の堅いところを四角く、
浅く掘って柔らかい土と水を入れて泥にしてから、
かねて用意の雑草を列にして植えてました。
・・・なにがおもしろかったんだろう?
(さ)
●レジで会計を済ませるときによく
「320円」なのに「1020円」出す、
というようなことが、ありますよね。
小さいころ、なんだかその出し方が
オトナだな!カッコイイなーって、
ずっと思っていたんです。
「今日は私がお金を払いたい!」って母に言って、
お金をもらって、100円くらいのの品物に
1500円を得意げにだしたんです。
「500円だけもらっとくね」
レジのお姉さんに言われて、すっごい切なかったです。
・・・なんでみんなやってるのに私だけ!?
じゃああの出し方は何なんだ?
今でもはっきり憶えているなあ。
(豆もち)
●子どもの頃、
「ものには終わりがある」ということを
まったく知りませんでした。
大好きだったアニメ
「ニルスの不思議な旅」を見ていたら
何気に母が「今日最終回だねー」と言い、
「最終回って何?!終わっちゃうの!!!」と
ワンワン泣きました。
ろくにその最終回も見ずに・・・アホだ。
親だっていつか死ぬという事も
そのついでに(?)聞かされ、それこそ、
この世の終わりというかのように泣きました。
たまたま仕事中の父親が家に寄り、
私が泣いている理由を母親から聞いて、
「バカだなー」と大笑いされました。
それで更に泣いたのですが、
自分が親でも同じ反応しただろうなぁ。
(ケムマキ)
●小学校低学年まで、
自分のことを世界のお姫様だと信じていました。
そして私が庶民の気持ちがわかるように、
周りが隠して、わたしに
庶民の生活を送らせていると思ってました。
先生に怒られているときも、
「ああ、これも私にわざと
試練を与えるために演技しているのか」
と思ったり、かなりポジティブシンキングの子で・・・。
(くっぴ)
●小学2年生の時、
家から一番近い交差点に信号が取り付けられたので
それを見に行こう!と勇んで飛び出しました。
なんだかウキウキして、
目の前にある小石を蹴飛ばしたところ、
あれ?飛ばないで靴の先についてるぞ。
もしや・・・やっぱりウンチだ・・・!
(おいも)
●私のもと恋人は小1の時お母さんに、
「男は家の外に出たら
いつも7人の敵に囲まれているようなものだ」
と言う話を聞かされて、
「知らなかったー。
今まで丸腰で遊びに行ってて
何事もなかったのは奇跡やな!」
と、胸をなでおろし、これからは遊びに行く時も
まず敵の攻撃に備えなくては、と思ったそうです。
でも、どんな敵で、何が有効な武器なのか
いろいろ考えても分からない。
そこで、子どもだと思って安易に攻撃されるのを避ける為
大人に見える格好をすれば良い、ということを思いつき
お父さんの部屋に忍び込み、
腕時計と万年筆をこっそり持ち出して、
「これでどこから見ても大人やな」と、
腕に時計をはめ、
胸に万年筆をさした姿を鏡で確認してから
ものすごく緊張して毎日遊びに行っていたそうです。
バカだけど可愛くて、この話大好きなんです。
(きょうこ)
●はいはいはいはーい!!!!
ガキの頃ばかだったなぁ。
って、まさにばかだった私。
小2の頃、近所の仲良し由貴ちゃんと
道路にすごろくを作って遊んでたところ、
私が止まった所は「20回まわる」。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・・・
・・・・・
・・・
ドーン!!!!!
頭からどぶに突っ込み、3針縫う。
(あ)
●あの頃の私は、道のかどに磁石を当てて
さてつを取っていました。
当時も今も、そんな子どもはいませんよね。
バカというかなんと言うか・・・。
(サカイ)
●子どもの頃、
「公平にする」ということがマイブームになり、
右の靴を履いてから
左の靴を履くと左の靴がかわいそうなので、
もう一回ぬいで、左の靴をはいて右の靴を履いてました。
そこではじめて安心して出かけられるのです。
おかげで出かけるのがワンテンポ遅れる子供でした。
(katsura)
●小学生の頃、下校途中に見つけた手ごろな石を、
家までドリブルをして蹴ってきてましたが、
時々、植え込みに入ってしまった時も、
何がなんでも取る!という気持ちで、
手を突っ込み、意地でも石をつかみ出しました。
(兄弟3人みんながそれをやっていたため、
ある時期、家のまわりには、石が大量にあり・・・)
他にも、周りにいるカラスに対抗して、
自分までもカァカァと鳴きながら下校しました。
それを運悪く、母の知り合いに目撃され、
それ以来、周囲を確認しながらやるようになりました。
(えりか)
●小学校低学年、動物の好きなわたしは
下校途中の「犬のいる家々」に寄り、
犬にさわってまわる「犬のはしご」をする毎日でした。
ある日ふと犬に給食の残りのパンを
やってみたところ、犬大喜び!
それからさわるだけでなくパンもやるのが、
日課になりました。
そして何軒もまわるので自分の残したパンだけでは足りず
給食係の子に頼んで残ったパンを分けてもらい
それを持って下校しておりました。
犬達も毎日パンをもらえるので私が行くと
大喜びしていたのですが、誰かに通報されて、
「学校の帰りによそのお宅の犬に
パンをやる人がいます。やめましょう」
と朝礼で言われできなくなってしまいました。
手ぶらでは犬達に会えない、
と犬まわりはやめてしまいました。
(高槻市・か)
●ハングリー世代ではありませんが(現在30歳)、
お菓子を食べさせないのが母親の方針だったため、
いつも飴ガムチョコキャラメルおせんべい
ビスケットポテトチップス等の市販の
お菓子に飢えていました。
お風呂場においてある
真っ白な石鹸を見つめれば見つめるほど、
それがホワイトチョコレートに見えてきて・・・
においをかいで見ると石鹸のにおいがします。
「でもこういうにおいの
ホワイトチョコレートなのでは?」
という考えが捨てきれず、
勇気を出して齧ってみたことが何度も(!)あります。
学習しろよ。
(かよりんぐ)
●幼稚園の頃に流行った遊びというか
命をかけていたのが「かたまり」づくり。
ままごと用のカップに細かい砂を入れて水を掛けて、
また砂を入れて
どんどんカップの表面を砂で堅くしていくんです。
最終的にはこぶのようなものができて
「かたまり」づくりの仲間うちでは
「筋肉」と呼ばれていました。
その「筋肉」の美しさを競うことが
その頃の私の生き甲斐でした。
友達の間でもその筋肉を誉めてもらうことが
最高の喜びでした。
気に入らない作品は壊したりして・・・。
今思うと職人気質なバカな遊びしていたと思います。
(うみ)
●小学校時代の下校は毎日が楽しかった。
同じクラスのアカネちゃんと毎日一緒に帰り、
それぞれの家路に向かうため、いよいよお別れの曲がり角、
絶対かかせない儀式があった。
「ばいばーい、ばいっ、ばぁーーい!
またあした! ばいばぁーい!」
と二人でメロディに乗せて歌いながら
手をパシっとしてお互いの帰る方向に向う。
でもまだそれだけでは終わらない。
別れた場所からちょっと離れた所でまたお互い振り返り
おならをぷーっと出したマネをし、お互いに投げあう。
そして二人で口をそろえ「あーくさい」と言い、
それから家に帰ってた。
真夏の日も、大雨の日も。毎日、毎日・・・。
どこからそういう発想がやってきてたんだろう。
あの儀式をやってた
周りの家のひとたちはどう見てたんだろう。
そんな私は今22歳、OL。
(く)
●わたしは小学校の頃、暑い日に、
「黄色い帽子にたっぷり水を入れてかぶる」
をくりかえしてました。
母親にビショヌレの理由をきかれると
「帽子がちょっとぬれてたみたい」
なんて答えてたそうです。
ホントのこと言ったって怒られないのに、
必死だったんだろうなー。
(ひ)
●小学生のある一時期だけ、
行きと同じ道を帰らないと気の済まない子どもでした。
例えば、道が二手に別れていると、
選んだ道を帰りにも通りたいというような・・・。
自分には蜘蛛の糸の様なものが出ていて、
通った道を戻らなければ糸がこんがらがる気がして、
やらずにはいられませんでした。
よそのお宅にお邪魔した時は最悪で、
部屋から部屋へ移動しようものなら、
順番を間違えないように引き返してからでないと
帰る気になれず、帰り際はこんがらがりを取る為に、
部屋をグルグル戻ってから帰宅しました。
周りから見たら意味不明な行動ですよね。ハズカシイ・・・
(クマ)
●子どもの時って、ほんとに
よくケンカしてましたよね。
2歳上の兄と、毎日激しくやりあっていましたが、
小学校低学年の頃のある日のケンカで、
さんざんとっくみあい、ののしりあっても
おさまりがつかず、お互いの机の間にあった
段ボールに、「ばか」と書き合いました。
当然その「ばか」の数を競う展開になり、
「ばかばかばかばか」と羅列するのに疲れると、
「一万倍ばか」「千兆ばか」となっていき、
「宇宙一ばか」まで・・・
子供のケンカの定番ですね。
次の日に、その低レベルな戦いを
全て記した段ボールを友達に見られて爆笑され、
その後、なにかというと、その話をされました。
(はる)
|
(ミニコメント)
はじめは「デリバリー版」掲載ぶんを紹介しました。
この特集、メルマガの読者のみなさんからは、
「なんだか、子どもの頃を懐かしく思い出しました」
という感想がたくさんとどいたのが、印象的なんです。
エピソードに込められた思いこみにクスッとすると同時に、
「同じような時、自分だったらどうしてた?」
と常に引きつけることができる題材ですからねぇ。
幸福な子ども時代を送った人も、そうではなかった人も、
不意に、過ぎた時間に没入して、切なくなるのでしょうか。
逃げだすこともできなかったし、
限定された知識しか持っていなかったはず。
わかっている範囲も、1日にできることも、ごくわずか。
でも、それに腐ることなく、笑顔でやっていたじゃないか。
……なんて、そんなたのしみかたも、あるかもしれません。
ちなみに、選者の「ほぼ日」スタッフ木村が好きなのは、
「お母さん!私の大好物は何でしょうかっ!」
「誰だ!そこにいるのはわかってるんだ!」
「もしかして、私がショッカーやから?」
という、子どもなりの、大冒険のところなんですよ。
正義心に忠実なところも、かわいいなぁ、って思います。
たのしいものを、明日も、たくさん紹介していきます。
なんてったって、この倍ちかく、応募があったんですから。
あなたの小さいころの「こんなことがあったな」って話も
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、ぜひ、教えてねー!
土日も、毎日、つづけます。 |
|